三千九(朗詠のうた)科学博物館二回目訪問記
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十一月二十三日(日)
前回に続いて、科学博物館へ行った。前回は、D51が無いのでJRか東武鉄道か真岡鉄道で現役復帰か、と思ったが入り口側の階段途中にあった。
今回は日本館を観た。江戸時代の暦で、一つは伊勢内宮、それ以降は伊勢度会郡。此の違ひが興味深かった。その直後は天球技に混ざり、一つだけ地球儀。これも貴重だ。

暦

地球儀(赤の右上が日本列島) (赤が唐土、その下が天竺)
室町時代に、定時法の時計が西洋から日本に入った。ところが日本は定時法が不便な為に、不定時法で表示できるやうに時計を工夫した。枕時計の語は、祖母か昔使った。明治以降の柱時計は、昭和三十年代は稼働してゐたことを思ひ出した。日時計は、小学生の時に腕時計式のものを、お菓子の付録だったか、あったがまったく使はなかった。児童遊園に時計があった為だ。
日本を、面積と緯度(南半球を含む)が類似するイギリス、ニュージーランドと比較すると、固有哺乳類/哺乳類で種の数が、日本は48/107、イギリスは0/42、ニュージーランドは3/3。小生の予想は、ニュージーランドは南半球で島密度が低い、イギリスは欧州に近いので開発が進み少ない、と予想した。映画を観ると、ニュージーランドは大陸からの分離が古く、イギリスは新しく、日本は何回か繋がったり離れたりしたことが、原因だった。
イノシシとシカの例から、北へ行くほど体が大きくなり、かつては亜種とされたが、今は環境適合とされた。北海道のヒグマは三つの遺伝子群に分けられ、氷河期の別の時期に別の経路(本州、樺太、宗谷海峡)で来た。以上を興味深く観た。
日本人の起源は、旧石器と縄文の関係はよく分からない、弥生人は北九州と本州西部の渡来系弥生人と、それ以外の地域の縄文人の特徴を残す従来系弥生人。別の展示で、縄文時代と弥生時代は、人口がそれほど変はらない。Y染色体とミトコンドリアDNAの、東アジア人の比較。日本人は、Y染色体のD群が異常に多いが、小生は火山性土壌による適合と見た。D群が火山性土壌に一世代当り0.1%人口増加をもたらすとすると、弥生時代から今に至るまでに膨大な変化となる。
縄文時代後期から稲作が行なはれたことと、弥生時代から田圃の水張りが行なはれたことは、興味深い。現代の話題に戻り、米の値段が高騰したのは、弥生時代のやり方を今でも使ふからだ。
アケボノゾウ、トウヨウゾウ、ナウマンゾウがかつて日本に棲息した。今は、エセ保守だゾウ、が棲息するが、は冗談である。ゾウの系統図も載る。上野動物園でもゾウの系統図を展示するが、ナウマンゾウがアジアゾウやアフリカゾウと同じ世代であることは、興味深い。

熊(中央下に光が反射するので白色に塗った 日本人の遺伝子 象
なぜ黒潮(暖流)は貧栄養で、親潮(寒流)が冨栄養なのかは、1ヶ月ごとに植物プランクトン量と海面水温を表示する画面でよく分かった。水温が高いとプランクトンは少ない。水温、日照量、鉛直的な水の循環、が鍵だ。
昆布は、江戸時代には蝦夷地からの輸入だった。西日本でも昆布料理があるのは、松前舟だった。

黒潮と親潮 江戸時代の昆布
以上、極めて充実した半日(仕事終了後に出掛けた)だった。一階の正面出入口を内側から見て、なるほどかつてはここから出入りしたのに今は地下なのかと、納得した。一階入ってすぐの狭いホールは、かつては恐竜の骨だったが、今はイベント用で次の展示を準備中だった。地下へ降りる階段にD51、地下から上がる階段に鯨の像。これは昔と変はらない。前回は混雑で、宇宙館しかよくは見れなかったので、今回は日本館のみに集中した。
夏草の野に生きる虫鳥けものうをとくさ木と人のため 科(しな)を学ぶの行き先変へよ
反歌
よろづ年越え作られた星と人生き物のため科は向かふや(終)
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