二百九十四、官僚組織と平和運動の劣化(地下鉄博物館と第五福龍丸訪問記)

平成二十四年
七月二十二日(日)「地下鉄博物館の特別展」
地下鉄博物館では特別展「千代田線車両の技術変遷展」を六月十九日から八月十五日までやつてゐる。見に行きたいと思つてゐるうちに終りが近づいたので本日行つてきた。帰りに夢の島の第五福龍丸にも寄つた。
まづ地下鉄博物館は地下鉄利用者なら見る価値はある。しかし見るうちに千代田線の開業時の問題点を一つ思ひ出した。常磐線各駅停車との乗り入れである。これは当時の国鉄と運輸省にすべての責任がある。営団にはない。今回は千代田線の車両を賞賛しようと思つたが前回に続き官僚組織批判をせざるをえなくなつた。

七月二十三日(月)「常磐線乗り入れ」
千代田線は最初北千住と大手町が開通した。車両は東西線と同じ5000系で、これは抵抗制御車である。電動機は低速のときは低い電圧、高速になると高い電圧が必要である。しかし直流の電圧を変へるのは困難だから高速に合はせて電動機を選定し、低速の時は抵抗器を直列に入れて電圧を下げる。抵抗器は電器ストーブと同じである。消費した電力は熱になる。だからそれまでの地下鉄はトンネルが暑かった。
昭和46年に6000系といふサイリスタチヨツパ車が登場した。これは抵抗器を使はないから発熱量が少ない。その1ヵ月後に常磐線との乗り入れを開始した。旧国鉄の車両は抵抗制御だから暑い。6000系は涼しい。当時は冷房がないから窓を開ける。だから乗つてゐると100人が100人ともその違ひがわかつた。国鉄は車両を全国共通にするといふ方針なので、路線に特化した車両を認めてゐなかつた。典型的な官僚主義である。
当時から気になつたことがある。発熱量と電気の消費量は比例する。サイリスタチヨツパ車は発熱量が少ないから電気の消費量も少ない。国鉄と営団の車両は相互乗り入れをするから、電気代の差を精算するのか心配になつた。案の定やつてゐなかつた。それから十年くらいして会計検査院から指摘されて精算するやうになつた。私は当時は高校生だが、高校生でも判ることを国鉄はやらなかつた。営団は国鉄が過半数、東京都が残りを出資するから、国鉄の官僚主義がまかり通つた典型である。

七月二十六日(木)「架線の境界線」
もう一つ気が付いたことがあつた。綾瀬駅の架線は不可解だつた。相互乗り入れの駅は二つの鉄道会社の分岐点がはつきりしてゐる。ところが綾瀬駅の我孫子方面は上り坂が終つたところで架線に絶縁体をはさむ。つまりここが境界線である。千代田線の6000系は回生ブレーキが付いてゐるから減速時はモーターで発電して架線に電気を戻す。もし摩擦や空気の抵抗がなければ消費電力は0になる。力行時の電力とブレーキ時の発電量が等しいからだ。実際は摩擦、抵抗分がロスする。
普通はホームの入口か出口が境界線である。発車して上り坂が終つた地点で絶縁すれば、一つの駅から次の駅までの電力を営団から国鉄に贈呈することになる。会計検査院もそこまでは気が付かないだらう。国鉄側にも「発車時やブレーキ時は絶縁があると火花が飛ぶし車両の機器も一時停電で悪影響がある」と言ひ訳できるやうになつてゐる。しかし6000系はそのために1つの車両に2つパンタグラフがある。国鉄も運輸省もとんでもない連中である。役所の現場はともかく上層部といふのはこの程度である。なんでこんな連中のために消費税を上げるのか。

七月二十七日(金)「回生率」
回生ブレーキで回収する電力量はおよそ3割である。時速80キロで力行を止めて次の駅に近付いてブレーキを掛けるときに70キロまで下がつたとすると23%が空気抵抗や摩擦で失はれる。力行時とブレーキ時に5%づつ電気抵抗で失はれる。6000系の場合モータの付いた車両は10両中の6両だから4両分は車輪に鉄片を押し付ける摩擦熱で逃げる。だから計算は合ふ。
それでも3割は大きい。だから関東や関西の大手私鉄は本格的なサイリスタチヨツパではないが界磁チヨツパや複巻モータで回生ブレーキを使用した。ところが国鉄だけは相変はらず抵抗制御、直巻モータといふ小和30年代の方式を用いた。だから千代田線は日本の大手通勤電車のなかで最先端と最古の車両が走つた。営団地下鉄の6000系は涼しいのに国鉄の103系は暑かつた。乗客の誰もが不満を持つた。私なんかは西日暮里から根津まで2駅しか乗らないのに、夏に103系が来たときは1本待つたくらいである。それほど暑かつた。

七月二十八日(土)「西日暮里問題」
常磐線の最大の欠陥は各駅停車をすべて千代田線に乗り入れるようにしたことだ。千代田線は西日暮里駅で山手線と乗換へができる。しかし国鉄と営団地下鉄の運賃が加算されるから高い。だからといつて北千住で常磐線快速に乗り換へて都心に向ふのは不便である。
国鉄(当時)と認可した運輸省はかういふ不都合なことをした。役所といふのはこの程度しか考へつかない。倒産がないからぬるま湯に浸かつてゐる。この場合は西日暮里経由でも国鉄と同じ運賃にして差額は国鉄と営団が負担すべきだつた。国鉄は綾瀬と上野の間の複々線化を省いた。営団は労せずして常磐線の乗客を引き受けた。両方が利益を得たのだから乗客に還元すべきだ。或いは快速を千代田線に乗り入れて各駅停車は常磐線を走るべきだつた。これなら快速といふ便利なものに乗るから値段が高くても誰も不満は持たない。それができないのは相互乗り入れをする車両は走行キロで使用料を精算するからだ。快速は高速だから走行距離がかさむ。従来の計算方法では営団の国鉄への支払額が激増する。だから走行距離に伴ふ経費(車軸や車輪の磨耗など)と停車発車に伴ふ経費(ブレーキの磨耗と電動機や制御装置の部品交換費用)を合はせて算出すべきだ。走行距離で使用料を計算なんて小学生でも思ひつく。役所は暇なのだからこれくらい考へるべきだ。(役所は暇だと言つたのは根拠がある。JR東海会長の葛西敬之は国鉄に就職したがすることがなかつたと書いてゐるし、運輸政務次官を国鉄総裁として迎へるのに分割反対派に秘書を取られないよう暗躍した様子も書いてゐる。この当時国鉄の赤字は重要な問題だから運輸政務次官が詳しく知らず秘書次第でどうにでもなるといふのは如何に役所の上層部が仕事をしてゐないかが判る)

七月二十九日(日)「夏休み」
地下鉄博物館には小学生の子供とその父親または母親が多かつた。これらの子供が一人の例外もなく立派な社会人に育つてほしいと思ふ。しかし二つの障害物がたちはだかる。一つは受験戦争であり、二つ目は非正規雇用である。
これらを解消するには、自由経済は守り資本主義は廃止させるしかない。資本主義を廃止しても投機屋以外は誰も困らない。

この日は地下鉄博物館を出た後、第五福龍丸を見に行つた。第五福龍丸は死の灰を浴びて帰港するなり乗組員は病院に緊急入院した。しかしアメリカが非協力的で放射性物質の成分さへ教へてくれなかつたといふ展示があつた。この当時の平和運動は米軍基地撤去がその中心だつた。しかし戦後数十年を経過すると米軍の存在に反対せず平和は叫ぶと言ふ奇妙な運動になつた。社会党の解体はその偽善を国民が見抜いた結果といへる。その意味でも第五福龍丸は貴重な存在である。(完)


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