二千九百三十六(うた)只見線沿線の観光地
乙巳(西洋地球破壊人歴2025)年
十月六日(月)
前回は、只見線に乗る動画を見たが、今回は沿線の観光地を動画で巡ることを目的とした。まづは大志集落である。屋根がきれいなのは豪雪で、瓦が壊れるのと、雪が落ちやすくする。そのためトタンで、青かだいだい色に塗る。集落へ行った動画もあるが、民家の集まりで、遠くから観るのがよい。
次に、河合継之助記念館の動画を観た。記念館は会津塩沢駅が近い。ところが地図に縮尺が無く、駅から徒歩何分とも書いてない。いろいろ調べて、駅から徒歩10分と分かった。徒歩の所要時間が書いてないのも、無理はない。一日三往復である。
臨時の観光列車を、徒歩の往復と見学のために1時間停車させておくことは、効率が悪い。この記念館は実質、車及びツアーバス団体バスの専用だ。
只見線が廃止にならない理由は、冬期は道路が閉鎖されるためだ。それなら一層の事、他の季節も閉鎖して、鉄道を使ふやうにすればよい。さうすれば、一日三往復を五往復に増やせる。更に観光の臨時列車が走れば、只見線は盤石である。
継之助足に負傷し八十里腰抜け武士の越す峠 塩澤村で命が尽きる
反歌
只見線冬は道路が越し抜ける武士の黒がね孤立を守る
反歌
臨終に外山寅太はその後に阪神電車大阪麦酒
臨終に立ち会った外山寅太は継之助から、これからは商人だ、と云はれ阪神電鉄と大阪麦酒(アサヒビール)を創業した。(新潟県長岡地域振興局のホームページより)
十月七日(火)
霧幻峡は、金山町観光物産協会のホームページによると
昭和39年に裏山の土砂崩壊で(中略)廃村となりました。
その廃村集落には、今なお大山祇神社や子安観音、霧幻地蔵や古民家、硫黄鉱山等の産業遺跡が歴史のままに残されています。
とある。土砂崩れの原因は
昭和28 年~採掘が始まった玉造硫黄鉱山は、村に活況を及ぼしたものの、僅か7年で閉鎖となりました。高度成長期になると硫黄の需要減や輸入の増加で採算が悪化し、昭和35年に完全に閉山となったもので、閉山により放置された鉱山採掘穴にやがて水が溜まり、それが昭和39年のブナ坂大崩壊の原因となり、(以下略)
霧幻峡の渡しは、一艘貸切で要予約のため、普通の渡し船みたいに手軽には乗れない。夏に現れる川霧を車窓から眺めるのが精一杯か。早朝と夕暮れ時とある。早戸駅から徒歩3分。この区間は一日六往復。
霧幻峡 早朝または夕暮れと 渡し船での廃村は 観光資源も鉄道は六往復で予約困難
反歌
平行の道を閉鎖で只見線増発すれは有名となる
只見線復活の為に冬期閉鎖の道路を一年中閉鎖したとなれば、有名になる。(終)
メニューへ戻る
うた(一千四百七十五)へ
うた(一千四百七十七)へ