二千八百七十四(うた)鉄道の話題(新津駅、尾久客車操車場)
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
八月二日(土)
次の旅行は、SLばんえつ物語に乗る予定だ。その予習として、新津駅の配線図を調べた。前に北操、南操、キャビンと云ふ名称があった。これは1979年のもので、北操と南操は本屋の両側で、信号扱所の担当範囲だらう。キャビンは本屋である。新たに公開された一九五八年のものは、
本屋のホームが羽上本、その南側に南1と2で終端手前に1から2へ片渡りは機回しだらう。3から6も行き止まり、その隣が帝石、少し手前から8、9と、さらに手前に10と、南側に日出谷方へ引き上げ線。北方は、北1から4が本屋手前で終端は南と同じ、逆方向へ5。少し先から北6と7。これらから酒田方に引き上げ線。
羽上本の隣から中、ホームを挟んで信上本と羽下本、ホームに向かひ南に上突1、北に下突2。因みに上突1は羽上本から分岐し本屋ホーム北まで。
羽下本の隣に信本と裏1がホームを挟む。ホームの北は下突1。裏1の隣に裏2から10と0。その隣は整理1から6と材修7から9で北側行き止まり。整理1は緩急車、救援車。2、3は代用積合、中継。4、5は入場車、修繕。6は代用車積合位置。7、8は材修場積卸。9は入場車、修繕
その北に、西1から18が北側行き止まり。1は信越上り中間、2は長岡行、3は長操~黒井、4は富山以遠、5は吹田以遠、6は直江津以遠、7は上越中間、8は大宮以遠、9は授受、10は上り列車組成、11は代用車介在車、12と13は臨時貨車、14と15は客車洗浄、16は特殊車、17と18は仕立検査で検修庫あり。
北3、4は積卸、5は積卸(事業用)、6は客車特殊車、7は電修場積卸
南は、3が広田以遠及客車、4は豊実~若松(会津)、5は五泉~日出谷、6は客車収容、7は白石専用線、8は緩急車及磐越中間、9と10は事業用積卸。
裏1は上り貨物着発、2と3は貨物列車上下着発、4は萩川以遠、5は水原以遠、6は水原以遠及到着車、7は五泉以遠、8は南北授受、9は羽越代用車及後部介在車、10は試運転及特殊車。

説明が必要な部分を赤色にした。「F」は磐越西線のことだらう。Fとする理由は、陸羽の東西がAとB、仙山と米坂がCとD、磐越の東西がEとFか。
「代用積合、中継」は、小口扱ひだらう。「入場車、修繕」は新津工場へ入場。修繕は、定期検査では無く、臨時に入場か。「電修場積卸」は車電区用品。「介在車」は工場への入場の控車か。
新津駅 四十年前全国の組成駅にて機関区と客貨車区があるありふれた駅も今では機関区が在る珍しき駅の一つに

反歌  SLは東日本の機関区に高崎新津わずか二ヶ所に

八月三日(日)
昔の鉄道愛好仲間との会話で、尾久客車操車場について
カシオペア洗浄時の「右往左往」みたいな構内移動。基本的な流れは「いつもの待機位置の田端寄りの到着4#から、まず自動洗浄機(ホーム北端近く現・洗5#)に入り、
一旦押し戻してメインの洗い線に転線、人手での作業で変はらないが、(以前は現・洗1#だったが四季島に譲り、今は現・洗2#。)
途中で機回しが必要になり、元の到着線に戻したいが、洗い線から到着線への進路がなくなったため、洗5#-通路1#-東部入換線方-到着4#(機回し)-洗2#とスイッチバック。
自動洗浄へは機関車先でないと、一両分ほどスルーする設定が生かせないさう。一方洗浄2#王子方には機関車のスペースはもうなさそうで機回しは必須のやう。ここで着発線での機回しも可能なのだらうが、その場合回送線本線を支障する。
…何故に行ったり来たりするのか幼時から疑問だったが、未だ理解半ば。洗い線から到着線に戻るケースは他にもあり、「四季島」が給油のため洗1#-到着1#と動くのにもスイッチバックが入る。

尾久からは定期客車が消滅し 一編成のカシオペア特別列車の和(なごみ)のみ入れ替へとして構内移動

反歌  四季島と軌条運搬気動車は自力で走る検修庫へも
さて「四季島」の構内移動。架線下でも一貫してディーゼルエンジン。そうする理由わからない。運転資格の問題かとも思ったが、入構から洗い線まで本線の運転士さんがDCモードでで動かすやうなので、違ひさう。もしかしたら架線給電に切り替えるのが案外大変なのかもしれない。

だとすると、和が架線部分でも入れ替へなのは、それが原因か。いや、やはり特別な運転士しか乗務できないのだと思ふ。今回の検索で始めて分かったが、天皇様が私的に旅行されるご乗車列車があり、そのときは五両で運転されるさうだ。
発電機床下に持ち 機関車で牽引できる電車にて お召列車や団体列車

反歌  七年に一回程度運転の団体列車乗る機会無し
別の日に
>旅立ち前のホキ800が入っていたのは着発15#王子方で、着発16#(四季島・カシオペアの出発線)とともに、海側に警戒色をまとったステンレス製らしい箱があり、ブレーキ管の試験装置のやうだ。(昔はブレーキ弁みたいなのが各線の端に立ち上がってゐた。)
前日に仕業検査をするのだと思ふ。
ホキは昨年8月まで隔週水曜日に宇都宮と行き来していましたが、月曜日に着発15#に移って火曜日に検査のやうだった。
オシ24と引きかえに黄色い車両移動機が見当たらない。E655と一緒に庫内か。構内掛の誘導がつくやうだが、操縦は車両センターの人(検修担当)と見られる。
編成の貫通ブレーキの扱ひなどありさうで、DEの時ほどキビキビゆかないやうだ。
「回転線」について、所定で組み替えとなる付属編成・郵便荷物車のうち間合いが空くものの留置に組替線とセットで使はれてゐたやうだ。「津軽」二組の間で秋田回転車をつなぎ替えるのに、到着線から組替線に引き上げて付属編成を落とし本体は北部入換線に逃げるなど。
47-3の構内作業ダイヤでは、「盛コ21」が八甲田(回102レ)-123レ(一ノ関行)と回った。丸一日在線。「盛航21」。
オユ10が青森-隅田川-(航送)-根室-(航送)-上野-青森と七日がかりで回り、その最後。123レは朝、本線脇の出発11#留置だったので親しい存在だったが、「ニセコ」の郵便車がついてゐたのだとは。

20系14系に12系24系50系 従来客車減る中に荷物郵便貴重存在

反歌  荷物車と郵便車ともに昔式雰囲気残す客車は貴重
反歌  従来型事業客車も貴重にてムソやタミなど珍しき名も
反歌  荷貨物のワキ8000は足ブレーキ蒸気暖房引き通しあり(終)

兼(路面電車、客車、その周辺、六十五)へ (路面電車、客車、その周辺、六十七)へ

メニューへ戻る うた(一千四百十三)へ うた(一千四百十五)へ