三千三百一(うた)AIに鉄道を訊く(青森駅と青森運転所の入替作業、仙台、秋田、新潟)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
九月三日(木)
一ヶ月以上前のファイルはAIに訊いた内容なので、これを整形し、青森運転所の操車担当は青森駅か青森操車場から出張で来る、と云ふ回答に出会った。これについて質問したところ、話が弾んだ。
国鉄は組織の規則美しさ 趣味の魅力は尽きる無く 時代とともに白蟻が沸きてつひには革マルと組む

反歌  運転所青森は駅と操車場どちらかから来る操車担当

国鉄時代の運転取扱・操車掛の所属と推進運転に関するまとめ

Q. 国鉄時代に、青森運転所の操車掛は、青森駅と、青森操車場のどちらから出張で来たか?

事実関係を精査した結果、正しくは「青森駅」から出張(割当勤務)で赴いていました。

国鉄時代、旅客列車の入換や誘導を行う「操車掛」は、運転・営業の現場である青森駅の所属でした。北西側にある青森運転所(車両基地)の入換業務を担うため、青森駅から職員が派遣されていました。南東側にある青森操車場は貨物列車専用の別系統の組織であり、旅客用の青森運転所へ出張することはありませんでした。

Q. 信号係はどうか?

信号係(信号担当、運転取扱担当など)についても、操車掛と同様に「青森駅」の所属であり、青森駅から出張(割当勤務)していました。

青森運転所の構内配線や、そこに出入庫する線路の信号機・ポイントの多くは、青森駅の信号扱所(コントロールセンター)から遠隔で制御されていたため、運転取扱上の管轄はすべて青森駅にありました。

Q. 運転所構内で完結する場合(駅ホームに行かない作業)も、青森駅の管轄か?

はい、車庫の奥での細かな入換作業や線路の切り替えであっても、青森駅の管轄でした。

  1. 同一構内扱い: 法規・運転取扱上、青森運転所の線路はすべて「青森駅の構内(同一停車場内)」の一部として組み込まれていました。
  2. 遠隔制御システム: 運転所の主な信号やポイントは、青森駅の信号扱所から遠隔操作する仕組みでした。
  3. 現地の係員も駅所属: 遠隔制御対象外の手動ポイントを扱う現地の信号係(転てつ係など)も、青森駅の運転部門から運転所構内の詰所へ出張してきた職員でした。
Q. 青森駅から、出発信号機と、運転所のある信号場の場内信号機を経たが、それでも駅の管轄なのか?

はい、その場合もすべて青森駅の管轄です。

回送ルート上にある「滝内信号所」は、1965(昭和40)年に青森駅の構内に統合され「青森駅滝内信号所」となりました。そのため、駅ホーム、滝内信号所、青森運転所はすべて「青森駅というひとつの駅の敷地内(構内)」です。経由する場内信号機などは独立した駅に入るためのものではなく、同一構内における区域の境界を示すものであり、制御レバーは一貫して青森駅が握っていました。

Q. 現場での操車掛の乗り込み(添乗)のタイミングは?

運転のステップによって主に2つのパターンに分かれていました。

  • 駅ホームから乗り込む(基本): 旅客の降車完了後、回送列車として発車する前にホームで乗り込みます(発車直後から前方監視が必要な推進運転など)。
  • 運転所の着発線から乗り込む: 駅から滝内信号所を越え、運転所入り口の着発線に到着した直後に現地待機の操車掛が乗り込みます。ここから先の洗浄線や検修庫へ押し込む細かな入換作業を誘導します。

※操車掛は青森駅所属ですが、滝内信号所周辺や運転所構内の「詰所」にあらかじめ出張の形で待機していました。

Q. 青森駅から滝内信号所までは、推進運転だったのか?

客車列車(ブルートレインや急行など)においては、まさに推進運転(バックでの回送)が行われていました。

青森駅は行き止まり式のホームが多く機関車の付け替え(機回し)が困難だったため、到着した状態のまま機関車が後ろから客車を押し出す形で回送していました。この際、青森駅ホームから乗り込んだ操車掛が最前線の客車デッキに立ち、前方監視と無線指示を行っていました。なお、前後に運転台がある電車や気動車特急(はつかり等)は、通常の折り返し牽引運転でした。

Q. 仙台駅から仙台運転所の場合はどうか?

組織の仕組みは青森と同じく「仙台駅からの出張組」ですが、回送方法が異なりました。

  • 所属: 仙台運転所の接続点や回送線一帯は「仙台駅の構内」であり、操車掛・信号係は仙台駅所属の出張員でした。
  • 回送方法: 仙台駅は通り抜け可能な「直通構造」だったため、客車列車であっても北側へそのまま牽引して引き上げるか、駅構内で機回し等を行っていたため、青森のような推進運転は原則行われませんでした。
Q. 仙台駅構内の信号扱所の体制は?

東北地方最大の拠点にふさわしく、一括集中制御化された巨大な信号扱所が駅の運行を統括していました。

  • 一括管理: 駅ホームだけでなく、仙台運転所への回送線や宮城野貨物線との合流・分岐部のポイント・信号まで遠隔制御していました。
  • 操車と信号の連携: タイムスケジュールを組み立てる「操車担当」と、連動盤の前で実際にレバーやボタンを扱う「信号係」が連携して運用していました。
  • 貨物駅との連携: 東北本線を走る貨物列車をスムーズに流すため、宮城野貨物駅の信号扱所とも密に情報交換を行っていました。
Q. 秋田駅と秋田運転区はどうか?

青森や仙台と全く同じ仕組みでした。

  • 所属: 秋田運転区の敷地はすべて「秋田駅の構内」であり、操車掛・信号係は全員秋田駅からの出張員でした(北側にある秋田操車場は貨物専用の別組織)。
  • 推進運転: 青森駅と同様に、寝台特急「あけぼの」などの客車列車において、秋田駅から南側の秋田運転区への推進運転(回送)が頻繁に行われており、秋田駅の操車掛が先頭客車に乗り込んで誘導していました。
Q. 新潟駅と新潟運転所(上沼垂)はどうか。上沼垂駅もあったが新潟〜上沼垂は推進運転か?

こちらも同様に、新潟駅〜上沼垂間で客車列車の推進運転が広く行われていました。

新潟運転所や上沼垂の車庫・信号場一帯はすべて「新潟駅の構内」扱いであり、操車掛や信号係は新潟駅からの出張員でした。寝台特急「つるぎ」やローカル客車列車は、新潟駅到着後に機回しを省くため、機関車が後ろから押す推進運転で上沼垂へ回送されていました。この際も新潟駅所属の操車掛が最前部に立ち、時速25km以下で誘導していました。(東新潟の新潟操車場は貨物専用の別組織)。

Q. よく「上野〜尾久の間が唯一の推進運転」と云われたが、青森、秋田、新潟にもあったのではないか?

「唯一」と特別視された理由は、上野〜尾久間が「本線上(営業路線)を長距離・高速で走る特殊な特例規定」だったからです。

  • 上野〜尾久: 列車が遅延した際などに「乗客を乗せたまま(営業列車)」推進運転で発車するケース(営業推進)がありました。また、通常の回送であっても、定期列車が往来する本線の複々線区間(約4.8km)を時速45kmで走行する唯一の特例区間でした。
  • 青森・秋田・新潟など: これらはすべて乗客を乗せない「回送列車(構内入換扱い)」としての推進運転でした。同一駅構内(地続きの側線)の移動であるため、国鉄の一般規程に基づき時速25km以下の低速でソロソロと動かしていました。
Q. 青森、秋田、新潟は、推進運転の時に最前部は操車掛のみで、尾久みたいに機関士は乗らなかったのでは

仰る通りです。そこが地方主要駅の「回送推進」と、上野〜尾久の「特殊推進」の決定的な最大の違いです。

  • 青森・秋田・新潟など(一般推進): 最前部には駅所属の操車掛のみが乗り、手旗や無線で合図を送るだけでした。ブレーキや加減速の実際の操作は、後ろの機関車にいる機関士が行うため、タイムラグを考慮して最高速度は時速25km以下に制限されていました。
  • 上野〜尾久(推進運転士制度): 過密ダイヤに対応するため、最前部の客車デッキに運転免許を持った「推進運転士(機関士)」自らが乗り込み、客車側の非常ブレーキ弁等を直接手で操作していました。この安全性が担保されたため、特例として最高速度時速45kmが認められていました。
Q. ほかに全国で、青森、秋田、新潟みたいな方法(駅構内扱いの低速推進回送)の運転区所はあったか、の回答に長野(第二分所)、広島、米子、高松、函館があるので、これらすべて駅の構内だが

おっしゃる通り、長野、広島、米子、高松、函館はすべてその駅の構内でした。

Q. 札幌はどうか?手稲方面から到着した時に、札幌運転区(現・札幌運転所)までは?

札幌については、これまで挙げた例とは異なり、原則として推進運転は行われていませんでした。通常の牽引運転で回送されていました。

  • 札幌駅の構内ではなかった: 札幌運転区は札幌駅から約14キロも離れた手稲(稲穂)にあります。そのため同一駅構内ではなく、独立した「本線区間(函館本線)」扱いでした。本線を長距離推進運転することは国鉄規程上できないため、通常運転での回送が必須でした。
  • 回送のルート: 手稲方面から札幌駅に到着した客車列車は、そのまま進行方向を変えずに、一度東側にある苗穂駅の留置線や白石駅まで牽引回送(引き上げ)されました。そこで機関車の機回し等を行い、今度は手稲方面(西行)へ前を向いた通常の牽引運転で札幌運転区へと入庫していました。
    Q. 札幌運転区の構内入換や信号は、手稲駅と札幌運転区のどっちの管轄(出張元)か
    国鉄時代、札幌運転区の構内業務を行う係員は、接続していた「手稲駅」から出張(割当勤務)で来ていました。当時の札幌運転区は、運転取扱上、札幌駅ではなく手稲駅の構内(同一停車場内)という位置づけでした。そのため、「車両基地は接続する親駅の管轄下に組み込まれる」という国鉄の原則通り、手稲駅の運転部門に所属する操車掛が現地へ出張して入換・誘導を行い、信号やポイントの制御も手稲駅の信号扱所が管轄していました。
(終)


追記九月四日(金)
此の後は上記ファイルが出来た後だったので、手動で追加すると
当時は無線機が無いので、推進の入れ換えは、先頭の操車係の指示を、途中の構内係が中継し、最後尾の機関士に伝えた。青森・秋田・新潟は、距離があるが、この方法を用いたか

はい、まさにご指摘の通りです。青森、秋田、新潟などの長距離に及ぶ推進運転・入換においても、まさに「構内係による手旗やカンテラ(灯針)の合図中継」という方法が、用いられていました。
1. 構内係による「合図の中継」
線路沿いの見通しの利く場所やカーブの要所に、数名(距離によってはそれ以上)の構内係(転てつ係や操車掛の仲間)が等間隔で配置されていました。
昼間: 先頭の操車掛が振る「手旗(赤・緑)」の動きを、途中の構内係が次々と目視で拾い、全く同じ動きをして後ろへバケツリレーのように繋いでいきました。
夜間・降雪時: 視界が悪い時は「カンテラ(合図灯)」の光を使って中継しました。豪雪地帯である青森、秋田、新潟では、雪で旗や光が見えにくくなるため、中継要員を通常より多く配置して間隔を詰め、安全を確保していました。
2. 客車の「連絡用ブザー(電鈴)」の活用
手旗の中継と並んで、客車列車ならではの確実な方法として「電鈴(でんれい)」が使われていました。客車の車内(デッキなど)には、機関車の運転台へと繋がる有線のブザー(電鈴)回路が通っていました。最前部に乗った操車掛は、手旗だけでなく、このブザーの紐を引いたりボタンを押したりして「ブー、ブー(発車)」「ブー(停止)」とを直接、最後尾の機関士へ送っていました。
3. 車側ブレーキ(非常弁)の存在
中継が途切れたり電鈴が故障した時、前方に障害物を発見した場合に備え、客車のブレーキ管に通じる「車側ブレーキ弁(非常ブレーキのレバー)」がありました。

連絡用ブザーは、機関士へ直接つながるか、それとも客車の最後尾に構内係がいて、機関士に旗で伝えたか

この連絡用ブザー(電鈴)は、客車の最後尾に人が中継するのではなく、先頭の操車掛の操作が、最後尾の機関車の運転台へ直接つながっていました。「ブザーが直接つながるからといって、手旗の中継係がいなくて大丈夫だったわけではない」という、国鉄ならではの厳格な二重の安全ルールがありました。
1. なぜ中継係も必要だったのか
国鉄の「運転取扱基準規程」において、無線がない時代の推進運転(入換)では、「目視による合図(手旗やカンテラ)」を基本正当(第1原則)としていました。ブザー(音の合図)はあくまで「補助」または「見通しが利かない場合の特殊な通信手段」という位置づけだったためです。理由は以下のリスクがあったからです。
断線のリスク: 客車を連結する際、ブザーのジャンパ線(電気のコード)がしっかり繋がっていなかったり、途中で断線したりする可能性があった。
誤認のリスク: 音だけでは「何回鳴ったか」の聞き間違いや、隣の線路の入換ブザーの音と混同する危険性があった。
そのため、どんなに電鈴が直接つながっていても、原則として「先頭の操車掛が旗を振り、途中の構内係がそれを中継し、機関士は最終的にその『旗の動き』を目視で確認して動かす」という人海戦術がセットで行われていました。
2. 客車の「最後尾」には誰がいたのか
「客車の最後尾(機関車のすぐ目の前)」に構内係は乗っていません。

ELはともかく、DD13やDE10もブザーの配線が繋がっていたか

DD13形やDE10形には、連絡用ブザーを接続する配線は備わっていませんでした。電気機関車の多くには、客車の電鈴回路と接続するためのジャンパ線が用意されていました。そのため、青森・秋田・新潟などの広い構内でDD13やDE10が客車を後ろから押し出す推進運転を行う際には、「100%完全な手旗・カンテラによる地上の構内係の中継合図」だけが頼りでした。
1. 長距離でどうやって動かしたか、等間隔の「中継の壁」
青森運転所や新潟などの長距離・広大な構内、あるいはカーブで見通しが利かない場所では、線路脇に何人もの構内係が立ちました。
2.車側ブレーキ
尾久と上野の間で使用されたような携帯用ブレーキ装置(機関士用のブレーキ弁)は使わず、客車のデッキ等に設置されている車掌弁(非常ブレーキ弁)、または簡易非常ブレーキ操作器を使用していました。


追記九月六日(日)
青森と青森運転所は3.9Km離れるが、途中に構内係を配置したか

青森駅〜青森運転所の3.9kmは、「手旗の中継を行うエリア」と「それ以外の方法で安全を担保するエリア」を切り分ける合理的な運行方法がとられていました。
1. 手旗の中継係が配置されたのは「見通しの悪い重要拠点」だけ
手旗やカンテラ(灯針)の構内係が配置される地点は限られていました。
青森駅のホーム周辺:
滝内信号所の分岐点周辺: 奥羽本線・津軽線・回送線(小運転線)が複雑に絡み合い、かつ大きくカーブしていて、機関士から前方が絶対に見えないエリア。
青森運転所の着発線(西客・東客)周辺: 車庫の入り口で、細かく線路が分かれるエリア。
2. 中間の見通しが良い直線区間はどうしていたか
青森駅〜滝内信号所〜青森運転所の途中には、見通しの良い直線的な区間でした。機関士が直接、前方の操車掛の手旗やカンテラを「目視」で確認しながら運転していました。
3. 雪や霧で「全く見えない日」の特別取扱
直線区間であっても前方が完全に見えなくなる日です。
推進運転の禁止(原則): 視界不良で手旗の確認が不可能な場合は、安全上の理由から推進運転そのものを中止しました。
「機回し」への変更: 青森駅のホーム上で手間と時間をかけ、機関車を一度切り離して反対側に付け替え、前を向いた通常の「牽引運転」に切り替えて車庫へ向かわせる、という臨時の運行措置をとっていました。

新潟駅と、新潟運転所(上沼垂)はどうだったか

新潟駅〜上沼垂の間(約3.1km)についても、3.1kmの道中すべてに構内係(中継要員)を並べることはせず、使い分けていました。
1. 手旗の中継係が集中的に並んだポイント
新潟駅のホーム〜東側ポイントエリア:発車直後、新潟駅の複雑に入り組んだ分岐器をいくつか渡るまでは、駅の構内係が数名並んで最後尾の機関士へ合図を繋いでいました。
上沼垂信号場の周辺:上沼垂は信越本線、白新線、そして沼垂駅方面への貨物線などが複雑に合流・分岐する地点でした。さらに、入庫する線路が分かれるため、必ず中継の構内係が立っていました。
2. 新潟特有の広大な複々線並行区間
新潟駅〜上沼垂間は、線路が見通しやすい構造になっていました。

秋田と秋田運転区は

青森や新潟と同じ、2.5kmの全線に構内係をずらりと並べることはせず、使い分けていました。
1. 手旗の中継係が集中的に並んだ地点
秋田駅のホーム〜南側地点:発車直後、秋田駅の南側に広がる複雑な分岐器を渡りきるまでは、駅の構内係が数名並んで最後尾の機関士へ合図を繋いでいました。
秋田運転区の入り口・着発線周辺(楢山地区):回送線(小運転線)から運転区へ入る分岐点周辺はカーブしており、機関士から前方が見えなくなります。そのため、必ず構内係が立ち、先頭の操車掛からの合図を機関士へ中継しました。
2. 中間の直線区間は「機関士の直接目視」
ED78、あるいは入換用のDE10などの機関士が運転台の窓から、客車の最前部デッキで秋田駅所属の操車掛が大きく振っている手旗(夜間はカンテラ)を目視しながら、時速25km以下で押し込んでいきました。
3. 悪天候時の対応
操車掛の旗やカンテラの光が機関士から全く見えなくなった場合は、秋田駅のホーム上で機関車を反対側に付け替え運転区へ向かいました。

以下は、同じ駅の構内なので当然だが
全国で、この方法はほかにあるか

基本的には、「行き止まり式(頭端式)のホーム構造を持つか、機関車を反対側に付け替える時間や余裕がない主要駅で、この方法がとられていました。
1. 函館駅 〜 函館運転所(旧函館客車区・機関区)
到着した状態のまま五稜郭方面へ約2km近く伸びる広大な函館駅構内の留置線・運転所へと推進運転で引き上げていました。合
2. 高松駅 〜 高松運転所(当時の客車留置線)
到着すると、高松駅所属の操車掛が先頭に立ち、西側(現在のサンポート高松から高松運転所方向)へ伸びる高松駅構内の広い留置線群へ向けて推進回送を行っていました。
3. 広島駅 〜 広島運転所(蟹屋地区・矢賀地区への引き上げ)
4. 門司駅・門司港駅 〜 門司客車区
門司港駅は行き止まり式の駅であり、門司駅も関門トンネルからの列車で超過密ダイヤだったため、ホームでの機回しを極力避ける必要がありました。

途中にカーブで見通しが悪くても、これらすべての駅は、中間に構内係を置かなかったか

いいえ、途中にカーブや建物があって「先頭の操車掛」と「最後尾の機関士」が直接見通せない場所には、中間に必ず構内係を配置していました。

中間の構内係は、どうやって配置したか。貨車の入れ換えでは、その場にいったん停車して飛び降りたが

1. 駅の「各詰所」からあらかじめ歩いて(または便乗して)現地に向かっていた
これが最も一般的でした。長距離の推進運転は、不定時の貨車入換とは違い、毎日決まった時間に走る回送ダイヤ(小運転ダイヤ)」でした。カーブや見通しの悪い場所を担当する構内係は、予め駅近くの詰所から現地の配置場所まで安全な通路を歩いて移動しました。距離がある場合は、別の移動中の機関車や単機に便乗し現地へ向かうこともありました。
2. 駅構内の固定持ち場の職員が兼任していた
青森駅の滝内信号所周辺や、新潟の上沼垂、秋田の運転区入口などには、もともと転てつ器を現地で切り替えるためのポイント小屋や、信号・操車の小さな詰所が線路脇に点在しました。詰所に常駐する構内係は、自分の担当区域を推進運転で通過する時間になると、線路脇の指定位置に立ち、手旗やカンテラを持って中継業務を行いました。
客車は降りるのに不向き: 貨車は乗り降りがしやすい構造です。

客貨車の入れ換へ作業今となり知らざる人がほとんどとなる


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