三千三百三十三 人生覚え書き(特急北斗星の思ひ出、鶴見、臨港鉄道)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
十月十四日(水)
昔、特急「北斗星」で上野を発車すると、最初はディナータイムで、フランス料理が八千円だった。
それが過ぎるとパブタイムで、ビーフシチューセット二千五百円。AIによると「グランシャリオの名物メニュー。ライスまたはパン、サラダが付きました」。
私は、ビーフシチューセットと生ビール六百二十円を食べたと思ふ。そこまで覚えてゐないが、AIに誘導された。丁度妻が出産で仙台に里帰り中で、ビールを飲んでいると、外は仙台を通過するところだった。グランシャリオは鮮明に記憶にある。

もう一つ、北斗星の話題で、
冬に北斗星に乗ると函館を過ぎるとデッキの扉のガラス内側に氷が付いた。デッキは寒くないくらいの気温でも、外が寒いのでガラスの内側も0度以下だった。新幹線が札幌まで延びても、昼間なので此の現象は起きないのではないだらうか。

十月十七日(土)
人生が大きく変はったのは、鶴見へ引っ越したときだ。新婚の独立だから、変はったのは当然だが、もう一つ、近くに総持寺があった。日曜参禅会に参加し、そこから南伝仏法へと発展した。
横浜へ移り総持寺参禅会鶴はめでたし昔も今も


十月十八日(日)
臨港バスは神奈川県民以外には知られていないので、解説をすると、小生自身も、鶴見へ引っ越すまで、名前を知らなかった。鶴見線と塩浜操駅を見に来たときに、珍しいバスが走っているな、程度だった。
臨港バスは、鶴見臨港鉄道の子会社で、鶴見線が国有化された後も、鶴見駅鶴見線ホームのあるビル所有会社として、小生が鶴見へ引っ越したときは、まだ存在した。見つけたのは、今は病床の母で「鶴見臨港鉄道」か、と入居企業一覧を見て、云った。母は、鉄道会社に勤めてゐたので、さういうところを見つけるのは早いみたいだった。
臨港バスは、終戦直後に京急の子会社になった。鶴見臨港鉄道は、2011年東亜建設工業の子会社になり、2019年東亜リアルエステート株式会社に変更された。
鶴見線ホームのあるビル2階の書籍店が気に入り、幼児だった子供のために、帰宅時に本を買ったことがある。その後、本屋は飲食店に変はった。
鶴見駅階段正面改札に 連絡通路北にあり迂回の時に本屋は右に

反歌  職場から帰宅のときに中間地駅の階段通路と本屋(終)

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