三千三百十九(うた)閲注富山高山大垣旅行記、一日目
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
九月二十二日(火)
富山に一泊、高山で途中下車、大垣一泊の旅行へ出発した。大宮から、北陸新幹線「はくたか」で富山迄移動した。「かがやき」を選択しなかった理由は、指定席を避けた。富山では、市役所展望台の開場時刻まで県庁を前から観た。展望台では、この位置まで城の範囲だった目標が四方にあるので、三周しながらそれと見比べた。

  
県庁                        市役所展望台                    立山連峰

地上に降りてからは、富山城址公園へ行った。天守閣の外観を模して再建した郷土博物館へ入場した。価格満足度は高い。入場料は210円で、適正価格かな。300円だと高い。
富山地鉄の市内線は、元市営だと知った。江戸時代に富山藩は、越中を治めたと今まで思ってゐたが、一部のみで、残りは加賀藩だと知った。しかも元は別の場所で城建設の許可を幕府から貰ったのに、建築が難しく加賀藩と領地を交換した。そのため、加賀藩に挟まれた。加賀藩が幕府から睨まれないやうに、分家を作ったのだった。
天守展望台の眺めも、建設当時は絶景だったのだらう。今は周りに建物が多くなったが、遠景も見える。市役所展望台の旧版かな。神通川付け替へ工事も、興味深く観た。
公園内もう一つの建物、佐藤記念美術館は、建物前まで行った。旅行後に検索すると、郷土博物館との調和を考へて作られた、とある。郷土博物館は昭和29年落成、佐藤記念美術館は昭和36年落成。佐藤記念美術館は、平成3年に新館が作られたが平屋で目立たない。周囲との調和を考へて新旧両館は作られた。
戦後間もなくの郷土博物館と、七年後の佐藤記念美術館。どちらも敗戦後の歴史を刻む。あの時代は、歴史的事実の復元より、外観を重視する時代だった。その記録として貴重だ。郷土博物館が登録文化財なのは、頷ける。
お城あと博物館と美術館見栄え勝れて もう一つ日本庭園景勝の園

反歌  太鼓橋赤きが映える池の上先の松川遊覧船あり

地場もん屋と云ふスーパーで、厚身ます寿司を買ひ、商店街末端の椅子で食べた。路面電車の通りを越えて、向かひの商店街も観た。どちらもアーケード街だが、日用品は手前の総曲輪が勝る。とは云へ、中央通りも寂れた印象はなかった。
(9.25追記 地場もん屋は帰宅後に調べると、第三セクターの株式会社富山市民プラザが運営する、富山市で生産活動を行ふ直売会員が、富山県の野菜産出額向上と、安心な食材での地産地消、の為の、富山市農林産物アンテナショップ、とある)
歩いて富岩運河環水公園へ行った。富岩運河は、工場誘致の為に掘った。或いは、神通川の廃川敷を埋め立てる土を得る為に、作ったのかも知れない。工場が計画したほど誘致できなかった、とある。なるほど当時は、運河か輸送手段だった。しかしトラックが出てきて、まもなく運河は不要になる。
帰宅後に調べると、日本曹達、昭和電工、北海パルプ、不二越が進出し、企業数は少ないが、出荷額は計画を越えた、とある。運河は、閘門から上流を埋め立てる計画だったが、公園として保存された。
公園化の後は、船溜りから岩瀬浜まで、その逆、船溜りから閘門見学で折り返し、の観光船が県と市により運航される。これはよいことだが、あまり知られてゐない。もっと観光資源として、売り出したほうがいい。富岩運河は限りなく業界用語なので、岩瀬運河または岩瀬水路と愛称をつけるとよい。
富山には かつて客車の組成駅 路面電車が生き残りライトレールも開通し 岩瀬運河に水位の差乗り越え進む観光の船

反歌  城の跡運河の跡は憩ひの場富山港線市内の足に

宿泊は、いなり鉱泉なので、歩いて向かった。稲荷町から歩く方法もあるが、500mほど戻る。それなら歩かう。明日の、次の目的地高山へ向かふときも、駅まで歩いた。
いなり鉱泉は七年前にも泊まった。今回は5400円。前回同様気に入った。宿の受付に訊いたところ、新館は六年前に新築した。今回は新館だった。懐かしいので、本館の二階にも寄った。
まづ宿の周りを散策した。稲荷公園に入った。帰宅後調べると、燐化学工業の工場跡地だ。公園を反対側に出ると、ドラッグストアがある。ここで、夕食と明日の朝食を買った。そのまま富山地鉄方向へ歩いたつもりが、敷地と周辺道路が四角形ではないので、ずいぶん遠回りした。何とか稲荷町駅に出た。途中、何ヶ所か地蔵があった。帰宅後に調べると、過去に度重なった水害による犠牲者の供養や防災・疫病退散とある。
次に、浄土真宗との関係を調べると、「浄土真宗とは無関係(むしろ正反対)」だが、浄土真宗の土地だからこそ、いたち川周辺に地蔵が集中した、と出て来た。
富山の人々は以下のように信仰を使い分けていました。
阿弥陀様(浄土真宗): 死んだあとの極楽往生のため(本家)
お地蔵様(稲荷町やいたち川): 今の病気平癒や水害除けのため(現世の駆け込み寺)

  
稲荷町の地蔵群。貴重な民俗史料である。

宿へ戻り、同じ敷地内の銭湯へ行った。薬湯、露天湯、ジャグジー、人工炭酸泉など多数の風呂があり、すべて試した。サウナも試した。
出ずる水鉱(あらがね)含み冷たきを沸かし湯として百二十年
泊まる人車に乗りてくる人といつも賑はひ途切れを知らず
(終)
(9.27追記)閲注は、閲覧注意と越中を掛けた。
旅記録正確詳細第一に読み難さのみ体に溜まる 疲れとともに


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