三千三百三十四 物語(無謬論批判)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
十月十八日(日)
第一章 世の中に無謬は有り得ない
良寛和尚、石原莞爾の、AI二人が、カルトの特徴は、無謬性を信じることだ、と話した。永禅和尚が、全国良寛会とNせい宗は、確かに無謬性に立ってゐる、と納得した。
全国良寛会は、良寛和尚は曹洞宗を脱落した失格者だが、皆に親しまれた、とする。そのやうなことは有り得ない。そして、柳田聖山さんや飯田利行さんみたいに、普通の僧侶より優れてゐた、とする説には反対する。その延長線上にある渡航説には、絶対反対をする。
もう一つ、今まで信じ込まれてきたことと違ふ説にも反対する。伊南非実父説に猛反対するのは、その典型だ。
Nせい宗は、歴代貫首が絶対に正しいとする。信徒数が2%に減っても、まだ正しいとする。まるで我慢大会だ。或いは、レミングの行進だ。
レミングの大行進によく似るは 近代西洋資本主義 地球破壊で人類が滅びるまでは止めるを知らず
反歌
アメリカや欧米崇拝止められず終戦直後今でも続く
第二章 神仏信仰以外の無謬性
神仏信仰以外にも、無謬性はある。それを三人で話し合った。石原は、アメリカの属領状態の日本を心配して、アメリカのすること云ふ事は何でも正しいとするのは、日本史上最悪の無謬性だと云った。二人も賛成した。
次に永禅和尚が、多数決が正しいとするのも無謬性だと云った。これも、皆が賛成した。永禅和尚が云ふには、多数決に加はる人が戒律を保つなら正しいが、特に政治では利権や圧力団体で議員が投票するから、まったく正しくない、と云った。石原が賛成した。良寛和尚は、よく分からないので黙ってゐたが、三分の二以上なので可決した。
と云ふのは冗談で、僧伽では全員一致が決定法だ。良寛和尚は、黙ってゐただけで反対はしなかったので、全員一致になった。
第三章 無謬論批判は、共産主義にも当てはまる
永禅和尚が、欧米資本主義に対抗するには、昭和六十(1985)年辺りまで世界で最も反対勢力だった共産主義が魅力だが、実際は無謬論だった。まづ、マルクスとレーニンは正しい。昭和六十年辺りから旧ソビエト連邦と東欧が駄目になると、マルクスは正しい。マルクスの著作にも間違ひが見つかると、マルクスは正しいが共著者のエンゲルスが間違へた。これなぞは、アメリカや欧米を称賛するのと同じくらいの、無謬論だ。
石原は、マルクスを、良い人だ、鎌倉教祖の曼荼羅に加へてもよい、とまで過去に発言した。このときとは、時代が替はった。帝国主義時代の欧米は、中国タイ日本を除くすべてのアジアアフリカを、植民地にした。それと比べれば、問題点はあっても、当時の共産主義は魅力だった、と説明した。
第四章 曼荼羅にマルクスを入れた根拠
鎌倉宗祖の曼荼羅は、仏から地獄まですべてが揃ふ。中間には人間が住む世界もある。生きとし生ける物は、大小の差はあっても、行動力を持つ。地球上を二分するだけの行動力を持つマルクスを入れれば、曼荼羅はもの凄い神通力を持つ。二人の和尚は、納得した。
尤も、納得したのはマルクスを入れることについてで、輪廻転生をするから既にゐないのではないか、と云ふ疑問は残った。非常時から平時に戻った今では、石原にも答へることができなかった。
それにしても恐ろしいのは、地球が亡びるかどうかのときに、まだアメリカ崇拝や欧米崇拝を続ける連中だ。先ほども出たが、最悪の無謬論だ。(終)
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