三千二百八十二(うた)AIにトロリーバスを訊く(芝浦工場、馬道観音)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
八月八日(土)
昭和四十年代の都電愛好仲間から、次の話を訊いた。
トロリーバスの昭和町、右回りに入出庫線が張られていましたが、入庫線は掛け替えるタイプで、可動のメカは見当たりませんでした。またポールを格納しての入出庫でした。
8歳頃ですがよく覚えています。叔父に話したら電気なしでは走れないんだと怒られました。

これで思い出すのは、馬道か浅草観音の停留所で見た、ポールを下げてトロリーバスが右折して言問通りへ合流し、ポールを上げて走り去った車両である。そこで三日前にAIへ訊いたのが資料3だった。
本日になり、資料2と資料3で矛盾することに気付いた。そこで訊いたのが資料4である。
もう一つ、トロリーバスの車掌が「次は馬道観音」と云ったことがある。これについても訊いてみた。回答は、浅草観音の馬道門と云ふ意味だった。
また一つAIに訊き解決へ 六十年間分からずも一瞬にして回答を得る

反歌  AIは間違いひ多く気を付けてうまく使へば文殊の智慧に

八月八日(土)その二
AIに、トロリーバスは芝浦工場に関係したかを訊いた。納車時のみの回答を予想したが、違った。(ここから先、未整形)
トロリーバス 芝浦工場は関係したか

はい、関係しています。1932年(昭和7年)4月、日本車輌製のトロリーバス試作車が東京市に持ち込まれた際、同年4月20日に東京市電の芝浦工場に入り、翌21日の終電後に芝浦線で試運転が行われました。また、のちに都営トロリーバスの営業が開始されてからも、芝浦工場は車両の修繕などを担当していました。芝浦工場とトロリーバスの関わり試作車の試運転: 昭和初期(1932年)の国内におけるトロリーバス導入期の試作車テストの舞台となりました。車両の修繕・保守: 1952年(昭和27年)以降に営業運転を開始した都営トロリーバスの修繕業務を場内で担っていました。

芝浦工場への回送方法は

主にレッカー車(牽引車)による牽引によって行われていました。

全般検査や重要部検査は、何処で行ったか

芝浦工場で行われていました。トロリーバスは法規上「無軌条電車(鉄道の一種)」に分類されていたため、一般の都営バスのような自動車工場ではなく、都電の高度な電気・機械設備や修繕技術を持つ芝浦工場がその大がかりな検査を一手に引き受けていました。検査の場所と役割分担全般検査・重要部検査(芝浦工場): 車体をジャッキアップして台車や車軸、電気モーターなどの重要機器をすべて取り外し、分解・オーバーホールを伴う大規模な検査・修繕を行っていました。日常の点検・軽検査(各営業所の車庫): 日常的な運行前点検や数か月ごとの周期的な軽い交番検査などは、それぞれの車両が所属する戸山車庫(のちの渋谷営業所戸山支所)や今井車庫(江東営業所今井支所)の検車設備で行われていました。 なぜ全般検査は「芝浦工場」だったのか工場の圧倒的な設備規模: 全般検査や重要部検査は、車体と台車・モーターを完全に切り離し、文字通り「バラバラに分解してゼロから組み直す(オーバーホール)」作業です。これには、車体を吊り上げる大型クレーンやジャッキ、強力な旋盤、電気モーターの絶縁テストを行う専用の試験室など、莫大な費用とスペースがかかる重工業設備が必要でした。効率的な集中管理: トロリーバスの頭脳とも言える主制御器や電気モーター、コンプレッサーといった主要機器の構造は、路面電車(都電)と非常に酷似していました。そのため、すでに都電の広大な分解・修繕設備と熟練の職人・技術が集結していた芝浦工場に検査を一本化するほうが、各車庫に巨大な工場施設を新設するよりも交通局全体として遥かに効率的でした。したがって、「普段の点検や軽い修理は今井・戸山の車庫で行い、数年に一度のバラバラに分解する大手術(全般・重要部検査)の時だけ、設備が揃った芝浦工場へ運んでいた」というのが正確な役割分担となります。

今井から牽引か、上野公園から牽引か

原則として今井車庫(今井営業所)から直接芝浦工場へ牽引されていました。上野公園(101系統の起点)はただの折り返し地点(ループ線)であり、車両を留置したり整備したりする拠点ではなかったため、そこから牽引されることはありませんでした。

芝浦工場での具体的な検査期間

全般検査にかかっていた具体的な期間は、おおむね1週間から10日前後(実働7日〜10日程度)でした。トロリーバスは鉄道(無軌条電車)の法規が適用されていたため、基本的には同じ芝浦工場で検査を受けていた都電(路面電車)の全般検査の工程・日数とほぼ同様の流れで処理されていました。芝浦工場での具体的な検査期間の内訳と当時の実態は以下の通りです。1. 検査期間(約7〜10日間)の工程内訳車両が工場に滞在している間、以下のような超過密スケジュールで「分解・修繕・組み立て」が行われていました。1〜2日目:入場・解体・洗浄工場に到着した車両から、電気モーター、制御器、車軸(車輪)、コンプレッサーなどの重要機器をすべて取り外し、車体だけの状態(ジャッキアップ)にします。取り外した部品は高圧洗浄されます。3〜6日目:各部の修繕・検査・部品交換電気関係:モーターの分解・清掃、配線の絶縁テスト、制御器の接点磨きなどを行います。機械・足回り:ブレーキ装置のオーバーホール、車軸のキズ検査(探傷試験)、ゴムタイヤ周りのステアリング機構のガタつき調整を行います。車体関係:シートの補修、内装の整備、外装のキズの修繕や部分塗装などを行います。7〜8日目:組み立て(台車・機器入れ)整備が終わったモーターや足回りを、再び車体へと組み戻します。9〜10日目:構内テスト・出場試験・回送工場内の検査線やテスターを用いて、通電試験、ブレーキ試験、絶縁抵抗試験などの厳格な安全基準をクリアさせます。合格後、再び深夜にレッカー車に牽引されて各車庫へと戻っていきました。2. なぜ1週間〜10日という短期間でできたのか都電で培った「ライン生産方式」の応用当時の芝浦工場は、1,000台近い都電の検査を効率よく回すため、作業が完全にシステム化された「都電のクリニック」 と呼ばれる最先端の大型工場でした。トロリーバスの電気構造(直接制御や抵抗器など)は都電と共通する部分が非常に多く、熟練の職人たちがチームに分かれて同時並行で一斉に作業を施したため、大型の乗り物でありながら1週間強という極めて短い期間で全般検査を完了させることができました。

重要部検査は

重要部検査(主にブレーキやモーター、ステアリングなど走行・安全に直結する重要部分を分解してチェックする検査)にかかっていた期間は、おおむね4日〜5日前後(実働4〜5日程度)でした。すべての部品を文字通り「全分解」して車体の補修や全面塗装まで行う全般検査(7〜10日)に比べ、検査対象が「主要な駆動・制動装置」に絞られていたため、約半分の期間で完了していました。芝浦工場における重要部検査の具体的な工程と実態は以下の通りです。重要部検査の工程内訳(約4〜5日間)短い滞在期間の中で、安全に直結する心臓部・足回りの集中整備が行われていました。1日目:入場・部分解体・洗浄工場に入場後、検査対象となる主要機器(電気モーター、主制御器、ブレーキ弁、コンプレッサー、前輪のステアリング機構など)を手際よく取り外します。2〜3日目:集中点検・整備・部品交換駆動・電気系:モーターの内部清掃やカーボンブラシの交換、制御器の接点調整など、摩耗しやすい電気部品をメンテナンスします。足回り・制動系:トロリーバス特有のゴムタイヤを支える車軸や、命綱である空気ブレーキのパッキン交換、固着の清掃などを行います。4日目:機器の組み戻し・調整整備・テストを終えた各機器を再び車体へ取り付け、各部のクリアランス(隙間)や動作の微調整を行います。5日目:出場試験・車庫への回送ブレーキの効き具合や電気の絶縁状態を厳格にテストし、問題がなければその日の深夜、再びレッカー車に牽引されて今井車庫や戸山車庫へと帰っていきました。全般検査との違い重要部検査では、全般検査で行うような「車体全体の徹底的な修繕(サビ落としや鉄板の張り替え)」や「外装の全面塗り替え(塗装)」は原則として行いません。そのため、車体関係の作業時間が大幅に省かれ、短期間で車庫へ復帰させることができました。当時の法規(軌道法に準じた扱い)では、重要部検査は1年半(18ヶ月)以内、全般検査は3年(36ヶ月)以内の周期で実施することが義務付けられていたため、車両たちは1年半ごとに「4〜5日の重要部検査」と「1週間〜10日の全般検査」を交互に受けるために芝浦工場へ通っていました。芝浦工場で同時に何台くらい作業ができたのか

芝浦工場は、敷地面積が約6万平方メートル(現在の港区「芝浦アイランド」の大部分に相当する広さ)におよぶ東洋一とも言われた超巨大な車両修理工場でした。その圧倒的な規模から、トロリーバス単体ではなく「都電を含めた全場内」で見ると、同時に数十台規模(約30〜50台)の車両を並行して作業することが可能でした。トロリーバスに特化した同時作業台数と、当時の工場の驚異的な処理能力の実態は以下の通りです。1. トロリーバスの同時作業台数(推定)常時3〜5台程度都営トロリーバス全体の総車数は最大でも200台弱でした。検査周期(1年半〜3年)から逆算すると、全般・重要部検査のために芝浦工場に常時滞在していたトロリーバスは、常に数台(3〜5台程度)でした。工場内には、都電用のレールが敷かれた検査線のほかに、トロリーバスがジャッキアップされて並ぶ専用の修繕スペースが確保されていました。2. 工場全体の圧倒的なキャパシティ(都電+トロリーバス)広大な「車両検査棟」芝浦工場には、何本もの線路(ピット線)が並列に並んだ巨大な屋内検査棟がありました。整備中の車体を横移動させるための大型移動装置「トラバーサー」が場内に2基も設置されており、効率的に車両を各作業スペースへ振り分けていました。同時に数十台を飲み込む規模当時は1,000台を超える都電と、約200台のトロリーバスの全数をこの一つの工場で維持管理していました。そのため、工場内には入場したばかりの分解待ちの車両、塗装中の車両、組み立て最終調整中の車両などが、常時数十台(全工程合わせて30〜50台以上)ずらりと並んで同時並行で作業されていました。3. 効率化された「流れ作業」1台のスペースで全ての作業を完結させるのではなく、「分解する場所」「モーターを直す場所」「車体を塗装する場所」が完全に分かれていました。そのため、車両たちは場内をベルトコンベアのように移動しながら整備されており、「同時に何台も作業できる」というよりは「巨大な車両修理のコンビナート」として機能していました。
(終)

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