国鉄時代の運転取扱・操車掛の所属と推進運転に関するまとめ
Q. 国鉄時代に、青森運転所の操車掛は、青森駅と、青森操車場のどちらから出張で来たか?
事実関係を精査した結果、正しくは「青森駅」から出張(割当勤務)で赴いていました。
国鉄時代、旅客列車の入換や誘導を行う「操車掛」は、運転・営業の現場である青森駅の所属でした。北西側にある青森運転所(車両基地)の入換業務を担うため、青森駅から職員が派遣されていました。南東側にある青森操車場は貨物列車専用の別系統の組織であり、旅客用の青森運転所へ出張することはありませんでした。
Q. 信号係はどうか?
信号係(信号担当、運転取扱担当など)についても、操車掛と同様に「青森駅」の所属であり、青森駅から出張(割当勤務)していました。
青森運転所の構内配線や、そこに出入庫する線路の信号機・ポイントの多くは、青森駅の信号扱所(コントロールセンター)から遠隔で制御されていたため、運転取扱上の管轄はすべて青森駅にありました。
Q. 運転所構内で完結する場合(駅ホームに行かない作業)も、青森駅の管轄か?
はい、車庫の奥での細かな入換作業や線路の切り替えであっても、青森駅の管轄でした。
- 同一構内扱い: 法規・運転取扱上、青森運転所の線路はすべて「青森駅の構内(同一停車場内)」の一部として組み込まれていました。
- 遠隔制御システム: 運転所の主な信号やポイントは、青森駅の信号扱所から遠隔操作する仕組みでした。
- 現地の係員も駅所属: 遠隔制御対象外の手動ポイントを扱う現地の信号係(転てつ係など)も、青森駅の運転部門から運転所構内の詰所へ出張してきた職員でした。
Q. 青森駅から、出発信号機と、運転所のある信号場の場内信号機を経たが、それでも駅の管轄なのか?
はい、その場合もすべて青森駅の管轄です。
回送ルート上にある「滝内信号所」は、1965(昭和40)年に青森駅の構内に統合され「青森駅滝内信号所」となりました。そのため、駅ホーム、滝内信号所、青森運転所はすべて「青森駅というひとつの駅の敷地内(構内)」です。経由する場内信号機などは独立した駅に入るためのものではなく、同一構内における区域の境界を示すものであり、制御レバーは一貫して青森駅が握っていました。
Q. 現場での操車掛の乗り込み(添乗)のタイミングは?
運転のステップによって主に2つのパターンに分かれていました。
- 駅ホームから乗り込む(基本): 旅客の降車完了後、回送列車として発車する前にホームで乗り込みます(発車直後から前方監視が必要な推進運転など)。
- 運転所の着発線から乗り込む: 駅から滝内信号所を越え、運転所入り口の着発線に到着した直後に現地待機の操車掛が乗り込みます。ここから先の洗浄線や検修庫へ押し込む細かな入換作業を誘導します。
※操車掛は青森駅所属ですが、滝内信号所周辺や運転所構内の「詰所」にあらかじめ出張の形で待機していました。
Q. 青森駅から滝内信号所までは、推進運転だったのか?
客車列車(ブルートレインや急行など)においては、まさに推進運転(バックでの回送)が行われていました。
青森駅は行き止まり式のホームが多く機関車の付け替え(機回し)が困難だったため、到着した状態のまま機関車が後ろから客車を押し出す形で回送していました。この際、青森駅ホームから乗り込んだ操車掛が最前線の客車デッキに立ち、前方監視と無線指示を行っていました。なお、前後に運転台がある電車や気動車特急(はつかり等)は、通常の折り返し牽引運転でした。
Q. 仙台駅から仙台運転所の場合はどうか?
組織の仕組みは青森と同じく「仙台駅からの出張組」ですが、回送方法が異なりました。
- 所属: 仙台運転所の接続点や回送線一帯は「仙台駅の構内」であり、操車掛・信号係は仙台駅所属の出張員でした。
- 回送方法: 仙台駅は通り抜け可能な「直通構造」だったため、客車列車であっても北側へそのまま牽引して引き上げるか、駅構内で機回し等を行っていたため、青森のような推進運転は原則行われませんでした。
Q. 仙台駅構内の信号扱所の体制は?
東北地方最大の拠点にふさわしく、一括集中制御化された巨大な信号扱所が駅の運行を統括していました。
- 一括管理: 駅ホームだけでなく、仙台運転所への回送線や宮城野貨物線との合流・分岐部のポイント・信号まで遠隔制御していました。
- 操車と信号の連携: タイムスケジュールを組み立てる「操車担当」と、連動盤の前で実際にレバーやボタンを扱う「信号係」が連携して運用していました。
- 貨物駅との連携: 東北本線を走る貨物列車をスムーズに流すため、宮城野貨物駅の信号扱所とも密に情報交換を行っていました。
Q. 秋田駅と秋田運転区はどうか?
青森や仙台と全く同じ仕組みでした。
- 所属: 秋田運転区の敷地はすべて「秋田駅の構内」であり、操車掛・信号係は全員秋田駅からの出張員でした(北側にある秋田操車場は貨物専用の別組織)。
- 推進運転: 青森駅と同様に、寝台特急「あけぼの」などの客車列車において、秋田駅から南側の秋田運転区への推進運転(回送)が頻繁に行われており、秋田駅の操車掛が先頭客車に乗り込んで誘導していました。
Q. 新潟駅と新潟運転所(上沼垂)はどうか。上沼垂駅もあったが新潟〜上沼垂は推進運転か?
こちらも同様に、新潟駅〜上沼垂間で客車列車の推進運転が広く行われていました。
新潟運転所や上沼垂の車庫・信号場一帯はすべて「新潟駅の構内」扱いであり、操車掛や信号係は新潟駅からの出張員でした。寝台特急「つるぎ」やローカル客車列車は、新潟駅到着後に機回しを省くため、機関車が後ろから押す推進運転で上沼垂へ回送されていました。この際も新潟駅所属の操車掛が最前部に立ち、時速25km以下で誘導していました。(東新潟の新潟操車場は貨物専用の別組織)。
Q. よく「上野〜尾久の間が唯一の推進運転」と云われたが、青森、秋田、新潟にもあったのではないか?
「唯一」と特別視された理由は、上野〜尾久間が「本線上(営業路線)を長距離・高速で走る特殊な特例規定」だったからです。
- 上野〜尾久: 列車が遅延した際などに「乗客を乗せたまま(営業列車)」推進運転で発車するケース(営業推進)がありました。また、通常の回送であっても、定期列車が往来する本線の複々線区間(約4.8km)を時速45kmで走行する唯一の特例区間でした。
- 青森・秋田・新潟など: これらはすべて乗客を乗せない「回送列車(構内入換扱い)」としての推進運転でした。同一駅構内(地続きの側線)の移動であるため、国鉄の一般規程に基づき時速25km以下の低速でソロソロと動かしていました。
Q. 青森、秋田、新潟は、推進運転の時に最前部は操車掛のみで、尾久みたいに機関士は乗らなかったのでは
仰る通りです。そこが地方主要駅の「回送推進」と、上野〜尾久の「特殊推進」の決定的な最大の違いです。
- 青森・秋田・新潟など(一般推進): 最前部には駅所属の操車掛のみが乗り、手旗や無線で合図を送るだけでした。ブレーキや加減速の実際の操作は、後ろの機関車にいる機関士が行うため、タイムラグを考慮して最高速度は時速25km以下に制限されていました。
- 上野〜尾久(推進運転士制度): 過密ダイヤに対応するため、最前部の客車デッキに運転免許を持った「推進運転士(機関士)」自らが乗り込み、客車側の非常ブレーキ弁等を直接手で操作していました。この安全性が担保されたため、特例として最高速度時速45kmが認められていました。
Q. ほかに全国で、青森、秋田、新潟みたいな方法(駅構内扱いの低速推進回送)の運転区所はあったか、の回答に長野(第二分所)、広島、米子、高松、函館があるので、これらすべて駅の構内だが
おっしゃる通り、長野、広島、米子、高松、函館はすべてその駅の構内でした。
Q. 札幌はどうか?手稲方面から到着した時に、札幌運転区(現・札幌運転所)までは?
札幌については、これまで挙げた例とは異なり、原則として推進運転は行われていませんでした。通常の牽引運転で回送されていました。
- 札幌駅の構内ではなかった: 札幌運転区は札幌駅から約14キロも離れた手稲(稲穂)にあります。そのため同一駅構内ではなく、独立した「本線区間(函館本線)」扱いでした。本線を長距離推進運転することは国鉄規程上できないため、通常運転での回送が必須でした。
回送のルート: 手稲方面から札幌駅に到着した客車列車は、そのまま進行方向を変えずに、一度東側にある苗穂駅の留置線や白石駅まで牽引回送(引き上げ)されました。そこで機関車の機回し等を行い、今度は手稲方面(西行)へ前を向いた通常の牽引運転で札幌運転区へと入庫していました。
Q. 札幌運転区の構内入換や信号は、手稲駅と札幌運転区のどっちの管轄(出張元)か
国鉄時代、札幌運転区の構内業務を行う係員は、接続していた「手稲駅」から出張(割当勤務)で来ていました。当時の札幌運転区は、運転取扱上、札幌駅ではなく手稲駅の構内(同一停車場内)という位置づけでした。そのため、「車両基地は接続する親駅の管轄下に組み込まれる」という国鉄の原則通り、手稲駅の運転部門に所属する操車掛が現地へ出張して入換・誘導を行い、信号やポイントの制御も手稲駅の信号扱所が管轄していました。
(終)