二千八百八十三(うた)四冊中三冊が空振り(特に梅原猛を批判)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
八月八日(金)
文章を書く瞑想の記事を見て、瞑想の本を四冊借りた。このうち「密教瞑想法」は役に立ちさうだが、まだ読んでゐない。残りの三冊は、すべて空振りだった。特に悪質なのが梅原猛「最澄瞑想」だった。瞑想の話は出て来ない。梅原が思ひ付きで、最澄について根拠のないことを話す「最澄妄想」と改名すべきだ。
お釈迦さんが死にますと、(中略)言行録が弟子たちによって(中略)その経典をもとにして、約五百年ほど原始仏教の時代が続くんです。(中略)日本では小乗仏教という悪い言葉で呼ばれています。
日本だけではない。中国やインドでも呼ばれた。しかしそれは小さな問題で、悪い言葉と分かりながら、その悪い言葉を膨大な回数繰り返すのが梅原である。
梅原は、二十年ほど前に、云ふことがでたらめだとする記事を見た。小生も多少は思ったがそれほどではなかった。しかし今回この本を読んで、梅原は本当に出鱈目な男だと思った。
出鱈目の例その二として、膨大な数の経典について天台智顗は、五時八教の理論を作ったが、それについて
経典、特に大乗経典は釈迦の死後、(中略)五百年も、八百年も後になってできた経典を釈迦の一生に割り付けることそのものが、ナンセンスとも言えるのです。
しかし、中国の仏教の学者は、そうしたナンセンスを前提としながら(以下略)
天台智顗は、ナンセンスを前提とはしなかった。インドから来た経典を仏陀の直説と信じるから、五時八教で解釈した。自身がナンセンスなのにインチキな本を書いた、梅原とは大違ひである。
八月九日(土)
梅原のでたらめは他にも、龍樹について
釈迦の直弟子である声聞、あるいは以後の(差別用語なので略)仏教の徒である縁覚にせよ、(中略)山に籠もって清い生活をしている。それでは駄目だと言うのです。
問題点を赤色にした。まづ、従来仏法の比丘は声聞だ。直接に仏陀の声を聴かないが、経典で聴く。縁覚とは、独りで覚る人で、しかし覚った内容を布教してはいけないとされる。
二つ目に、アショーカ王の時代以降、比丘は街で修業をするやうになったし、それ以前も在家に托鉢するので山に籠った訳ではない。
龍樹の(中略)批判は、彼らが山に籠って(中略)のみではない。彼らが禁欲にとらわれて(中略)多くの戒律を設けて(中略)とても真の喜びの境地である涅槃に至れない。
ところが梅原は21頁手前で、最澄は
大乗戒と(差別用語なので略)戒の別があるはずなのに、南都でやっているあの戒律は、(差別用語なので略)戒と同じものである。それではいけない。
龍樹よりはるか後の最澄がかう云ふのだから、梅原の話は矛盾だ。そもそも南都に限らず、アジア各国では一部例外はあるかも知れないが、具足戒は必須で、今でも守られる。
今はほとんど梅原の名を聞かないが、昭和年間はあの名(あの戒律、に対応させた)がしばしば新聞などに登場した。今思えば、あの小人間(これも差別用語に対応させた)がよく何回も出てきたものである。
全員が右に倣へは秋津洲悪い習慣 江戸時代醸成されて明治以後西洋文明入り来て 先の大戦国を滅ぼす
反歌
梅原は一部の人が賞賛し批判できない雰囲気があり
別の一冊は変性意識についての科学書で、しかし小生の関心は、瞑想ではなく、仏法の一部としての止観なので、まったく読まなかった。もう一冊も、民間ヒーリング指導なので、関心外で読まなかった。(終)
(8.10追記)密教瞑想法も、全体に目を通したが、読んだのは合計三十行程度に留まった。
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