二百七十九、日本に欠けるのは一旦試して駄目なら癈止する能力だ

平成二十四年
六月九日(土)「小泉の評価に見る制度の固定」
小泉には功罪がある。罪のうち特に悪いのが拝米と郵便局民営化と派遣の業種拡大 であり、功のうち良いのは故事を引用して国民に希望を与へたことだ。
小泉改革は一旦は試す価値があるものもあるが、駄目なら廃止すべきだつた。ところが多くの国民は、小泉改革が正しかつた或いは間違ひだつたと評価を下す。一旦試してみるといふ感覚がない。諸悪の根源は既得権者が制度にしがみつくためだ。

六月十二日(火)「既得権の悪い例が消費税だ」
消費税を導入して以来、日本社会と日本経済はめちやくちやになつた。だつたら消費税を廃止すればよいではないか。財務省と大手マスコミといふ既得権者たちの妨害が予想される。しかし消費税を廃止し、日本の社会と経済を復活させるべきだ。

六月十五日(金)「一旦は試さう」
今から五年前に亀戸中央公園の「国鉄団結まつり」の開会式で、国旗と国歌に反対したのかそれ以外にも理由があるのか公立中学を解雇された教員が登壇した。開会式が終り多数の模擬店が賑はふなかを、さきほどの教員が一人でビラを配布しながら会場内を歩いてゐた。支援者もなく解雇されたシヨツクからかさびしさうなので5分ほど話をした。私からは「国歌や国旗は中立で、戦争にも平和にもなる」と話した。ここ10年ほどグローバルだの英語だの成果主義新自由主義だのと日本の社会を崩壊させようとする勢力が出現した。社会を回復させるためにも国歌や国旗を試す価値はある。昭和四〇年頃に戻すだけである。戦前に戻すのではない。もし変な方向に向ふようだつたら国民の力で阻止しようではないか。

余談だが翌年はその教員は登場しなかつた。代はりに一番目にフリーター全般労組が登壇した。うちの分裂前の労組事務所に同居してゐた組合である。うちの労組は分裂前は連合だつたから全労協系の集会に出る人は私以外はゐないだらうと思つてゐたから意外だつた。もつとも彼らは同居してゐるだけで連合には加盟しなかつたから驚くには値しない。彼らの模擬店に顔を出して少し雑談した。
その翌年はフリーター全般労組は来なかつた。国鉄団結まつりと同じ日に「麻生首相の豪邸を見に行くツアー」をやつて渋谷警察に逮捕されたからである。組合事務所に警察の家宅捜査があつたのちに、うちの組合の執行委員会に代表がお詫びに来た。うちの組合で彼等を批判する人が何人かゐた。私だけ「誰も迷惑だとは思つてゐない。よくやつたと思つてゐる」と誉めた。もつとも家宅捜査があり下手をすれば我々の組合の資料やパソコンを押収されるおそれがあつたから批判する人の言い分はわかる。だが若い人たちが工夫した催しである。一回は試す価値がある。

六月二十二日(金)「押して駄目なら引いてみよ」
かつては自民党に次ぐ大政党だつた社会党は、村山富市の時代に大失態を演じて消滅した。社会党に欠けてゐたのは、押して駄目なら引いてみよといふ意気込みである。社会党はまづ右派の大半が民社党として独立した。残つた左派から変性左派が生まれ左派と変性左派の妥協の産物で護憲を掲げた。勿論平和憲法は尊い。しかし現憲法は味噌と糞がいつしよである。糞とは前文である。護憲は偽善だと国民に見破られた。
党勢が衰弱したのだから「米国の押し付けた憲法反対」「ブルジヨア憲法反対」くらい試しに言へばよかつた。前者は右派、後者は左派の主張である。

六月二十三日(土)「葬式仏教を脱する試み」
私の職場の近くに北山本門寺系の布教所がある。日蓮宗僧侶のM師が自宅に開設したもので、一昨年宗務院の認可を受けて日蓮宗公認の結社となつた。立憲養成会の幹部の方と私が常連でそれ以外に法事を依頼する信者がゐる。立憲養成会は田中智学が作つた団体の一つで政治活動を担つた。戦前戦後を通じて国会議員を出した日本で唯一の政党でもある。
立憲養成会は世間の基準では右翼に分類されるかも知れない。しかし大塩平八郎は右翼か左翼か、西郷隆盛は右翼か左翼かと聞かれても答へられない。右翼、左翼といふ分け方自体が帝国主義から米ソの冷戦の時代でのみ通用する分類法である。
M師の方法は葬式仏教を脱する一つの方向となる。日蓮系で政治と絡んだ人に妹尾義郎がゐる。宗教関係者が政治に絡むときは妹尾のように唯物論になつては駄目である。

六月二十四日(日)「日本テレビのドラマ」
M師や立憲養成会の主張を聞いたら国家主義だと思ふ人もゐよう。しかしM師や立憲養成会の主張も試す価値がある。
昨年6月に平和祈念展示資料館といふ総務省委託の展示館で、企画展「写真の記憶 : 残された満州の姿」があり、学芸員によるギヤラリートークが期間中に二回あると東京新聞だつたか神奈川新聞だつたかに載つた。さつそく見学に行つた。路面電車の線路が満鉄の車両工場内に入る写真が印象に残つた。ギヤラリートークにも参加した。写真の説明ののちに、時間があるといふことで戦争に徴用された犬や馬の話も聞き、人と動物の心温まる話もあつた。
今年正月の日本テレビで、その正反対のドラマがあつた。戦争中に政府が民家で飼つてゐる犬を強制収用し警察署で撲殺するといふドラマがあつた。さういふことが本当にあつたとは信じ難いが、食糧難で止むを得ずあつたかも知れない。そのドラマでは徴兵された新兵が殴り殺される場面もあつた。新兵いじめはあつたとしても、殺したりはしない。或いはそのようなことがあつて軍法会議に掛けられる事件があつたかも知れない。このドラマは平和が尊いと訴へるものではない。アメリカが正しく日本は間違つてゐたといふドラマである。日本テレビの親会社は読売新聞だから、このような番組を作るとは信じ難い。といふか拝米の読売グループだからこそ社会党の消滅した今となつては作れるのだと納得した。
戦前は偏向があつたが戦後も偏向がある。そこに気が付かないのが拝米と称する連中である。重大な文化の不連続を生じることになり、弱者が被害を受ける。だから新自由主義者は文化の不連続を賞賛する。

六月二十四日(日)その二「カトリツクの労働争議」
私の所属する組合の分裂前の友誼組合にカトリツクの職員の解雇事件の相談があつた。長く争議が続いたあとに、職場復帰はならなかつたが日本のカトリツクの高位の神父が神に謝罪し円満解決した。謝罪のときは涙ぐむ信者もゐたさうである。私は長い歴史の宗教は基本的に好きなので、この信者と何回か話をしたことがある。長い歴史には2000年のカトリツクや上座部仏教だけではない。800年の禅、念仏、日蓮も含まれる。宗教の信者が労働組合に係はるのは一つの試みではあるが廃止の必要は生じないだらう。

六月二十五日(月)「一旦の試み」
民間企業では製品を経済の変化に合はせないと倒産する。だから試みては製造中止の繰り返しを行い成功したものを主力製品にする。
政治は一旦始めると既得権勢力を生じるから止められない。派遣や有期雇用は社会を崩壊させてゐる。特殊な技能を除き、本人が希望する場合を除き禁止すべきだ。企業別組合は派遣に賛成し有期雇用に賛成し自分たちだけいい思ひをしようといふ連中である。今回の消費税騒ぎでも増税に反対しない。企業別組合も禁止すべきだ。
戦後始めたものは一旦の試みである。米軍の占領政策も一旦の試みだつた。自民党の自主憲法も、社会党の社会主義もその廃止を目指すものだつたが、たまたま高度経済成長がありうやむやになつた。

六月二十七日(水)「イスラム教」
子供の学校の卒業式で、母親がイスラム教のスカーフを着用する生徒がゐた。父親がアラビア滞在中にイスラム教徒になり、イスラム教徒は同じ教徒としか結婚できないから母親も教徒になつたさうだ。これはよい話だ。日本では十字架のネックレスを付けたり結婚式をキリスト教で挙げる人は多いが、世界のキリスト教とイスラム教の比率を考へれば、もつとイスラム教に親しみを持つべきだ。
日本では長いこと仏道儒学神道が精神支柱となつてきた。今でも世の中に良い影響があればよいが、明治維新以降これらが崩れ世の中が混乱し現在に至る。イスラム教徒は改宗はできないが、心の内面で改宗しても問題はなく但し公言すれば他への信仰妨害となるから禁止されてゐるさうだ。日本にもつとイスラム教徒が増へたほうが日本のためになる。

六月二十九日(金)「妻帯禁止裁判」
栃木県足利市の曹洞宗僧侶が大本山永平寺に対し僧侶に妻帯禁止の教育をするやう訴訟を起こし、その判決が昨年九月福井地裁であつた。裁判所が宗教に介入するのは信教の自由の侵害にあたるとして訴えを却下した。
却下はされたが、裁判を起こしたことは尊い。他のアジア各国の仏教は僧侶妻帯を禁止してゐる。日本も明治維新の前は禁止してゐた。妻帯してから日本の仏教は世襲で僧侶の質が低下した。しかも妻帯すると家族の生活費などカネが掛かる。僧侶に金銭欲が生じた。僧侶妻帯といふ一旦の試みは失敗に終はつたのだから、日本の仏教は僧侶妻帯を再び禁止すべきだ。
すぐに禁止するのは無理だから時間を掛けて廃止すべきだ。昔は社僧といふ僧侶がゐて妻帯できた。それに習ひ僧侶と社僧を分けたらいいではないか。あるいはまづ世襲を禁止したらいいではないか。既得権僧侶の抵抗で出来ないでゐる。
葬式に来てお経だけ唱へて帰るゴミ坊主がゐる。話は下手でよい。「毎朝仏壇に手を合はせてください」だけでもよい。なぜそれさへ言はないのか。他人の不幸に付け込む詐欺男である。消費税だけを唱へる選挙公約詐欺男の野田と同じである。禅宗と日蓮系はその点、合格である。禅宗は修行を毎日積むし日蓮系は過去の創価学会問題で鍛へられた。真宗系は妻帯の負い目がないだけに合格である。しかしこれ等の宗派を含めて妻帯をいづれは廃止すべきだ。真宗は非僧非俗に戻ればよい。

七月一日(日)「改革はいけない。困つたことは改善すべきだ。」
新しいことが何でもよいといふ珍妙な連中が戦後現れた。欧米の猿真似が何でもよいといふ珍妙な連中も明治維新以降に現れた。どちらもそのくせ既得権にしがみつく。朝日新聞と民主党拝米新自由主義派が典型である。
何かに困つた人が困つたことの改善を主張すべきだ。これがあるべき姿である。そして改善のときは一時的に試すべきだ。駄目だつたら戻せばよい。中曽根の嘘に始まつた消費税は失敗だつた。中曽根のプラザ合意も失敗だつた。既得権者を撲滅しこれらを戻せば日本は元気を取り戻す。(完)


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