三百二十七、電話は世につれ世は電話につれ(その一、懐かしのプッシュホン指定席予約の廃止)

平成24年
十二月二日(日)「プツシユホン予約の廃止」
来月末で旧国鉄のプツシユホン指定席予約が廃止になるさうだ。実に感慨無量でこの記事を読んだ。なぜなら私の個人の国内旅行はほとんどプツシユホンで予約したからだ。独身時の国内旅行は九割が寝台車だつた。私は結婚が37歳で当時としては極めて遅かつた。だから人生の多くをプツシユホン予約のお世話になつた。もつとも今では結婚年齢が上がつて37歳は普通となつてしまつたが。
ほとんどが寝台車なのは理由がある。私は平衡が好きといふか衰退するものを見ると無性に応援したくなる。だから中学高校のときは都電を応援したし、その後は客車(機関車で牽引する車両)を応援した。寝台車はほとんどが客車だつたから旅行は必然的に寝台車になつた。

十二月三日(月)「プツシユホン予約の利点」
プツシユホン予約のよい点は、予約しても8日以内に寝台券、特急券、指定券を購入しなければ予約が取り消されることだ。乗り継ぐ先が予約できなかつたり旅館が予約できなくて日程を変更するときも、安心して予約できる。だからといつて無責任に席を確保するやうなことはしない。私の記憶では二十回くらい予約したが、購入しなかつたことは一回だけである。そのときもみどりの窓口に行つて取消し方法を相談したら「そのままにしておけば自動で取消されます」といはれてそのままにした。
プツシユホン予約には欠点が二つあつた。みどりの窓口では一ヶ月前の10時からだが、プツシユホン予約は一ヶ月前の11時からである。人気の高い寝台券、特急券、指定券は一時間で売り切れてしまふ。しかしさういふ列車は乗らないから一番目の欠点はまつたく問題にならなかつた。
二番目の欠点は電話番号が#9500だから、プツシユホンだけしか接続できない。私は実家近くの公園の公衆電話からいつも申し込んだ。満席のときは自宅に帰り日程をあれこれ考へてまた公園に向つた。歩いても3分なのに自転車で行つた。
後に電話は電電公社以外の電話機も使へるやうになり、ダイヤル回線で接続の後にプツシユに切り替へる機能がついた。プツシユホン予約も#9500だけではなく普通の電話番号も使へるやうになつた。我が家から予約が出来るやうになつた。

十二月六日(木)「一般周遊券」
私のようなプロレタリアートにとつては普通の切符で旅行することはできない、といひたいが当時は独身貴族だからカネは余つてゐた。しかしJRは許し難い。国労を見捨てて自分だけいい思ひをしようとしたJRに利益を与へるのは嫌だから、旅行は一般周遊券を使ひ、せめて悪徳JRの利益を最小化するよう務めた。
あと一筆書き切符もよく使つた。例へば中国地方に旅行する場合、往路は東海道山陽線経由、帰路は山陰小浜北陸線経由にした。JRの運賃は300km以下は16円20銭/Km 、300kmから600kmまでは12円85銭/Km、600kmを超えると7円05銭/Kmだから重なる区間がなく一筆書きで往復1000Kmの切符は11970円、片道500Kmの切符2枚は7670円掛ける2で15340円。一般周遊券だからこの二割引であつた。

一般周遊券はJRでは販売しない。旅行会社で購入した。周遊して位置を2箇所だう設定するかが腕の見せ所だつた。正しい申し込みはなかなか一般の客にはできない。旅行会社も手間が掛かるから待遇が悪く発券まで何日も待たされた。唯一JTBトラベラントはすぐ発券してくれた。後にJRも駅の旅行センターに旅行業務を始めたが一般周遊券は扱はなかつた。これは悪徳商法の典型だ。やはり予想どうり他の旅行会社から苦情が出たのだらう。一般周遊券は歴史が長いのに廃止された。

十二月八日(土)「指定席往復割引切符」
国鉄がJRになつたつてからだらうか指定席往復割引切符が出現した。この切符は乗車券と特急券指定席を組み合わせたもので割引されてゐた。しかしこの組み合はせは一回も利用したことがない。時刻表に星印の付いた切符はB寝台が利用できる。独身貴族といふこともありこの組み合はせでたくさん利用した。金曜に仕事が終つたあと寝台列車で福岡に行き、土曜は福岡に一泊して日曜夜の寝台列車で東京に戻り出勤したこともある。西鹿児島まで往路は東京発の「はやぶさ」で行き、復路は大阪行き「なは」で大阪に着いたあと新幹線で帰つたこともある。大阪と九州を結ぶ寝台列車に一回は乗つてみたかつたので。その後、指定席往復割引切符から寝台列車を使ふ場合の大部分が「往復割引切符(組み合わせタイプ)」として独立し、従来の「指定席往復割引切符」で東京から乗れる寝台列車は酒田、鶴岡、象潟だけになつた。だから金曜夜に酒田に行き、早朝のうす暗いなかを街中を酒田港など一通り歩いて見て回り、明るくなつてから観光地をもう一度見て回り、駅前の箱物建設で作られたレストランに閉店30分前に行き、閉店後は寝台列車を深夜まで駅の待合室で待つた記憶もある。よほど寝台列車が好きだつたのだらう。といふより客車が好きだつた。電車は嫌いだつた。
今、インターネツトで「指定席往復割引切符」を調べると、JR北海道の始めたr切符といふものしか出てこない。指定席往復割引切符は既に忘れ去られてしまつた。

十二月十六日(日)「青春18切符」
結婚して妻は主婦として子育てに専念したが、決して独身貴族が終止したわけではなかつた。終止したのは上の子供が幼稚園に入園してからだつた。下の子供も含めて教育費にカネが掛かるやうになつた。だから野田などシロアリ政治屋どもが消費税、消費税と叫ぶのを見ると、日本のシロアリ政治屋は本当に国民のことを考へないのだとよく解る。
このころから指定席往復割引切符の使用はなくなり、専ら青春18切符を使ふやうになつた。或る年は木曽、別の年は新潟など近場から始まり、富山、宮城、石川、秋田、紀伊半島一周、舞鶴、鳥取と年々遠くなつた。鳥取は一日では無理だから岡山に一泊して鳥取へ行き帰りも広島かどこかに1泊して東京に帰るため、東海道線の米原から沼津辺りまでは毎年の馴染みで乗つてゐて憂鬱になつた。
本州で残りは山口県だけである。まだ実行しないまま四年位経過した。私も年齢を重ねてきたから、もう無理かといふ気もする。

十二月二十日(木)「プツシユホン指定席予約を使用しなくなつた」
青春18切符はかつては5枚が独立してゐた。結婚前に往路は普通の乗車券と寝台券で熊本まで行き、そこで青春18切符を購入し夜行快速で大阪まで来てあとは各駅停車と快速で埼玉まで帰つたことがある。首都圏は指定席発券装置で発券するがそれとは違ふ最初から印刷された青春18切符に感激した。
青春18切符は各駅停車と快速のみに乗車できるから、結婚後5年ほどしてからはプツシユホンで予約する機会はなくなつた。このころから青春18切符はチケツト屋の転売を防ぐため5回分が1枚になつた。青春18切符は旧国鉄から続く最も社会に貢献する切符である。それはローカル線の乗客を増やし地域振興に役立つからだ。一般周遊券も指定周遊地を2箇所巡るため地域振興に役立つたが廃止になつた。
青春18切符は複数人が同時に乗れなくてもよい。ローカル線をのんびり旅行したい人のために一人が五回でよい。そのようにして今後も永く地域振興に役立つてほしいと思ふ。

十二月二十二日(土)「鉄道と地域経済」
一般周遊券の廃止は地域経済に極めて悪い影響を与へた。今までは周遊指定地を2箇所回るため地元の鉄道やバスで山奥まで行つたからだ。指定席往復割引切符の出現も地域経済に悪い影響を与へた。その指定席往復割引切符さへ今ではほとんど無くなり、やたらと雑多なトクトク切符が出現した。善良な国民からは通常料金を取り、出張など多数乗車するところは割引するといふ実に公共性を無視した切符である。
国鉄の末期と今のJRは似てゐる。どちらも公共性を人質に堕落した最悪の状態である。


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