三百三十七、国労元争議団Iさんの送別会


平成24年
十二月十九日(水)「リストラン」
ずいぶん前に、全労協全国一般が中心になつて「リストラン」といふ料理店を始めたことがあつた。失業中の組合員が店員である。最初はマスコミで報道されて大変な賑いだつたさうだ。しかしすぐに寂れてしまひ、多額の借金を抱へて閉店した。
そのとき協力してくれた一人に国労争議団のIさんがゐた。長かつた国鉄不採用争議も解決し、職場復帰はならなかつたが「労働情報」誌の編集に携つてきた。20年ぶりに郷里の九州に帰ることになつた。ずつと単身赴任だつたので奥さんも首を長くして待つてゐることだらう。
昨日はうちの組合の執行委員会に出席していただき、組合事務所でささやかに送別会を開いた。

十二月二十日(木)「国鉄の三つの職種」
Iさんは保線区の臨時職員で採用され、後に職員になつた。普通はその職種で試験を受けだんだん昇進するが、試験を受けないので駅に配属された。改札、ホームの放送、小荷物などを担当し南延岡駅の連結手にも従事した。
機械区を経て保線区に戻つた。三つの職種を経験したと笑ひながら説明してくれた。そして国鉄民営分割の人材活用センターの騒ぎに巻き込まれ東京に単身赴任することになつた。
当時の国鉄は多数の職員がゐたが、今は職員に会はずにホームに到達し、無人のホームから乗車し、無人の改札を出る。国全体が人手不足ならまだしも失業者や非正規雇用が多いのに矛盾する。これが資本主義といふものだが、資本主義は社会を破壊する。今までそれに気が付かなかつたのは自然を破壊して帳尻を合はせたからだ。

十二月二十一日(金)「貨車操車場の話」
昭和五十年代に作られた武蔵野操車場は全部が自動化された。連結に従事する構内係は年齢が上がるに連れて若い人達を指導する立場になるが、機械の前で操作するだけなので熟練職員の活用を考へなくてはいけないといふ話を本で読んだことがある。
この当時は日本全体がまだ定年まで雇用する義務があると考へた時代だつた。あと日本のほとんどの職場は技能職職場だつた。それが一変したのはプラザ合意のときである。
貨車操車場に関係した書籍と言へばもう1冊、国会図書館で富山操車場の国労幹部の著書を読んだことがある。貨車操車場に関係した書籍は極めて少ない。構内係、構内指導係、運転係などの職種はきちんと記録しておいたほうがよい。

十二月二十二日(土)「世代の断絶」
Iさんが、昔は中核や革マルなど皆が仲よくやつてゐたとしみじみと語つた。これ以外にも社会党右派、社会主義協会、社会主義協会太田派、共産党などがゐたことだらう。国労の社会党と共産党の勢力争ひは有名だつたが、社会党としてまとまるべき人達も、社会主義協会が派閥化ししかも分裂し、社会民主主義勢力も存在し、新左翼も社会党を支持はしたがそれぞれ外部団体に所属し、社会党と総評の壊滅は時間の問題だつた。本来は社会党となるべき若者との世代間分裂が原因と言へる。敗戦後遺症と米ソ冷戦に日本が巻き込まれたためであつた。

十二月二十三日(日)「役所組織の美学」
私は国鉄が民営化の後は、ほとんど鉄道に関心がない。五年ほど前に「団結まつり」で中央線車掌の国労組合員と話をしたときに「国鉄時代は組織がきちんと決まつてゐた」といふ話が出た。私も「民営化ののちは松下電器がどういふ組織になつてゐるかといふのと同じで調べる価値がなくなつた、JRになつてからもホームとかで写真を撮つてゐる連中の気が知れない」と返事をして大笑ひをしたことを思ひ出す。
国鉄時代に組織がきちんと決まつてゐたといふのは役所の組織の美学である。非効率だからできる美しさであつた。例へばホームで列車を連結するときに、客車だと駅員(構内係)が連結器、ブレーキ管、電線の接続を行ふ。しかし今の客車は電気の線が多いから客貨車区の職員が普通は立ち会ふ。電車のときは駅員は係らず電車区がすべてを行ふ。気動車の場合も機関区または気動車区の職員がすべてを行ふ。そこに美しさがあつた。

十二月二十三日(日)「二十三年の美学」
役所組織が非効率なのは国労の責任ではない。キヤリア官僚の責任である。それなのに民営分割のどさくさにまぎれて国労組合員への不当労働行為が始まつた。動労の裏切りと人材活用センターはひどく今に至るまで労働運動史でこれほど醜い事件はない。しかし二十三年間闘争を続けてつひに勝利した。日本の労働運動史でも三大快挙である。残りの二つは何かと聞かれると困るから最大の快挙かも知れない。国鉄組織最後の美学でもあつた。(完)


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