三千百四十一(うた)最新の歌論(助詞、表現の工夫、電車唱歌の歌詞を鑑賞)
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
三月八日(日)
三千百四十の三首について「鉄道の値上げは前に行く旅を 博物館や横浜市池袋及び新宿と一回りして終着駅へ」は、助詞が重複しないやう工夫した。反歌の「 値上げのち都営交通に乗ることへ負担は軽く庶民の智慧を」は「「値上げのち」に表現を工夫した。普通なら「値上げ後に」。
格助詞や副助詞などは気にせずに詠む美しさ歌作りかな

三種目の「酒と菓子体に悪しこれからは甘みを断ちて般若控へ目」は、「般若控へ目」に工夫をした。甘味は断ち、般若湯は控へめ、と少し差がある。般若の語源は、智慧だ。しかし一般には、般若のお面を連想する。
断つよりは控へるほうが軽めにて般若表と裏の意味あり


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三月九日(月)
電車唱歌は「玉の宮居は丸の内」で始まる歌が、一般には知られる。正式名は「東京地理教育電車唱歌」だ。これ以外に三つあり「地理教育電車唱歌」「地理教育市街電車唱歌」「地理教育外濠電車唱歌」で、かつての東電、街鉄、外堀線の三社に対応したものだ。。
後者三つの歌詞を比べると、外堀線が一番気に入った。特に10番「千歲變はらぬ常磐橋 其名床しき鎌倉の 河岸に漣打ちよせて 岸の石垣苔深し」、14番「秩父甲斐󠄁が根遙かにも 見えて名に負ふ駿河臺 登りつめたる今此處は 音に聞こえしお茶の水」、53番「都󠄀の塵を打拂ふ 心字の池に大鶴が 噴出す水に虹映り 木間に蟬の友とを呼ぶ」。
街鉄では、玉川上水が詠まれただけの理由で11番「堀を越ゆれば傳馬町 浮世の辛き鹽町や 昔誇りし玉川の 上水過ぐれば新宿ぞ」、同じく十二社は玉川上水の助水路があったので12番「瀧の音(ね)絕えぬ十二社󠄁 つゝぢに名を得し大久保も 近き邊(ほとり)の名所にて 淸き遊びに興深し」。
鉄道唱歌の「梅に名を得し大森の」を思ひ出すが、本歌取りではなく、模倣と取られてしまふ。本歌取りだとはっきり分かる必要を感じた。
三つとも1905年で、作詞者、作曲者は同じ。出来不出来の理由は分からない。和歌を鑑賞するときも同じだが、ある人の出来栄えを評価するときに、最高、最低を見る。小生は、作った歌は捨てないので、推敲が大切だと感じた。
維新後の明治三十八年に 三つの電車唱歌から 得る事多し教訓多し

反歌  東京の路面電車がほぼ消えていそ年経つも心に残る(終)

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