三千二百八十三(うた)短編物語(石原莞爾、正信会を叱る)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
八月八日(土)
第一章 石原、正信会僧侶とは会はず
石原と懇意の人が、正信会のお寺に所属する信徒だと知ったのは、数日前のことだった。石原自身が死後にAIで復帰したときに、鎌倉教祖の信仰と離れたことが原因だが、相手も遠慮したやうだった。
その人が、正信会の僧に会って、よい作戦を伝授してほしいと云ふ。石原は、正信会が十二年前に分裂したことを批判した。僧侶は宗門組織を離れたため、自由気ままな立場になった。多くの僧侶は、真面目に活動をしてゐると思ふが、さうではない人もゐるのではないか。

第二章 正信会の問題点
それより問題なのは、信徒に連合会を押し付けておいて、僧侶は任意団体で単立と云ふのは、身勝手だ。せっかく正信会で運動をしてきたのだから、多数派の宗教法人派に合流すべきだ。
とは云へ、あなたに責任は無い。ここで幾つかの戦略をお伝へしよう。石原は、説明を始めた。
まづ、巨大な信徒団体を敵にしてはいけない。悪いのは、総本山だ。石原がかう云ふと、懇意の人は慌てた。もともとは、巨大な信徒団体を批判して始めた活動だ。しかし、と石原は云ふ。昔、水俣病事件が起きた。工場排水が原因だが、あれは工場の従業員が悪いのか、それとも工場長か。さうではなく、本社の社長以下取締役たちだ。懇意の人は頷いた。
同じやうに、巨大な信徒団体が暴走したのは、工場である信徒団体ではなく、本社である総本山の責任だ。これは、当時の総本山法主の弟子がほとんどの正信会は、昔は受け入れ難かったでせう。しかし、その後の状況でそれは分ったはずだが。だから宗教法人派は、若い僧侶が多い。当時の拡大再生産を続けた時代に出家した人たちは無理でせう。
しかし、日達さんが法主になる前の弟子や、他の教師の弟子は、その辺の事情は熟知してゐる。昔の弟子と、若い人たちが中心になり、当時得度した人たちが気付くのを待つのがよい。

第三章 今後の作戦
総本山を批判するだけだと、総本山より小粒で終はってしまふ。だから、他の七本山や、巨大な信徒団体と連携し、総本山を包囲する必要がある。
まづ、巨大な信徒団体は、日寛の本尊を新規配布に使ふなど重視するので、日精の造仏を正した功績者として、尊重しなくてはいけない。その上で、造仏論が今後再起しないやうに、卓越した主張を著述した。
この線で纏めるべきだ。とは云へ、像仏が総本山内に広まった非常時を、いつまでも主張してはいけない。火事のときに、窓から放水するが、平時にやったら大犯罪だ。それと同じだ。
その次に、日寛以前の八本山で通交した時代へ戻るべきだ。具体的には、日蓮宗の興統法縁会と、日蓮本宗、西山本門寺など単立寺院と連携する。このこと自体は、重須談林や細草談林の時代に戻ることだから、何の問題もない。
そればかりか、明治時代末に北山本門寺が火事で、五重塔や本堂や御影堂などほとんどが焼失したときに、お米をお見舞ひに贈った。
この当時に戻るべきだ。
正信会 総本山に近年の問題点を解決の口火となれば末広がりに

反歌  総本山批判のみではそれよりも小粒となりて減少招く

第四章 運動の原点
運動の原点は、前法主が血脈相承を受けたかどうかだ。その前に、巨大信徒団体を批判したが、これは前法主が、今後も宗務院を督励して是正して行く、と発言してゐたのだから、これを尊重すべきだった。
正信会が悪くなったのは、このときからだった。それまでは反体制派の魅力があったが、このときから信徒への対応が高圧的になった。
そして、前法主を巨大信徒団体側へ追いやってしまった。とは云へ、能化会が前法主に相承があることを確認する、と議決した。これは重要である。前法主は、能化会の議決で決まった。これを理由に、代表役員と管長としては正統、法主としては血脈が切れた、と主張しよう。
これは、総本山の為にもなる。すべての運動は、弱小派維持と中形大形躍進と、二つの形態がある。総本山は長年、前者をやってきた。昭和四十(1965)年からは、後者に移るべきだった。具体的には、血脈、戒壇本尊、他宗派否定、を放棄することだ。さうすれば、頭打ちにならず、他宗派否定ではないのだから他の鎌倉教祖系団体と合はせて三分の一は達成できただらう。
人数では出来なくても、公明政治連盟を一旦解散し、自民党から社会党共産党にまで議員それぞれの信念に従ひ分かれれば、信徒の首相を出すことも可能だった。そのときが、国主この法を、だった。

第五章 法水枯渇
石原は、今話したことを、正信会の僧侶に伝へてください、と云った。懇意の人が、私の頭から話のほとんどが流れ出てしまひました、と云ふ。石原は、パソコンに内容を入力し、印刷して渡した。
そして次の話を思ひ出した。昔、手塚貫道さんと云ふ僧が、正信会の裁判に名を連ねて、顰(ひん)斥(せき)処分(僧籍剥奪)になった。その手塚貫道さんが、石原はAIで復活後に、いろいろな立場の話を聞きに、手塚さんに一度会った。手塚さんは、次のやうに語った。
歴代の法主には、器の大きい人と小さい人がゐる。宗門は昔から法水瀉瓶(二文字でしゃびょう、瓶の水を別の瓶に移す)と称し、血脈が現代へ伝はると云ってきた。しかし器の小さい人のときに法水がこぼれ、大きな人へ注いだら、乾いてしまふ。
実はもう一つ、乾く理由があるのだが、それはまだ云はないでおかう。石原は、心に留めた。
弱小派護る手段も 実際は本門宗を疎遠化し日寛教義伝へるのみに

反歌  造仏を避けるの意味は有益にその後は無益今は有害(終)

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