三千三百十九(朗詠のうた、普通のうた)富山高山大垣旅行記、三日目
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
九月二十四日(木)
朝五時に朝食を摂り、六時から大垣城、全昌寺、奥の細道むすびの地を観た。大垣城の展示館と、むすびの地記念館は、早朝過ぎて閉まってゐた。例へ開館中でも、おそらく入らなかったと思ふ。
大垣の寺は輪島の大本に輪が合ふ時に勤め入る 今は鶴見に移る故我ヶ子二人のふるさとにして
反歌
此の城は分け目の戦大本に寺と細道また謂れあり
関ヶ原の戦ひは、本来は大垣城攻防戦になるはずだった。或いは、東軍が決戦を避けて、大坂城へ向かふことも考へられる。どちらも、西軍が有利だ。関ヶ原に出陣しては、いけなかった。
家康に仕へる人は少なくも 連なる者は多くあり 戦が終はり連なるは纏まらずして 家康は力を奪ひ其の後にふたほむそまりななつに続く
反歌
小さきがにはか大きくなるときは狂ふが故に手綱離さず

大垣城 外堀通り、東京と比べるとずいぶん小型だ
奥の細道終端地へ向かふ途中に、道標がある。それを過ぎると、全昌寺と云ふお寺がある。普通なら横目で過ぎるところだが、総持寺元輪番地の石柱に、歩が止まった。

美濃路の石柱 大垣宿案内図

全昌寺 境内側から 右端の地蔵

三門右隣の稲荷
美濃路の大垣市街部分を歩いた。道の右左折が続くのは、城域を避ける為だ。少し間違へて、郵便局の横に出た。前を右折すれば美濃路へ戻るのだが、間違へた地点まで戻り、美濃路を完歩した。(このあとAIに訊いた部分を(その六)として独立させた)
帰路は大垣から乗車し、岐阜で降りる計画だった。しかし快速なのでそのまま名古屋まで乗った。名古屋は、競技のアジア大会の最中で、駅前広場は制服を着た案内が沢山ゐた。駅前交差点で、少し下がった位置に、制服の選手十人ほどが横一列に並んでゐた。小生はその前で信号を待ち、青になると同時に歩き始めたが、後方の横一列がそのまま前進を始めた。小生は歩くのが早いが、それでも後ろから追ひ上げられる圧力を受けた。
並ぶなら縦列にすべきだが、一回の信号で渡れるか分からない。だから、ああ云ふ線形になったのだらう。「ひかり」号の発車時刻まで二十分ほどあるので、一区画四方ほど歩いた。国鉄名古屋ビルがあるので、八階の国労の地本に少し立ち寄った。そして帰宅した。
労組とは経営者及び権力に反対するが使命にて 擦り寄る姿醜きのみに
反歌
リベラルは悪魔の思想欧米の帝国主義と同義語として(終)
(9月29日追記)今回の旅行は、計画段階では高山線沿線に泊まる予定だった。ところが6000円以下が見つからない。そこで、富山と大垣に宿泊し、高山は途中下車になった。宿の検索は、昔は4000円以下で検索した。検索サイトがリクルートに買収され、区分が5000円以下になった。このとき不満を感じたものだった。そして今回は、5000円以下では見つからないので、6000円以下で見付けた。そしてそれでも、高山線沿線は見つからなかった。
七年前に宿泊した、いなり鉱泉のページを見て、価格変遷を思ひ出した。
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