二百九十九(乙)、広野町と楢葉町を訪問

平成二十四年
八月二十日(月)「旧検問まで」
小出氏の講演を聞いて、避難を余儀なくされた人々の故郷を訪問することにした。当初は日帰りで行くことにした。家を朝5時半に出て常磐線広野駅に11時過ぎに着く。3時間で見て周り午後2時過ぎに広野駅を出発し家に夜8時半に着く。妻が見かねて一泊したらといふので一泊4000円以下を探した。やつと郡山に見つけた。

広野町内は警戒区域ではないから人が住んでゐる。あちこちで業者が除染作業をしてゐた。作業員は皆マスクをしてゐる。私はマスクを着けずその横を歩いて行く。作業員は8時間だからマスクを着けるが私は横を15秒程度通るだけだからマスクは使はない。もつともマスクは持つてこなかつた。例へ持つてきても暑いからたぶん着けないだらう。
8月9日までは広野町と楢葉町の町境に警戒区域の検問があつた。ここから先は原発関係者しか入れない。しかし10日から楢葉町が警戒区域から解除され避難指示解除準備区域になつた。立ち入りはできる。しかし居住する事はできない。居住のための商店も営業できない。自宅を修復したり、電気水道道路の修復するための区域である。夜は無人だし街灯がない。検問がなくなつた分、盗難の危険がある。だから消防団などの自主パトロールが頻繁に行われてゐた。福島県警のパトカーも頻繁に走つてゐた。だから一般の人は準備区域には行かないでほしい。
インターネツトで予め調べた情報では9日まではJヴイレツジの横に検問があり、その手前にコンビニがある。ところがコンビニはなかつた。1キロほど手前にはあつた。車から見れば1キロは手前なのだらう。ここから先は商店は一切ない。戻る時間はないからそのまま進むことにした。

八月二十一日(火)「新検問まで」
準備区域になつたとは言へここから先は死の町である。道路に沿つた民家や工場や医院や商店はみな無人である。国道6号を北上し新しい検問までを往復した。歩く人とは一人もすれ違はなかつた。普通の人は放射性物質が恐いから徒歩では来ないだらう。しかし車で首都圏などから来た人は少しはゐると思ふ。だから火事場泥棒を防ぐためのパトカー、自主パトロールの車とたくさん出合ふ。
医院の入口に貼紙があつた。休診のお知らせだらうと読むと、車椅子で補助が必要な人は受付に申し出てください、と書いてあつた。休診のお知らせを貼る時間さへなく慌しく避難したのだらう。
国道6号を自家用車や工事用車両に混じりときどき観光バスが走る。観光客はもちろん乗つてゐない。乗つてゐるのは水色の雨合羽のようなものを着てマスクをした人達である。ご苦労なことである。福島第一原発とJヴイレッジを往復するところであつた。Jヴイレッジには作業基地がある。これらの人達の尽力で首都圏の安全が保たれてゐる。

八月二十二日(水)「新検問にて」
検問の手前で停車する車を見てゐたら、2分ほどで警察官が来たので立ち話をした。本当は不審者がだうか調べてゐるのである。ソフトな口調のなかに、どこから来たか、職業はと質問してきた。政党関係者かマスコミか不審者かなどを調べるのは警備する者として当然である。制服に大阪府警と書かれてゐた。少し雑談をしたあとで大阪からわざわざご苦労様です、と友好的に分かれた。
警察を警備警察、検察公安調査庁を公安警察と分け、警備警察は国民の生活を守るのだから集会やデモ参加者は友好的に接する。このことは重要である。これに失敗するとかつての学生運動のように激減するし、成功すると官邸前デモのように増大する。
出発前に調べたインターネツトでは、旧検問のときも大阪府警の担当だつた。交代で勤務するのだらうが、わざわざ福島県までご苦労なことである。

八月二十三日(木)「広野駅へ戻る」
広野駅へ戻ると足首の周りの筋肉が痛くなつた。足首が痛くなつたことはここ35年くらいなかつた。検問所まで何時間掛かるか判らないからかなり足早に歩いた。しかも歩きを止めたのは警察官と話した3分間とコンビニで昼食を買つた5分間だけだつた。昼食は歩きながら食べた。
駅に着いた後は電車の発車まで1時間あるから海岸に行つた。壊れた堤防や民家の土台だけ残つたものがあちこちにあつた。屋根に青色のビニールを敷き大きな石で止めた家も何軒もあつた。

八月二十四日(金)「磐越東線」
この日は磐越東線で郡山まで行き、そこで宿を取つた。後で判つたことだがいわき近辺は原発の作業員がたくさん宿泊してゐる。それで宿の予約できなかつたのだつた。いわき湯本温泉では作業員専用、作業員一般客用、一般客専用と旅館が三種に別れて営業してゐる。観光客激減に苦しむ旅館側と疲れを癒す作業側で双方が共栄できてよかつた。
いわき市では一部に作業員受け入れに反対する声があつたさうだ。それはよくない。原発の安全を守る作業員を温かく受け入れるのは国民として当然のことだ。がれき受け入れも同じである。がれき反対を叫ぶ人は自分勝手が過ぎる。

夕方にいわき駅から乗つた列車は小野新町止まりで、郡山から来た列車も小野新町で折り返す。待ち時間に街に出た。小野新町は駅前に旅館が幾つかあつた。ビジネスホテルではなく旅館のある街が日本には似合ふ。

八月二十五日(土)「Jヴイレツジ」
次の日は磐越東線で広野に戻り、旧道を通つてJヴイレツジに行つた。立ち入り禁止ではないところまで中を歩いた。プレハブ作りの独身寮、食堂、コインランドリーがあつた。独身寮は一ヶ月1500円、食堂の朝食と昼食は200円、夕食は400円である。Jヴイレツジの奥は立ち入り禁止だが隠し撮りしてくれた殊勝な人がゐてYoutubeで公開されてゐる。作業衣を着替へるところ、線量計を受け取るところ、帰つてきたあとに体に放射性物質が付いてゐないか検査する機械などがある。
昨年の3月は自衛隊の戦車やヘリコプターが出入りし、放射性物質を洗浄するなど大変な騒ぎであつた。
Jヴイレツジを出た後は、東電の広野火力発電所の敷地に沿つて歩いた。発電所は操業してゐた。敷地の一部を海浜公園として公開してゐる筈だが門は閉まつてゐた。発電所の敷地が終ると左右は荒野になる。右側に広野町の廃棄物仮置き場が見へた。300mに亘り除染した土の入つたビニール袋が山積みになつてゐる。道路との境に高さ2mくらいの盛り土がある。広野町のホームページによると30cmの覆土で98%の放射線を遮蔽するさうだ。しかし盛り土の上から見えたビニール袋の放射線は私を直撃したのではないのか。そのことは家に帰つてホームページを見てから判つたが、四六時中滞在した訳ではないから大丈夫である。
1Kmほど歩いたところに川がある。橋は津波で流され工事中だつた。悲惨な事件が起きたのはその直後である。去年も今ごろ悲惨な事件が起きた。夏に小旅行をすると起きるようだ。川幅は5mだが見渡すと1m半のところがある。土手を10m降りて狭い部分に行つた。助走しないと飛び越へられないが後方に助走の余地がない。土手を再び上がり迂回すると初めての道だから時間が読めない。水深は20cm、川幅は2歩だからそのまま歩いて渡つた。運動靴の中が水浸しだから土手で靴下を脱いだ。家に帰つてから妻に靴下に砂が付いてゐたと言はれたがこのとき付いたものだらう。暫く歩くと共同水道があつた。道路下の水道管が破損したから道端に水道管を仮設し共同の蛇口があつた。そこで足と靴を洗つた。帰りの電車に6時間乗つても靴は乾かなかつた。

八月二十六日(日)「JRは官僚主義だ」
役所は非効率である。民間並みに改善すれば消費税の増税は必要ない。そのことを今回も感じた。JR東日本である。民営分割して二十年。いわき近辺には競争相手がないから役所みたいなものである。
広野駅に到着した列車は扉を開けて乗客を全員降ろしたら扉を一旦閉める。運転手と車掌がホームを歩いて最前と最後尾を交代の後に、扉を開けて乗客を乗せて折り返す。ところが一日目に、最初に開けたときに乗つた人が五人くらいゐた。たまたま間違へて乗つたのだらう。数分後に再び開けるからそれまで車内に待機すれば済む。ところが二日目にも同じことが起きた。つまり運転手も車掌も全員降りたかどうかは関心がない。単に言はれた通りに扉を開けて閉め、ホームを歩いて交代したら再び開ける。中に乗客が何人もゐることは見へるのに何もしない。実に無駄である。
もう1つある。いわき駅や湯本駅は磐越東線の無人駅で乗つた人が多いから、自働改札機は空いてゐるのに有人通路に長い列ができる。精算機を設置すべきだ。或いは磐越東線は本数は少ないのだから、到着時に磐越東線のホーム係員に精算を兼務させるべきだ。

八月二十八日(火)「東電のしたことは犯罪だ」
放置された家屋や商店や事業所。東電は厖大な数の平和な家庭を破壊した。東電の行つたことはまさしく犯罪である。今後補償額はどこまで膨れ上がるか判らない。なぜ政府は東電を倒産させず、未だに東電社員に高給を払ひ続けるのか。なぜ東電労組や連合は与党に圧力をかけるのか。盗人たけだけしいとはこのことである。
今回の消費税増税可決もその延長線上にある。絶対に再廃止法案を可決させよう。昨日、広野小学校で授業が再開された。小出氏の講演にあるやうに子どもは被爆被害を受けやすい。除染を済ませたとは言へ、それで十分なのか。政府は小出氏など反原発の学者の意見を採用し、もし採用できないなら国民が納得できる反論をすべきだ。

八月二十九日(水)「東電依存から独立を」
広野町は昨年12月に「広野町除染計画について【お知らせ】」といふ文書を発表した。その先頭の部分に
はじめに
福島第一原子力発電所事故による放射性漏洩事故の全責任は、事業者である東京電力と原子力政策を推進してきた国にあり、本来は東京電力と国が直接除染を実施しなければなりません。
しかし、本年8月30日に広布された「放射性物質汚染対処特措法」と「除染に関する緊急実施基本方針」では、核市町村が(以下略)


福島第一原発の全責任は東電にある。その上で政府が財政援助するといふことはあり得る。全責任は東電にあるのに広野町役場は、全責任は東電と国にあるとした。
原子力政策を推進したから国に責任があるといふなら、高速道路で交通事故が起きたときは、運転者と高速道路を推進した国に責任があることになる。運転者の技量不足が原因なら運転免許制度を推進した国に責任があることになる。もちろんそんなことはない。全責任は運転者にある。
昨年の東北大地震では何の罪もない多くの企業が倒産したり廃業した。これらには一銭の保障もない。なぜ犯罪者ともいふべき東電だけ責任を国に押し付けるのか。
広野町には東電の火力発電所がある。Jヴイレツジもある。Jヴイレツジは東京電力が地域振興の一環として建設し福島県に寄贈された。広野町はまづ東電依存から脱却すべきだ。


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