三千百九十八(うた)短編物語(石原、秀次の参謀に)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
五月一日(金)
第一章 秀次の未来を見通す
桃山時代に、唐土と暹羅(二文字でシャム、今のタイ)で修行した僧が、帰国した。未来を見通す神通力を身に付けてゐた。貴族の間で、当たると大評判になり、秀吉から関白を譲られた甥の秀次は、早速屋敷へ呼び寄せた。
僧は未来を見終はったあと、関白殿下に対して恐れ多くて云ふことができませぬ、と身を震はす。遠慮はいらぬ、わしから頼んだことだ、と云ふと、恐ろしくて喉が強ばってしまひました、と云ふ。
気が小さいのう、と笑ひ、甘い味のする飲み物を一杯持って来させた。それを与へると気分が落ち着き、「今のままだと、今のまままったく変はらない場合、殿下は或る偉きお方から切腹を申し渡され、更に妻子は全員死刑になります。あ、少しでも変へれば、状況は変はります」と、聞こえるか聞こえないかの小さな声で答へた。
少しでも変へれば、は意味のないことだ。現状だとどう進むのかが分からずに、変へることはできないからだ。関白が、具体的にどう変へたらよいのか、と尋ねると、右近衛中将石原莞爾を参謀にするのがよいでせう、と答へた。
左近衛中将は、織田信長の嫡男信忠が生前任じられたので、石原はこの時代、右近衛中将に自分から願って格下げになってゐた。
第二章 石原莞爾登場
石原が、関白秀次の前に現れた。右近衛中将と云っても、称号なので質素な身なりであった。その少し前に、太閤秀吉に子が生まれた。お拾ひ、後の秀頼である。太閤からは、日本を五つに分け、四つを秀次に、一つを秀頼に与へる、と秀次に伝へられた。
この件で、太閤にどうお礼を述べたらよいかが、石原への最初の質問になった。石原の答へは、額面どほり受け取ってはいけませぬ、丁重に辞退し、お拾ひ様を養子にして、すべてを引き渡したい、と申し上げるのがよいでせう。
これには、秀次の顔が真っ赤になった。拾ひは、太閤の子ではないのだぞ、あれだけ子のできなかった太閤に、二回続けて子が出来る訳がない、と不機嫌さうに云った。
石原は、そのやうなことを云ふと一族皆殺しになります、と慌てて云ひ、太閤に子の捨丸が生まれたときに、聚楽第の壁に秀吉の子ではないと落書きがあり、警備の武士17人の耳と鼻を削ぎ落とし逆さ磔した。さらに、町人など六十人以上を六条河原で処刑した事件を説明した。
秀次にとり事件は初耳だったが、それより暹羅から帰国した僧と、石原が、同じ事を云ふので戦慄を覚えた。僧には固く口止めしたので、石原が知る筈は無かった。
暹羅からの僧と石原云ふことに違ひは見えず皆が驚く
第三章 正直が肝要
太閤秀吉から、お拾ひと秀次の娘を、婚約させたい、と回答があった。どちらも幼児である。石原は、関白が疑ってゐます、婚約を有難くお受けするとともに、お拾ひ様を養子にしてすぐ元服させ、関白職と豊臣家長者を譲る、と申し上げてください、と述べた。
秀次は、前回に続いて顔を真っ赤にした。太閤とは、関白を退いた者のことだぞ、しかも豊臣家の当主は私だ。太閤には、何の力もないではないか。
石原は、左大臣や右大臣と同じで、関白にも力はありません。豊臣長者も、朝廷が任命しただけで、力はありません。今は、太閤に逆らってはいけませぬ。
石原は、間投詞のつもりで「今」と云ったが、秀次は此処に真意があると勘違ひした。太閤が亡くなったら廃嫡するのか、と薄笑ひするので、二心があると態度に出て分かってしまひますし、心が悪くなります。すると、家臣たちが反乱することは、信長公の前例があります。お拾ひ様を大切に扱ひ、将来に家臣たちの希望に従ひ、関白家を続ける配慮が必要です、と述べた。
欲に負け二心ありと見抜かれる その上性格堕落して神仏人と皆が見捨てる
反歌
貪瞋痴超えることこそ仏法の根幹にして二心なし
第四章 秀頼の処遇
秀吉が亡くなり、第二太閤の秀次は、正真正銘の太閤になった。秀頼は成長するにつれて、秀吉と似るところはまったく無かった。噂になった大野治長とは、似るやうでもあり、似ないやうでもあった。新たに出た噂は、真の父親は秀吉が探し当て、処刑した。これはあり得る。父親を処刑したのなら、秀吉は養父になったつもりで、大切に育てただらう。
秀頼の豊臣家は貴族として摂関家、秀次の豊臣家は武士として将軍家。役割を分担した。親戚なので、片方でお家騒動が起きたときは、もう一方が助けた。双方の婚姻と養子も何回かあり、本物の親戚にもなった。そして黒船が現れて十五年後まで、豊臣幕府は続いた。
平家にも清盛は武士時忠は貴族惜しむは前者滅びる(終)
(5.02追記) 三百数十年後の変化
貴族豊臣家が摂関家筆頭になったことで、今までの五摂関家は消滅した。三百数十年後に、近衛文麿が首相になることも無くなった。日華事変で、近衛が辞職をちらつかせることもなくなり、参謀総長宮、多田参謀次長らは、和平を貫徹できた。
近衛が、国民政府を相手にせず、と発言することもなく、多田陸相に天皇が反対する理由も無くなり、多田陸相は石原を参謀次長に任命。日華事変は、無事解決した。
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