三千百三十七(うた)原丈人「グローバルな時代、英語くらい話せなければ」の末路
丙午(西洋地球破壊人歴2026)年
三月五日(木)
PresidentWOMANのホームページに
20年後、日本の首相がベトナム人でもおかしくない…「グローバルな時代、英語くらい話せなければ」の末路
が載った。
日本で過熱する英語教育は本当に必要なのか。ベンチャーキャピタリストの原丈人さんは「文化は言語によって伝わっていく。英語教育が過熱し、日本語の重要度が下がっていけば、日本の文化、伝統が大幅に傷つけられた状態になる」という――。
※本稿は、原丈人『THE BEST WORK 「最高の仕事」を生きる』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
同感である。だから小生は、朝日新聞船橋洋一の英語公用語論が出てきた途端、親米から反米に一大転換した。
9歳のとき、私は両親に連れられて初めての外国である香港へ行った。(中略)父はどうして9歳の私を香港に連れて行こうと思ったのか。私が中学生になって英語を習い始めた頃、その理由を話してくれた。
「英国の植民地下にある香港で、アジア人がいかに英国人から差別されているか。その現実を見せておいたほうがいいと思った」
父によると、香港の後、私をベトナムにも連れて行く予定だったそうだ。ところが、ときはベトナム戦争が激化する直前。ケネディ政権による北ベトナムへの空爆が開始されたことで中止にするしかなかったという。
父がベトナムで見せたかったのは、アメリカが支配している南ベトナムの現状。つまり、あの旅行で英米が強い影響力を発揮しているアジア諸国がどんな状況にあるのか、子どもながらに感じ取ってほしいという思いがあったのだ。
「香港人なのに香港に住めないなんて、おかしい」
そう聞かされて思い起こすと、(中略)例えば、「香港人立ち入り禁止」の看板。
街の至るところで香港人が入ってはいけない場所が存在していたのだ。(中略)また、香港島には「荷李活道(ハリウッド・ロード)」と呼ばれる有名な道路がある。当時、この道路よりも標高が高い場所には、香港人の居住は禁止されていたそうだ。
「香港人なのに香港に住めないなんて、おかしい」と9歳ながらに衝撃を受けたことを覚えている。
高齢者を除き、多くの日本人は、かう云ふ時代の香港や南ベトナムを見たことがない。小生は、返還前の香港へ一回行ったが、イギリスは、外国の眼を気にするのと、返還後を見据ゑて中国より統治が優れてゐると宣伝したかったのだらう。これらは影を潜めたが、香港人への社会保障が無いことは、何かで読んだことがある。
でも、それ以上に9歳の私にとって衝撃的だったことがある。
子どもたちが広東語と英語を話すことだ。(中略)白人に国を押さえられると、自国の言葉が奪われ、征服した国の言語である英語やフランス語、スペイン語に「上書き」されていく。(中略)ある国を植民地にしようと考えたら、その国の「言語を奪う」のが一番の早道だ。
フィリピンが今も貧しいのは、大航海時代にスペインの植民地となり、元々あった言語をスペイン語に上書きされただけでなく、さらにその後、米西戦争でアメリカに植民地化されて英語に上書きされたからだ。
(中略)島々にあった独自の文化は失われ、今のフィリピンでは英語の他にタガログ語をベースに人工的につくられたフィリピノ語が使われている。(中略)彼ら独自の文化が失われてしまったのだ。
フィリピン語を検索するとWikipediaに
タガログ語では英語の語彙をタガログ語に置き換える傾向があるのに対し、フィリピン語では英語の語彙が直接用いられていることも指摘されている。
(中略)ほとんどのフィリピン人は、フィリピン語の他にも出身地の言語を用い、またアメリカ英語も広く用いられている(中略)今ではタガログ語に英語が混ざったタグリッシュ(Taglish)と呼ばれる言語を話す人も多い。
NHKが、突然「キックバック」を繰り返したやうに、日本でも日本語をジャパリッシュに変へたい悪人どもがゐるので、注意が必要だ。
今からは四半世紀の前になる 朝日新聞怪しげな記者が英語の公用語 首相の私的懇談会第二を付けた公用語 首相は急死立ち消へになる
反歌
日本語を壊さうとする売国奴皆で阻止して子孫の為に
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