三千三百(うた)1.母の退院日記(最終回)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
九月十七日(木)
六日空けて、母の面会に行った。これまでの最長は五日だったし、五日の初日に妹夫婦がお見舞ひに行ったから、誰も行かなかったのは四日が最長だった。
昨日行く予定だったが、午後は雨が強かったので、本日に延期した。それだけ期待を背に出掛けたが、予想外だった。入院した週は意識があり、翌週は無くなった。三週目、四週目と、少しづつよくなった。本日も、顔を出してすぐ話し掛けたときは、頷いた。すぐに寝てしまひ、起こさないほうがいい、と静かに退出した。
左右手袋を、ベッドに固定し、二週目に戻った。今までは、言語聴覚士によるリハビリに一途の望みを託したが、それは無理だと分かった。
間もなく、介護医療院へ転院する。次に面会は、転院の手続きだ。そのため、最終回とした。あと一回、退院手続きに来る。その次からは新しい入院日記が始まる。しかし胃婁(ろう)はしないので、静かに終端を迎へる。経鼻や胃婁は、苦痛や不自由を長引かせるだけだ。AIに訊いてみた。
胃瘻はどのくらい持つか
胃瘻自体は、数年〜10年以上と長期にわたって維持・使用することが可能です。
平均余命: 一般的な平均余命としては約3年程度とされることが多いですが、数ヵ月〜5年以上と大きな個人差があります。
疾患別の傾向: 脳血管障害や神経難病、認知症の終末期など、もとの病気の進行や全身の衰弱に伴い、1年以内〜数年で亡くなられる事も少なくありません。
認知症の終末期とは
認知症が最重度(末期)まで進行し、身体の維持が極めて困難になった状態を指します。
経口摂取の困難: 食べ物と認識できなくなったり、飲み込み方(嚥下機能)を忘れてしまったりして、口から十分な栄養をとれなくなります。
意思疎通の消失: 言葉を発することがなくなり、こちらの呼びかけに対する意味のある反応(視線を合わせる、頷くなど)がほとんど見られなくなります。
寝たきりの状態: 自力で起き上がることや座位を保つことができず、1日の大半をベッド上で過ごすようになります。
感染症の繰り返し: 免疫力が低下し、誤嚥性肺炎や尿路感染症などの感染症を何度も繰り返すようになります。
母は入院中、尿路感染症にも掛かった。認知症の末期に入った。せん妄かと期待したが、認知症末期だった。
認知症末期ヶあるを八年も知らず今まで薬にて神経伝達補ひて 服薬量の倍増と二ヶ月前に筋肉の震へを止める薬にも いよいよ端に先は無くなる
反歌
天寿にて老衰及び認知症重なり合ひてお迎へを待つ
時間があったので、蕨から往復を歩いた。道を少し変へて、往路は中央公園の中を歩いた。帰路は上町第二公園を歩いた。どちらも偶然見つけた。地図で調べると、少し遠回りだ。予め調べたなら、寄る事のない公園だった。蕨市と戸田市は、中規模の公園が多い。これは貴重な生活資源だ。蕨市は小さな市域が幸ひし、戸田市は都市化が川口市やさいたま市より遅れたことが幸ひした。
戸田市には駅のあなたの道遠く幸ひありて 近年に埼京線が開通し便利な都市へ公園はあり
反歌
埼京線新たに出来て便利にも中山道はバスほぼ消える
昼食は、初めて弁当を持って行った。此れ迄は、かつやで食べるか、バス一日券で一旦帰宅した。
九月二十八日(月)
母が退院し、介護医療院へ入院した。寝たままで、介護タクシーに乗り、小生が移動寝台の隣の席だ。話し掛けても反応が無い。しかし無事到着した。17500円だった。下の子から、車を運転すると、有り難い申し出があったが、寝台が必要だった。そのため高くなったのは、仕方が無い。
到着後は、看護師、ケアマネージャーと、別個に打ち合はせがあり、そのときは言語聴覚士のリハビリで食べることができないか、と要望を出した。しかし医師からの説明で、入院時にCTを撮った結果、心臓肥大と肺炎の跡があるとのことだった。淡の吸引が不可欠で、誤嚥の惧れもあり、食べることは不可能か、と悟った。
車中で、これが片道切符か、と暗い気持ちになった。しかし医師の話を聞き、少し希望が蘇った。
年を越し誕生日越へ九十五四捨五入にていよいよ百へ(終)
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(追記)退院する病院から、入院する介護医療院までは、介護タクシーを利用する。しかし、バス一日乗車券を購入した。家から退院する病院までと、入院した介護医療院から家までで、元が取れる。
とは云へ、時間があったので、イオンモール北戸田まで乗った。久しぶりに乗ると、新たな発見がある。
一、イオンモール北戸田の敷地内に在ったバス停と折り返しターミナルが無くなり、敷地に隣接した道路中にバス停が移動した。これは、イオンモール北戸田が運営した戸田駅経由で戸田公園駅まで行く無料バスを廃止した為だ。移動した路線バスのバス停は、降車用と乗車用が、道路の対面になる。バスは先の公道を四角形に廻る。
昭和四十八年頃は、北浦和駅前から南高循環があった。今まで、六辻から南高を廻ったあとは国道を六辻で右折したと思って来たが、南高を廻ったあと旧中山道で六辻へ戻った、と考へを変へた。尤も、この件をAIに訊くと、最初は水深団地のあと六辻、それでは距離が長すぎると云ふと辻五反田、国道と同じだと云ふと国道を通らず旧中山道経由だった、池袋駅北口と蕨操車場は国道経由だったと云ふと、辻島田があった、辻島田は旧中山道と別れた後かなり先だと云ふと、六辻まで停留所が無かった、になった。いい加減過ぎて、結局分からなかった。とは云へ、旧中山道経由だったことは確かだ。
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