三千二百一(うた)(モリカケ桜フジ河柳ジャニーズ藪黒敗トリー放債カルト裏安)東條英機と岸信介
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
五月十三日(水)
東條英機について、次の逸話がある。昭和の初めに陸軍大学で
兼務教官たる梅津大佐より「軍制」の講義を受け(中略)文官の軍部大臣可否を学生数名に試問されたが、その得失を説くのみで結論は述べられなかった。これに反しその後、やはり兼務教官の東條中佐は本問題について「文官大臣が宜しい旨」を宣べた学生に対し、あたかも国賊であるかの如く、鞭を折れんばかりに曲げて叱咤された(額田担『陸軍省人事局長の回想』)
東條を官僚としては優秀とする見方が一部にあるが、憲兵隊とつながりの強い偏狭な男、が正解であらう。次の陸相を誰にするかについて、東條は人事が偏狭過ぎる点が難点とされた。
そんな男に気に入られ、始めは商工相、後に国務大臣兼軍需次官になった、岸信介の人間性も想像がつく。梅津大佐とは、最後の参謀総長。ミズーリ艦上に二列づつ並んだときに、先頭で外務大臣重光葵の隣に立つ男である。
五月十四日(木)
開戦責任は、東條と武藤章。敗戦責任は、岸と東條。戦後のカルト呼び込みは岸。カルト広告塔は安倍。円安による第二の敗戦は安倍。
このうち最後の円安は、対ドルで見ても円安が進んだが、ドルも暴落してゐるから、それほど目立たない。対ユーロで見よう。二千二十三年の初めは百四十円だったものが、今は百八十五円。33%も暴落した。対ドルだと百三十五円が百五十八円なので、17%と目立たない。
五月十五日(金)
東條と武藤について説明すると、東條は開戦時の首相兼陸相であるばかりか、首相になる前は陸相として強硬に開戦を主張した。武藤は、日華事変の拡大に重大な責任がある。だから二人とも、A級戦犯として死刑になった。因みに岸信介は、二人が死刑になるまで、A級戦犯として巣鴨刑務所に拘束されたままだった。決して無罪ではない。
ところがNHKスペシャルのドラマは、よりによって東條と武藤を美化した。安倍に忖度する人間が、まだNHKに残存するのか。
陸軍の最初の派閥長州閥 永田小畑と岡村がドイツ保養地温泉地バーデンバーデン盟約し後に陸軍主流派へ 小畑と永田その後は意見対立分裂し 小畑の属す皇道派永田惨殺二二六へ
反歌
東條と武藤は永田の猿真似も能力思考大きく劣る
反仏頭石歌
武藤対華に 東條は対米英を半年前独ソ開戦放棄すべきに
東條と武藤は、永田の考へを引き継いだと云はれるが、永田が惨殺された四年後に、独ソ不可侵条約が締結された。更にその二年後に、独ソ戦争が始まった。世界情勢が二度も大きく転換したのに、永田の考へをそのまま引き継げば、敗戦するに決まってゐる。
そして、その戦争で資源輸入と工業の責任者が、岸信介であった。
五月十六日(土)
あのドラマでは、鉱物資源、海運力、工業力で、日本必敗を明らかにしたが、近衛が耳を貸さない描き方だった。しかし東條は、陸相として発表を聴いた筈だ。なぜ陸相としての強硬な姿勢を止めなかったのか。首相になった後に、あの発表を活用しなかったのか。
しかし一番の責任者は、商工相の岸信介だ。岸は、貿易と工業の責任者なのだから、開戦の詔書への署名を辞退するか、辞任すれば、戦争は防げた。戦前の制度では、首相に大臣の罷免権は無かったから、一人でも反対か辞任すれば、内閣は倒れた。
分かりやすい例を挙げると、日本国内に二大自動車製造会社があるとする。一社がもう一社に対して電気自動車で最終競争を仕掛けた。しかし材料輸入力と工場生産力は、相手が遥かに上だ。それなのに材料調達製造本部長は、そのことを指摘しなかった。その結果、本気を出して製造を始めた相手の会社に負けて、倒産した。(終)
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