二千八百三十七(うた)「アジア仏教史 インド編 Ⅴインドの諸宗教」
乙巳(西洋発狂人歴2025)年
七月七日(月)
第一章「イスラムの伝播」では
パキスタン人口五千万、バングラディシュ人口七千五百万人の圧倒的多数がムスリム(括弧内略)であり、インドにおいて(中略)人口の約一〇・六パーセントを占め(中略)四千七百万人に達している。(中略)全ムスリム数の約三分の一を占め、最大のムスリム地域ともいえよう。
なるほどイスラムと聞くと、アラブ、イラン、インドネシアを連想するが、インド亜大陸こそ、最大の地域であった。
イスラムがインド三国一億と七千万人 全世界教徒の中に三分の一
反歌
全世界信者数にてヒンズーが二倍以上に仏法を越す
インドの仏法は、イスラムとヒンズーに負けた、とよく云はれる。しかし世界全体で、仏法はイスラムとヒンズーに大きく負けてゐる。
中世においてムスリムの支配下におかれた地域は、ほとんどすべてイスラム化したが、インドは唯一の例外地域であった。それはヒンドゥー教文化の強い抵抗力と(以下略)
ヒンズーはすべてを同化イスラムは同化をされず仏法消へる
一方で
ムスリム以前にインドに侵入した諸異民族は、すべてインド社会に同化・吸収されて完全にインド化したが、ムスリムは(中略)ヒンドゥー社会に吸収されることなく(以下略)
仏法も、ヒンドゥー社会に吸収されたのであり、イスラムの侵入が原因ではない。
インド亜大陸のムスリム中、西・中央アジアからの(中略)子孫が占める割合はきわめて少なく、約九割がヒンドゥーからの改宗者の子孫といわれる。
以上四つは、興味深いことばかりである。
第二章「ヒンドゥー教とは」に入り
インドは極めて複雑混乱の中に、一つの非常にゆるやかなまとまりをもって、古代から続いてきた。
で始まる。中世には
ヴェーダの言語、サンスクリット、プラークリット、アパブランシャを経て近代インド=アールヤ諸語が発展した時代である。
さて
アパブランシャ諸語までは、サンスクリットよりは簡単になったが、それでもなお、名詞の性・数・格を中心に同氏も変化する、いわゆる総合的な言語であったが、近代インド=アールヤ諸語は語形変化が簡単になり、それだけ語順が重要になった分析的言語なのである。
そして
この前の時代まではサンスクリットが、もっぱら文章用語として全インド的に用いられ(中略)たが、この時代に入ると、それぞれの地方語による文学が発達した(以下略)
しかし
北インドのような文化の中心地では、地方語への移行がおそく、(中略)ベンガル地方では非常に早い時期からサンスクリットに代わって、ベンガル語が用いられるようになったといわれる。その理由は、イスラム教徒の侵入という一大事件によって、多くの人々が改宗ざられていくのに対し、自国の宗教を守るためには、大衆の理解しうる地方語で話しかけねばならなかったからだ、といわれている。
イスラムの侵入およびヒンズーの護宗が生むか地方の言葉(終)
「初期仏法を尋ねる」(百六十四)
「初期仏法を尋ねる」(百六十六)
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