三百三十六、都知事選で猪瀬候補を100%支持した理由


平成24年
十二月十八日(火)「総選挙」
私は東京都民ではないが、もし東京に居住すれば100%猪瀬候補に投票した。だから「日本未来の党」が宇都宮候補支持を決めたことに苦言を呈した(消費増税反対グループは政権を取れるへ)こともある。
宇都宮候補は日比谷公園の年越し派遣村の名誉村長であり、私の所属する労組はそのとき事務局だつた。全国から送られた支援物質で労組の会議室が一杯になつた。だから宇都宮候補が嫌ひといふ訳ではなく、最初は猪瀬候補70%、宇都宮候補30%支持であつた。
しかしすぐ猪瀬候補100%に傾いた。宇都宮候補の「戦争直後はみんな貧しかったですね。だけど地域のつながりがあったと思います。わたしは愛媛の小さな漁村の生まれなんですけど、みんな貧しかったけれど、家族のつながり地域のつながりがありました。今の貧困というのは、経済的に貧しい上にさらに社会的人間的に貧困者が孤立しているという事が特徴かと思います。」は賛成である。「私が日弁連会長当時ですね、日の丸君が代問題が裁判になっておりまして、(中略)基本的にはこれは、思想・良心の自由の問題である。」は反対である。
起立や斉唱をしない人がゐるとせつかくの雰囲気が台無しになる。さういふ態度が地域のつながりを破壊し貧困者の孤立につながつた。それだけではない。昭和五十年あたりからの醜い世の中を肯定することになる。

十二月二十日(木)「左翼と左翼崩れ」
頭山満と中江兆民が左右の分裂しない時代の最後で二人は仲が良かつたが、その後頭山の後継者たちの右翼と中江の後継者たちの左翼に分裂したとよく言はれる。しかし本当に左右に分裂したのは共産主義が欧州で注目されるようになつてから、或いはロシア革命が起きてからではないだらうか。
世界が現状派と革命派に分かれる。この状態が右翼と左翼の分離である。そして日本では昭和五〇年辺りからもはや社会主義は無理だと国民が思ふようになつた。このとき左翼の多くは左翼崩れになつた。しかし左翼崩れは有害である。社会を建設するのが左翼なら、社会と文化を破壊するのが左翼崩れであり、その典型が朝日新聞など拝米新自由主義である。

十二月二十二日(土)「君が代反対と民族派は共存できる」
うちの労組に公立高校の臨時教職員が前に加盟した。しかし民間と公務員は適用される法律が違ふから組織は職員組合として独立させ、職員組合の委員長が労組の執行委員を兼務し、労組からも職員組合に応援の執行委員を出した。応援の執行委員といふのが、大会のときに「民族派も一人はゐたほうがいいので」と挨拶するあの名物執行委員であつた。職員組合の組合員のなかで入学式や卒業式は急に体の具合が悪くなり休むことで円満に解決してゐた。これが一番よい解決法である。君が代を歌ふべきかだうか悩んでゐると血圧が変動し体の具合が急に悪くなる。よくある話である。無理に出席するより休んだほうがよい。
うちの労組が分裂したときに、職員組合は向ふ側に行つてしまつた。しかしやはりうまく行かなかつた。向ふ側を脱退し、去年は全労協のメーデーに来た。民族派の名物執行委員と久し振りに再会した。

君が代を歌ひたくない教員はけしからぬと思ふ人もゐようが、これは個々の教員の責任ではない。日本全体の敗戦後遺症である。日本は戦前には軍国の偏向があり、戦後は連合国正義論といふ偏向がある。戦後の昭和三十年代までが戦前の偏向と戦後の偏向が打ち消しあつて、日本に取つてもつとも良い時代だつたと後世言はれることだらう。人類がそれまで滅びなければの話だが。
昭和四〇年代に入り世の中が一変した。東京オリンピツクが原因ではない。高度経済成長は一つの原因である。もう一つ戦前と戦後の偏向の相殺が崩れたことが原因である。
民族派の名物執行委員は外資系に務めてゐた。私は国内企業だが外国との取引が多い。国際で仕事をすれば我々の所属は日本だから民族派になる。民族派にならない人は米英を賞賛して回る「変な日本人」になる。
君が代は明治時代に薩長幕府の作つたものだから変へてもよい。日章旗は幕末に制定したものだから君が代よりは歴史が長い。しかしどちらも最近の出来事である。少なくとも変へろといふ輿論は皆無である。
宇都宮候補は「思想・良心の自由の問題である」と一言で済ませるが、それが欧米かぶれを生み社会と文化を破壊し国民の生活を不安定にする。多くの都民が猪瀬氏を選んだのは当然である。

十二月二十三日(日)「護憲とは現状肯定だ」
今の世の中はよいだらうか。私は悪いと断言する。地球を破壊することで贅沢ができるからよいように見へるだけだ。化石燃料を使用しなければ、昭和三十年代のほうが今より遙かに良い。その昭和三十年代に社会党、共産党、民社党、公明党は、社会主義、共産主義、民主社会主義、新社会主義を目指した。つまり昭和三十年代も駄目だつた。
護憲とはその駄目な世の中を守ることだ。今の日本は米軍の半占領状態だし、マスコミの洗脳工作はひどいし、社会は崩壊したし独身者は多いし失業者や非正規雇用は多いし悪いことだらけである。だから世の中を変革のため憲法を改正するといふ意見なら賛成である。護憲は現状維持だから反対である。
憲法改正派のなかには、アメリカとの集団自衛権を画策する連中がゐる。日本の独立のためなら憲法改正に賛成だが、アメリカの属領化を進める改正には反対である。少なくとも戦争放棄は日本が世界に誇るものだからこれは残すべきだ。まづ憲法前文を廃止したらどうか。

護憲を叫ぶ連中は自称進歩派の議員と公務員組合である。どちらも既得権派である。議員は落選しなければといふ括弧付きだが。既得権派は現状維持を望むから社会主義は言へない。だから護憲を叫ぶだけだと国民は見てゐる。東京、名古屋、大阪の知事市長の人気が高いのはこの理由による。

十二月二十四日(月)「知事の持つ二つの機能」
知事には行政と職員監督といふ二つの機能がある。都民は専ら前者で知事を選ぶが、職員は後者で選ぶ。職員は自分たちの立場が石田三成だといふことに気が付かなくてはいけない。よほど嫌はれてゐたのだらう。豊臣秀吉子飼いの武将たちに襲はれ徳川家康の屋敷に逃げ込んだ。五奉行を辞職し領地に帰りなさいと言はれてそれに従つた。しかしすぐに約束を破り命の恩人を裏切つて関が原の戦ひを引き起こした。約束を守つてゐれば家康は管領のような地位に付いたとしても豊臣家は武士の棟梁として安泰だつただらう。
職員は自分たちが石田三成の立場だといふことを理解し、選挙に組織で係はつてはいけない。

十二月二十四日(月)その二「浅野知事と島野市長」
前回の都知事選に浅野元宮城県知事を担ぎ出したのは実に不適切だつた。石原氏はときどき危ない発言をするが都民に人気があつた。既に亡くなつたが島野元仙台市長を出馬させたのなら100%賛成である。島野氏はばりばりの左翼を原動力に市民派のハンドルさばきで市長を7期務めた。浅野氏は西洋かぶれを原動力に改革のハンドルさばきで知事を務めた。
改革の悪い理由は、不合理なことを改善することを目的とせず、西洋の猿真似をするために長年掛けて築いた社会を破壊するからだ。民主党の出馬要請を固辞する浅野氏を翻意させる「浅野史郎さんのハートに火をつける会」の呼びかけ人には、菅直人民主党代表代行(当時)のブレーン、元朝日新聞論説委員、「直子の代筆」を女性差別だと騒いだフエミニストなどがゐる。インターネツトで調べると
新自由主義的政策を売りにしてきた「改革的保守派」知事であった浅野を、新保守主義的で同じく「保守系改革派」と呼ばれた石原慎太郎の対立候補として左派・市民派が積極的に支援するというねじれ状態
と載つてゐる。私は新保守主義は100%賛成だが、新自由主義は100%反対である。私はソフトウエア業界だから「直子の代筆」の事件はよく知つてゐる。あれは文章を直すソフトに「直子」と名付けただけで「直夫」でもよい。女性差別でも何でもない。当時はワープロ「一太郎」が大ヒツトしたから「一太郎」と「直子」でよく似合つた。フエミニストといふのは西洋猿真似で社会を破壊する邪悪な思想だとよく判る。もちろん男女の雇用や賃金差別はいけないし、離婚した女性が経済的に貧窮することは避けなくてはいけない。その前にまづ離婚しない社会、独身者の少ない社会を築くことであり、それには新自由主義とは反対に地域、親戚、氏子会、檀徒会、講中、業界組合などが複雑に絡んだ社会を立て直すことである。日本に合つた運動なら賛成である。

十二月二十四日(月)その三「日本のマスコミ」
年越し派遣村について述べると、あれは厚労省の向いの日比谷公園で騒ぎを起こして厚労省に圧力を掛けようとする運動であつた。ところがマスコミに報道されて全国的な騒ぎになつた。マスコミの力とは恐ろしいものである。五五年体制の崩壊して以降に、あまりの威力にいい気になつたマスコミが、数年前には小沢おろし、最近では維新の会を持ち上げるといふことをやつた。
マスコミの害悪に死刑廃止がある。もちろん死刑のない世の中を目指すべきで、それには犯罪のない世の中を作るべきだ。新自由主義では犯罪が増へる。それでも出てくる犯罪者を死刑にするかどうかはその国の歴史と現在の文化に係はる。日本のマスコミ、特に朝日新聞は死刑に署名した法相を死神と呼んだり、被害者の1人がたまたま死刑にしても犠牲者は帰つてこないと発言するやそれを大々的に扱ふ。読売は立場が朝日とは異なるが、拝米では一致する。アメリカは犯罪が多すぎて死刑を廃止できないといふねじれ現象にある。そのアメリカ化を進めるのが新自由主義である。毎日、東京は小型朝日の記事が多かつたが、最近は気付いたのか小型読売の記事も載る。産経は拝米反中がひどくもはや新聞とは言へない。そして各新聞社がテレビ局を持つ。
これが日本のマスコミの現状である。そのマスコミから悪く書かれながら石原氏はここまでやつてきた。実に偉い。その後継として猪瀬氏もマスコミから悪くは書かれないが都民の期待に答へてくれると思ふ。(完)


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