千三百三十二 越中、越前旅行記(詳細データ公開)
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
七月十四日(日)
今年の夏休みは七月六日から取った。最初は十三日からの予定だった。ところが十三日に母の介護保険のことで、ケアマネージャーなど関係者が来る。その翌週は、ミャンマー経典学習会がある。と云ふことで、人生で最も早い夏休みになった。
26年前に、白山比咩神社、永平寺、大乗寺、永光寺、総持寺祖院を巡ったときと比べて、鉄道が二つ廃止された。まづ鶴来駅と加賀一の宮駅の間の2.1kmが廃止された。二番目に東古市駅から永平寺駅までも廃止された。昔は寺や神社のあるところまで鉄道が伸びた。今は逆になった。これは明治政府が悪い。神仏を分離するとともに僧侶妻帯を推奨したため、寺と神社が世襲制で魅力のないものになった。
今回、観光立地と云ふ言葉を使った。観光立地はよいが、観光立国は悪い。これが今回の特集の主題で、詳しくは第二部で述べたい。
今回の旅行で得たお薦め情報は、ホテル京福 福井駅前と越美北線乗車促進だ。「ホテル京福 福井駅前」は1拍4000円で、従業員への教育が行き届き、駅前で便利だ。
「越美北線乗車促進」は、大野市内の市営博物館などの共通入場券と、観光協会指定の店で100円分の商品が貰へる券5枚が付くものを貰へる。通常に買へば、前者は500円、後者は600円だ。青春18切符や北陸フリー切符ではなく、越美北線に乗車したことが記録に残る方法(切符またはワンマン車の支払ひ)で乗車してほしい。券が無くなると終了するのと、越美北線に乗車することが条件なので、詳しくは観光協会に問ひ合わせてほしい(0779-65-5521、8時30分~17時、年末年始以外無休)。
七月六日(土)
大宮を6時54分に発車する「はくたか551号」で黒部宇奈月温泉駅に8時58分着。富山地方鉄道で宇奈月温泉駅に行った。黒部峡谷鉄道のトロッコ列車が発車をするところを道路から見たあと、関西電力の黒部川電気記念館に入館。外に出ると、トロッコ列車の組成を突放(とっぽう。機関車に押されたトロッコが連結を外したあと惰性で走行し、手ブレーキで停車する)で行ふところを見た。
昭和40年辺りまでの国鉄も同じ思想だが、入れ替へをして必要車両数を抑へるのは、経費を節約する一つの方法だ。編成を分解せず入れ替へを省略して検修庫に入れるのは、昭和43年辺り以降の国鉄の発想だ。前者の方法が今でも有効な例を黒部峡谷鉄道に見た。恐らく輸送量が多いと、後者の方法が有利になる。輸送量が少ないと、前者の方法が有利になる。
黒部宇奈月温泉駅から再び新幹線に乗り、富山駅下車。市内軌道線、ライトレール、バス280円区間に乗れる1日乗車券(820円)を購入。ループ線に乗り南富山行きと合流する停留所で下車。昼食を買ふためアーケードを歩いたが、それらしい店がないため停留所に戻り、南富山まで。軌道の車庫に鉄道から亘り線があり、鉄道も600Vなのかと判った。ファミリーマートで買ひ物(6種類のチーズハンバーガー135円、スナックスティック6本100円、おーいお茶600ml151円、信長鬼ころし180ml103円、税込)をして、店内で信長鬼ころしを除いて食べた。信長鬼ころしを買った理由は、ファミマでTカードを使ふと200円で1ポイントだから金額を200円の倍数にした。
あと今回の旅行前に、Big-Aで購入した野菜のうちだれも使はないであらうものを会社の昼食に持って行ったり、旅行当日の朝にも食べて何とか片づけた。唯一残ったもの(きゅうりだと思うが不確実)を昼食に食べた。
このあと鉄道線で富山駅に戻った。ライトレールに乗り東岩瀬下車。古い街並みを歩いた。信用金庫、銀行、商工会議所も古い建物なので感心した。岩瀬浜から富山駅に戻り、市内線南富山行きでループ分岐点まで。バスで城跡。市内線で大学前まで行き富山駅に戻った。これで富山市内のすべての軌道に乗った。前回来た時と同じで線路にゆがみが何箇所かあるものの、走行に影響はない。それよりループ線の新設、新車導入、ループ用新車(ライトレールと同じもの)導入で、未来は明るい。路面電車用信号機が自動車用信号機から別の機械に独立したことがまづ印象に残った。
私は食事なし1泊3000円台のホテルに宿泊することが多いが、2900円と格安のところに予約してあった。近くのローソンで買ひ物(清洲桜信長鬼ころし180ml103円、LWベーコンマヨネーズパン125円、8品目和風サラダ130円、伊藤ハムロースハム160円、税込)をして、昼に買った信長鬼ころしと併せて、ホテルで食べた。
七月七日(日)
昨夜とは別のローソンで、朝5時半に買ひ物(ペヤングソース焼きそば超大盛238円、粗挽きウィンナ97g148円、きんぴらごぼう80g130円、伊藤園トマト6個分ジュース10円引き98円、税込)を買ひ、ホテルで食べた。
トマトジュースは10円引きを狙ったのではなく、たまたま買ったら10円引きだった。ソース焼きそばは普通の大きさが190円くらいで100円ローソンの感覚では高い。それに対し、大型は238円で安い。価格容積比だけに注目して買ってしまった。
朝食を終へて越前大野に行った。北陸切符を見せると、500円分の博物館等入場券と、500円分の商品券がもらへるとインターネットにあるので、観光による地域復興(以下、観光立地と呼ぶ)を調べる目的だった。ところが駅の反応が少し異なる。越美北線乗車促進運動で行ってゐることが判った。今回の旅行の目的は、(1)路面電車等に乗ったり(富山市内線、万葉線、福井電鉄)見る(黒部峡谷鉄道)、(2)観光立地を調べる、の二つがある。
今回、大野市の催しが越美北線乗車促進運動だとすると、(2)とは別になる。そんな思ひもあったが、11時に福井に戻り敦賀に行くはずが、敦賀は翌日に回し15時の気動車まで5時間を大野市で過ごした。
朝市でトマト4つ200円、きゅうり4本100円を購入した。ずいぶん安いが、卸と小売を通さないと、これが農家の販売価格なのだらう。
1回100円分の商品券を使ひながら、しかし同時にコーヒー80円、お土産(550円)、地酒(500円)をそれぞれの店で買って、僅かだが儲けさせてあげた。100円分の商品券も損はしないが利益もほとんどない筈だ。観光振興で協力したのだらう。
大野市内で昼食を食べて、経済協力するはずだが、朝食べた焼きそば超大盛が、食べた直後は何でもなかったのに、いつまでもお腹にもたれる。結局昼食は抜くことになった。
施設は、武家屋敷旧内山家、武家屋敷旧田村家、越前大野城、民俗資料館、歴史博物館、本願清水イトヨの里の六箇所に入場した。このうち旧内山家は明治15年に建てられたもので、だから私が高校二年まで住んだ家と、共通点が幾つかあって懐かしく思った。旧田村家は文政10年(1827)の大火の後、農家を購入して移築。昔の武家屋敷は家老職でも農家と比べてそれほど贅沢な造りではなかった。大野城は織田信長の軍師金森長近、松平、土井と藩主が替はる。大野丸、大野屋の資料を興味深く見た。民俗資料館は地元向けで、観光客はそれほど興味を持たないが、建物は観る価値がある。歴史博物館では、永平寺に次ぐ曹洞宗第二道場宝慶寺と書かれた説明で目が留まった。曹洞宗は大本山が永平寺と総持寺。それに次ぐ加賀の大乗寺と羽咋の永光寺。道元とともに中国で学んだ寂円禅師によって開かれたとあり、なるほどと思った。本願清水イトヨの里は湧き水とイトヨ。水中に何箇所か水を吹き出す口があるので尋ねると、湧き水は地下水をくみ上げるため、節水のため排水前の水を浄水して再循環するさうだ。ザリガニ釣りは受付に断ってからするやう注意書きがあるため、これも質問したところ、ザリガニはイトヨの天敵なので取ってほしいさうだが、再放流しないようにと注意事項があるのだらう。
福井駅から田原町まで福井鉄道に乗った。夕方福井市内のホテルに到着の後、ローソンで買ひ物(レーズンバターロール4個108円、おーいお茶350ml108円、ポークウィンナ84g118円を2袋、税込)。夜は100円分の商品券で頂いた、すし1にぎり、おにぎり、パン。それに朝市で買ったきゅうり1本、コンビニで買ったウィンナ1袋。
七月八日(月)
早朝に柴田神社(北ノ庄城址公園)。前回来たときは前に見た光景で福井は2回目だと判った。今回は不思議と前回の光景を思ひ出せなかった。20年以上経過したためか。橋本左内の墓、妙経寺(柴田勝家、お市の方の墓)、西光寺、自性院。赤十字前から福井城址大名町で下車(福井駅は経由しないので)。ホテル到着後に朝食は昨日朝市で買ったトマト4つのうち2つ、昨夜買ったレーズンバターロールとウィンナ1袋。
6時台で敦賀に出発の予定だったが、北ノ庄城址公園横の資料館が9時開館のため観たあと9時36分発特急。武生で下車し越前武生から北府まで乗り、資料館を見学の後に越前武生まで戻り、特急で敦賀へ。敦賀では気比神宮、旧敦賀港駅舎(記念館は月曜で休館)。ドラッグストアVdrugで昼食(アンパン58円、こしアンパン58円、さきいか98円、税別)を購入し、昨日のきゅうり1本とともに食べた。
金沢まで特急、そこから新幹線で親高岡下車。新高岡で在来線の料金表を見ていたら親切な女子高生が話し掛けてくれたが「料金表を見てゐるだけなので、ありがとう」とお礼を言った。新幹線並行区間は第三セクターになるが、JRと直通する場合に、料金が通しになることを知らなかった。私が鉄道で興味を持つのは、路面電車とかつての客貨車区であり、私は鉄オタではないからそれ以外は興味がない。
高岡から氷見まで忍者はっとり君の気動車1両と普通車両1両。帰りは高校生の帰宅と重なり、混雑した。それなのに既に着席した男子高校生が席を二人分使ひ、云はれないと空けないのには驚いた。親高岡の親切な女子高生と大違ひだ。氷見線沿線の高校は生徒への指導をしっかりやってほしい。
帰りは新高岡から新幹線。富山で下車して富山地方鉄道で稲荷町下車。銭湯兼業のホテルに到着、1泊2980円。ファミマで買ひ物(ブルガリア飲むヨーグルト450ml 169円、あらびきチョリソーパン130円2つ、大きいウィンナーパン125円2つ、信長鬼ころし103円2つ)した。2つづつ買ったパンは1つづつ翌朝用だ。朝市のトマト2つとともに食べた。朝にもトマト2つを食べたので、本来は明朝だが旅行カバンで重い物の下になったかトマトが少し傷んだので早く食べた。
七月九日(火)
早朝に開業前の稲荷町駅、公園、川沿ひ、線路に沿ひ富山中心部に向かふとJR貨物の機関区が見える。線路を自動車兼用地下道で潜り、逆方向に戻ると様子が変だ。富山市内に向かった筈が遠ざかり、地下道の後は遠ざかる筈が中心に向かった。スマホの地図を見ながら無事に戻った。
住宅に交じり1区画のみの田んぼが印象に残った。用水はどうするのか気になったが、水がない。陸稲かたまたま水を抜いた時季か。朝食は昨夜に買ったパン2種類と、朝市のきゅうり1本。
富山から新高岡まで新幹線。駅前の花壇はスプリンクラーの先まで水が行かず、水浸しと水不足が混在。高岡まで在来線ののち900円1日乗車券で越の潟。
信号の黄色+について運転士に質問すると、働いてゐるか示す確認灯とのことだった。前へ少し進むと消える。つまりトロリーコンタクターが有効なときに点燈する。もう一つ一番上と一番下が黄色、それらの中間に1から3までの信号機がある。これは対向車があると一番上の黄色とともに数字。対向車がこちら側に来ると消へる。次にこちら側が進むと、別の信号機にある黄色の+が消へるとともに、この信号機の一番下が黄色。つまり一番下の黄色は対向の一番上と同じものだ。
数年前に開通した新湊大橋を往復歩いた。エレベータ周辺は誰もゐないのに橋の上に着くと数名の男女老人(私と同年齢くらいの人もゐた)が突然現れた。橋の上でウォーキングをしてゐることに気づくまで、数分掛かった。
エレベータで元の側に降りて、富山県営渡し船で対岸に渡った。無料でその訳は富山新湊を切り開いて陸地が途切れた。その代償だった。往路は中年の女性1人、帰路は自転車選手男女4名といっしょだった。ドラエモンの絵が描いてある電車が来て、選手4名は写真を撮った。
吉久で下車し古い街並みを歩いた。新吉久から反対方面に乗り海王丸まで戻った。戻った理由は、海王丸を観ない予定だったが、最初に越の潟行きが来て今回は観光立地を調べる目的があるため気が変はった。
海王丸は県外の観光客のためには改善の余地がある。米島口で下車し。向かひのスーパーで昼食。車庫の写真を撮らうとしてスマホが電池切れになった。ここでも1区画の田圃を見つけた。
高岡駅から、初めて新幹線を使はずに金沢へ。ここで2時間半の待ち時間があるので、「かがやき」で早い列車に変更した。この時間帯は「かがやき」が無く、待ち時間が1時間減っただけだった。金沢駅の案内書、土産物店、飲食店の前を歩き、地下街の北陸鉄道の改札の外まで行き、退屈な時間を過ごした。駅前通りを暫く歩いて右折し、次の大通りを右折して判った。金沢の駅周辺にだけ高層ビルが並び異常だ。高層ビルが小さかったり細長かったりすぐ近くに2階建ての商店や民家があったりして、地上げ屋が暗躍しさうで嫌な雰囲気だった。
前回来たときも、金沢駅の天井が大きいだけの駅前広場は嫌ひだった。前面に楼門があるが、あの雰囲気を屋根全体に出してほしかった。楼門は地震対策で鉄柱を入れたみたいだ。展示してある模型には鉄柱がない。これで価値が激減した。
15時55分発のかがやき510号に乗り、大宮には18時02分に着いた。
七月十三日(土)
私の旅行哲学は(1)観光客向けの施設や行事には行かず、(2)食事は地元の人たちと同じ、(3)新幹線や特急はほとんど乗らない。
越前大野城や博物館は、地元の人たちの施設ではあるが、観光客向けを兼ねるだけだ。観光客向けの施設とは遊園地、温泉、豪華なレストランを云ふ。
食事は、本当は地元の人たちの行く食堂に行きたい。しかし私は早朝から出歩くし、歩く距離が長いし、重い旅行カバンを肩から掛けると腰やひざに悪いから手で持ち、しかも肘を曲げてバネを働かせる。これは疲れるから、余分なことにエネルギーを使はず、スーパーか地元の食材店か、コンビニで買ふ。今回はコンビニが多くなってしまった。
新幹線は本当に乗らない。北陸新幹線は、前身の長野新幹線を含めて、今回初めて乗った。大宮から先でも、30年くらい前に佐渡ヶ島からの帰りに上越新幹線を片道乗っただけだ。(終)
追記七月十七日(水)
職場で「奥さんはいっしょに行ったのですか」と訊かれた。いい質問である。妻は、妻の妹といっしょに香港に行った。向かうのほうが豪華ではないか、と云ふ見方もあらう。しかし旅行は、自分にあった形が一番楽しい。
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