二千八百七十六(うた)鉄道の話題(カシオペアの引退)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
八月三日(日)
昔の鉄道愛好仲間との会話で、カシオペアの引退が決まったあと、6/24(火)に
今朝見たら、カシオペアが定位置(検修庫の手前)に南側6両だけ留置。北側6両は検修庫の中と思はれるが、もうすぐ引退なのになぜ、と疑問。
引退延期か、は無いとすると、状態の悪い車両があり1両だけ切り離すのは手間なので、交番検査みたいに6両を入庫させたか。

6/26(木)に
本日の午前中に、カシオペアが12両に復帰。
まず4月に、1両を一ヶ月以上検修庫へ入れ、復帰のあと、6両ずつ交番検査2回。それから2ヶ月しか経過しないので、通常の3ヶ月より短い。或いは、カシオペアは旧周期で2ヶ月なのか。
いずれにせよ引退まであと4日。尾久の客車操車場としての長い歴史は、あと少し。四季島、和、線路運搬気動車の車両センターとしては、今後も続くが。

6/29(日)は
尾久は昨日、同時に二つの入れ換えがあった。一つは夕方出発のカシオペアを、自動洗浄と普通の洗浄線に入れる為に、3往復(1回は入換標識の情報量不足で直接入線できないためか)するもので、土曜の定番。ここ二ヶ月ほど、ほとんど無くなってゐたが。
もう一つは、ホームから南西側30mくらいのところに数日前に移動させたホキ2両にEF81を北側に繋げ、東北着発線へ入れた。二つの入れ換えを同時に行うのは、ここ数年で初めてでは。操車担当と構内掛のチームを今でも二つ作れるのか、と感激した。
インターネットで調べると、ホキ2両は東大宮(操)へ配給列車で行き、訓練センターへ入った。これで尾久からホキが全滅した。あと、26日(木)にカシオペアの予備電源車を24系に連結した。連結は見ていないが、金曜朝に車内から見えた。

カシオペア最終運転日の翌日に
>カシオペアは、定位置(検修庫横)から、金曜の夕方に南へ引き上げて留置、土曜の午前に3往復して洗浄線へ。其の日の夕方に上野駅へ推進で出発、のパターンが多かった。臨時に金曜になったり、土曜朝に出発線に留置中に機関車を連結して上野へ、もまれにあった。本日は、いつもの土曜のパターンなので、夕方に上野駅へ?
昨日で引退のはずで、新聞でもそう報道されたが。

カシオペア 午前はいつもの土曜日の洗浄過程と同じにて 今日も夕方上野へと発車するのか思ひつつ 昨日のニュースまた思ひ出す

反歌  次の日に撮影動画を観て分かる洗滌の後また定位置へ
次の日に
>動画を見ると、昨夕(それ以前は経過時間超過で見えない)には定位置に戻った。イベントで使うので、自動洗浄と通常の洗浄を掛けたらしい。
さて、レール運搬貨車に続いてホッパー車も28日で消滅した。入れ替えで残るは和だけ。四季島とレール運搬気動車は自走なので。
和について、架線があるところでも自走しないのは、お召列車の供奉車としても使用する為に、特別の運転士しか扱えないのでは、と想像。
>カシオペアの予備電源車を連結した24系は、数日後に不在になった。検修庫か、解体のために配給列車で転出か、不明。
カシオペアの予備電源車は単独で、かつて24系が一両留置した位置に止まっていたが、今日はカシオペア定位置の隣の線(検修庫からは二つ手前)のカシオペア最後尾より少し前方に単独で泊まってゐる。何年間も予備電源車は、カシオペア定位置と同じ線で後方が定位置たった。ホキが消滅したためかも知れない。

7月12日に
>本日は、定位置南側から一往復(だと思った)で出発線へDE20が南側で押し込み/牽引、ののちEF81を4人(だったか3人)外側で操車ののち連結し、上野へ。
操車担当も、最後の仕業に思い出深いのだと思った。その前に、国鉄時代助役のヘルメットをした人が、改札口から南方へ歩いて行った。最初は分からなかったが、踏切の警備ではないかと、あとでわかった。最終列車のときは、踏切が大変だったらしい。

上野駅下の西端ホームにて 隣も電車止めたためよく見えずして ディーゼルの悪臭のみがホーム漂ふ

反歌  上野駅十三番のホームにてイベントがあり購入者のみ
反歌  ディーゼルは24系副室にカシオペアのみ直噴式に
その後、予備電源車と24系1両は連結し、24系が元かに留まった位置に。カシオペアは、元の定位置にずっと止まってゐる。(終)

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