三千三百三十二 物語百回記念(南伝が、カルト2団体を批判)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
十月十四日(水)
はじめに 短編物語が百回に達した。これを機に、「短編」を除いて「物語」とした。江戸時代まで物語と云へば、この程度の長さが普通だった。長編物語は、短く独立した章が集まるか、伝記や戦記物だ。
百回記念となれば、物語の題材は南伝仏法である。

第一章 良寛和尚、駒澤大学の講師に
良寛和尚は、唐土へ渡航ののちは、すべての宗派を同じに扱ふやうになった。とは云へ、曹洞宗では序列が止まったままなので、同じ宗派だとお互ひ気まづい。また、或る鎌倉宗教は、禅天魔などと他宗を批判するので、こことは相容れない。
住居を提供して頂いた、国上山の真言宗か、木村家の浄土真宗本願寺派と、親密になったのは、自然な事だった。良寛和尚の妹の一人が、真宗大谷派の非僧非俗住職に嫁いだことも、浄土系と特に親密になる理由だった。
駒澤大学は、曹洞宗が設立したとは云へ、序列とは無関係だ。大学から連絡があり、教授になってほしいと依頼された。しかし、肩書きは嫌ひだ。非常勤講師として、教へることになった。
科目は、漢詩、和歌、書道、中国仏法史を担当した。

第二章 南伝仏法の比丘と知り合ふ
ミャンマーから来日中の比丘が、聴講生として良寛和尚の「中国仏教史」を訊きに来た。聴講生は、学部学生より学費が安く、既に本国での資格を所持する人にとり、便利な制度だった。
すぐに良寛和尚と仲良くなった。ミャンマー比丘が聴講する理由は、日本語学習と、大乗仏法事情だった。それなら、と良寛和尚が勧めたのは、南伝仏法を今でも蔑称で呼ぶ二団体を、論理的友好的に批判することだった。それは、全国良寛会とNせい宗である。
ミャンマー比丘にとり、蔑称で呼ばれてもまったく気にしなかった。丁度、道端で犬が、しっぽを振って友好的に吠えても、敵意むき出しで吠えても、気にしないのと同じだ。そもそも日本語の文献は、必要が無いものは読まなかった。
良寛和尚は、自分と関係する団体が蔑称を使ふので、かなり気にした。ミャンマー比丘は、早速取り掛かった。

第三章 全国良寛会
まづ、世界の中で日本だけ、蔑称を使ふ人がゐる。日本は妻帯だから、南伝を毛嫌ひするのだらう。しかし、それは筋違ひだ。日本以外の各国は、大乗も妻帯しない。そればかりか、部派時代の戒律を大乗も保つ。
次の批判は、南伝の比丘に困った人が相談しても、心を動かさず自分の修行を続ける。これも出鱈目な批判だ。心を動かさないのは「四禅」を目指し、更にその先の「無色界の四定」「滅尽定」を目指す時だ。此れらは、三学のうちの禅定だし、戒はその前から当然保つので、慧を行ふ。そして、困った人の相談にきちんと回答する。
次に全国良寛会の話題だ。歴史学者の田中圭一さんは、良寛和尚の実父は伊南ではないとする説を、佐渡良寛会会長山本修巳さんに「これを書けば大騒ぎになる。どうしようか」と話した。田中さんは後日、著書の「良寛の実像」で、伊南非実父説を明らかにする。予想どほり、大騒ぎになった。
各地の良寛会には、山本さんのやうに冷静な人も多いが、全国良寛会は熱狂非理性団体になってしまった。これを一般には、カルトと呼ぶ。

第四章 Nせい宗
パーリ語経典のダンマパダには、過去七仏が書かれてゐる。過去七仏の唱へる「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教(すべての悪をなすなかれ、善を行ひ、自らの心を浄めよ)」こそ、仏法の神髄だ。
未来についても、長部に転輪聖王師子吼経がある。法輪や七宝を持って世を治めたダルハネーミ王の時代に、人間の寿命は八万歳だった。その後、人間は性格が悪くなり、寿命が短くなり十歳になった。大戦争が起こり、世界は破滅する。生き残った人たちが、五戒を守り、三毒を抑へ、寿命が八万歳に戻った時、サンカと呼ばれる転輪王が現れ、マイトレーヤ(弥勒)という仏さまが現れる。
初期仏法から部派仏法になった時代に作られた経典である。この話と同じ内容を、良寛和尚と同郷の牧口さんが設立し、後を継いだ戸田Nさんが講演したことがある。あの団体は、せい宗の信徒団体だった。鎌倉教祖も、釈尊の時代は百歳で、十歳まで縮まる、と撰時抄で述べてゐる。
釈尊の出世は(中略)人寿百歳の時なり。百歳と十歳との中間、在世五十年、滅後二千年と一万年となり。その中間に法華経の流布の時二度あるべし。いわゆる在世の八年、滅後には末法の始めの五百年なり

戸田さんが講演した事をAIは
戸田城聖がこのお経の内容(刀兵劫)を強調した背景には、彼が生きた「冷戦と核軍拡(原水爆)の時代」への強烈な危機感がありました。
• 『転輪聖王修行経』では、人間の心が悪に染まりきった時、手にした草木すらすべて武器(刀兵)に変わって人類が互いに虐殺し合うと説かれています。
• 戸田は、まさに現代の核兵器こそが、経典に予言された刀兵劫であると捉えました。お互いに憎み合う、生命の濁りが形になったと喝破したのです。

さて、過去七仏と、Nせい宗の久遠元初論は、整合が取れない。鎌倉教祖は、過去七仏にとっても本仏なのか、と訊かれたら返答できない。
他の鎌倉教祖系宗派であれば、久遠実成の仏は八仏目釈尊の本地だ、と答へる。或いは、過去七仏を含めた仏の本地だ、でもよい。

第五章 まとめ
全国良寛会とNせい宗は、蔑称の使用を停止すべきだ。ミャンマー比丘の研究結果は、以上だった。良寛和尚は、七仏の教へを曹洞宗でも尊重する上に、故郷を思ひ出す内容もあるので、二重に喜んだ。
南伝は北経るものと異なりて止観を持ちて今へと繋ぐ
(終)

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