二千八百四十二(うた)「アジア仏教史 インド編 Ⅵ東南アジアの仏教」その二
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
七月九日(水)
第三章「ビルマの仏教」では
紀元前三世紀のアショーカ王の治世に、ソーナ、ウッタラ両長老の一行が、伝道のためにインドからスヴァンナブーミに到着した。(中略)マヒンダ長老一行が、同じ目的のもとにランカー島に渡ったのとあい前後して行われた(以下略)
このときスヴァンナブーミの都タトンにはモン族が住んでゐた。ことのあビュー族の話が出るが割愛し、しかし最後のほうに、インドの左道密教がビルマにまで影響し邪悪なアリー僧が現れる。ビュー族はビルマ族に同化されていった。
ビルマ族のなかから一大英主といわれるアノーラタ王(在位一〇四四~七七年)が現れた。王はアラカン地方をのぞく全ビルマを統一した最初の王といわれている。
(中略)アリー僧などの横行する堕落的な仏教サンガの粛正を思い立ち(以下略)
王は一〇五七年にモンの都タトンを攻略し(中略)タトンに集められていたパーリ語の三蔵ならびに注釈書などを(中略)パガンに運ばせ、さらに上座部の清浄な比丘五百名をもパガンに迎えたといわれている。(中略)従来用いられていたサンスクリットの仏典にかえて、統一的にパーリ語のそれを使用させ(以下略)
更に
使節をランカーに送り、かの地の仏教聖典を入手して、タトンより将来したものと対照研究せしめた。タトンにそのころ集められていたものは、主として南インドのコンジェーヴェラムからもたらされたものであったからである。
パーリ語経典は、スリランカ由来だけではなく、南インド経由もあった。
モン族とシンハラ族の経典は 今へ至るにどのやうに関係するか興味は深し
反歌
戒律もモンとシンハラどちらから流れ受け継ぎ今へと至る
七月十日(木)
第四章「タイ国の仏教」では
タイ人が南シナから移住して来る以前に、この地域は(中略)クメール民族によって支配されていた。クメール王朝は当時すでに高度の文化をもっていたから、タイ人は数百年にわたって、その支配下にあった。(中略)同王朝の用いていたインド教と仏教との混淆した宗教を信じたであろうと推測される。
その後
一〇四四年、ビルマに現れたアノウラータ王によって、この地域は征服され、(中略)上座部の仏教を採用し、(中略)タイ民族の最初の王朝スコタイも、これを採用した。
仏法史が終はり、サンガの解説に入ると
この国の仏教は(蔑称が入るので、略)であって、大乗仏教国にみられるような教義に対する哲学的関心や思索は乏しい。かれらの信条は、あくまで釈尊の行なったことを実践し、その弟子たちが守ってきた規則を忠実に守ることにある。つまり、それは戒律を守ることであって(以下略)
この章を書いたのは、藤吉慈(じ)海(かい)。京都大学文学部哲学科卒、花園大学教授、と奥書にある。花園大学は、臨済宗黄檗宗各派により設立された。しかし藤吉のせいで、実態はドクダミ園大学ではないのか。
蔑称は論外だが、上座部仏法も国によって志向が異なる。それは藤吉も分かるらしく
タイ国の仏教が戒律仏教といわれ(中略)ビルマの仏教がアビダルマという論蔵、つまり教理学の研究に優れているのと対照的である。
そこまで分かりながら、なぜ「(蔑称が入るので、前略)であって、大乗仏教国にみられるような教義に対する哲学的関心や思索は乏しい」と暴言を吐くのか。
無能なだけあって
比丘が、こっそりと供養の主を呼んで、「柱時計の振子を止めておけ」といったの思い出す。
は低級すぎる。そこまでして戒律を守らうとした熱意を感じなくてはいけない。それより、アジア各国の僧は、戒律を守る。守らないのは世界中で藤吉だけだ、といふことを知ってゐるのか、は冗談である。日本だけだと知ってゐるのか。
比丘たちにとって戒律を守ることは、アラハン(括弧内略)という悟りにいたるための必須条件である。しかし比丘のなかには戒律だけでは十分でない、やはり精神統一のための瞑想法が実践されなければならないという反省がある。
これは無意味な文章だ。戒律だけで十分だと思ふ比丘は一人もゐない。
この教えは意志力の強い智慧ある者に開かれた、いわば「強者への教え」で(中略)アラハンという聖者の境地に至る。
これも違ふ。信者は、アラハンを目指す比丘を支へることで功徳を積む。その発展形で、子供を出家させれば親も功徳がある、だとか、一時出家すればそれだけでも功徳がある、もある。
そのため、在家が瞑想をすることに、かつては疑問を持った。ところが年齢を重ねると、心を落ち着かせること自体が難しくなるし、心を活性化することも難しくなる。落ち着かせることと、活性化することは、逆だから中途半端な状態になる。そのため今では、在家も止観が必要だと思ふやうになった。
世の中が複雑化したから、若い時から止観が必要と思ふ人も多くなった。タイはその好例である。(終)
「初期仏法を尋ねる」(百六十六)
「初期仏法を尋ねる」(百六十八)
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