二千六百十(朗詠のうた)赤彦の歌(付録、玉川上水と濠地線)
甲辰(西洋発狂人歴2024)年
十二月三十日(月)
岩波書店から発行された「赤彦全集 第一巻」を借りた。初版が昭和五年、再販が昭和四十四年。この三十九年間は、赤彦が比較的若くして亡くなった為に、やや無名に留まった為であらう。
初期の作品から収められてゐるが、途中の第一回目の歌集「馬鈴薯の花」から始めて後方へ移動し、初期の作品は最後に見ることにした。まづ「上高地温泉」の段落。
森深く鳥鳴きやみてたそがるる木の間の水のほの明かりかも
上高地外は中の湯坂巻と平湯があるも 上高地中は知られずその名のいで湯
反歌
赤彦の一つ目にある上高地温泉これは周り含むか
反歌
上高地温泉と呼ぶ上高地全体及び外の温泉
反歌
たそがるる木の間の水は雨の跡また梓川大正池か
同じ段落の二首目は
久方の朝あけの底に白雲の青嶺の眠り未だこもれり
朝明けは頂きのみに山裾と鳥と寒さはまだ夜明け前
かなり先へ進み「山の駅」段落では
たまたまに汽車とどまれば冬さびの山の駅(うまや)に人の音すも
一首飛ばして
山の駅(えき)霧のしづくのそぼそぼにをみなのともら濡れて来にけり
汽車の駅またはうまやと読むもあり山に煙と湯気の塊り
かなり先の大正二年に
うすうすと暮れ入る丘を汽車のゆげは赤くやはらかく流れたるかな
汽車の湯気夕暮れ時は染まるとも煙は黒を変はることなし
これで歌集「馬鈴薯の花」は終了。
十二月三十一日(火)
今回は歌集「切火」。
寒ざむと夕波さわぐ海づたひ海は見えずも芒の中に
夕日差す冷たき水の波音が海はこの先林の奥に
次は
まばらなる冬木林にかんかんと響かんとする青空のいろ
冬の杜土色のみが目に入る風に射す陽がかんかんと鳴る
次は
冬山ゆ流れ出でたるひとすぢの川光来も夕日の野べに
雪山を流れ来たるの川水は真昼の日にも冷たく光る
次は
草深(ふけ)野(ぬ)丹(に)にこもる茎のほのかだにさやらんとする身はあはれなり
草深野は「くさぶかの」と読むのが普通だ。字余りなので取り上げたい歌ではないが、何か本歌取りしたくなる歌だ。それは万葉集の
たまきはる宇智の大野に馬並(な)めて朝踏ますらむその草深野(ぬ)
などの歌に影響されたのであらう。戦後になると、万葉集の人気が激減した上に、江戸時代の国学者が万葉仮名を読み間違へたとする説が有力になった。小生は、赤彦説に賛成。
草深(ふけ)野(ぬ)丹(に)色に染まる夕日さへ緑に変へて蟲(むし)たちが棲む
次に
冬枯の山田の畦(くろ)の幾段に夕日のかげる静歩みかも
冬枯の雑木林の夕方は日が弱まりて冷たさが増す
次は
氷(ひ)の湖(うみ)ゆひた吹きあてるつのり風日を明かあかと揺る障子かな
雪のふるひとつ草家の赤き灯がほうと點きぬる夕なりけり
これらは勝れた歌で、本歌取りしても遥かに劣った歌になってしまふ。手も足も出なかった。
一月一日(水)
歌集「氷魚」に入り、かなり先の
川上に来りておそきわが汽車の吐く湯気かかる川原の石に
汽車の吐く勢ひを持つ湯気当たる強き風かも強き雨かも
次は
冬がれの国とはなりぬ千曲川土濁りして虹たつ雨雲
千曲川雨に濁るも越後へと流れ下れば澄めるや否や
次は
いくつもの寺は見ゆれど鐘鳴らず冬山の町日は暮れはてぬ
夕暮れに店は幾つかありとても人は通らず山裾の村
次は
雪ふかき街道すでに昏くなりて日かげる山あり日あたる山あり
雪降りて時折雨が混ざる故積もる道あり積もらぬもあり
次は
水のなき川原をわたるながき橋日暮れてなほ薄明りあり
雪の日に水無き川を渡るあり水は固まり雪まだ融けず
一月二日(木)
歌集「氷魚」の続きで、「本所の道」段落が三首。まづ一首目は
濠の水みちて静けき心よりをちかへりつつ燕はうごく
玉川を濠の地(つち)へと流したが淀橋が消え再びはせず
かつて玉川上水の水を濠地線で、皇居のお堀に流した。淀橋浄水場廃止とともに無くなった。玉川上水の清流復活で、東京都が宮内庁に打診したが断られた。
清流復活は下水処理水を三次処理したものなので、流れ着いたときは清流でも、富栄養化で時間経過とともに藻や微生物が繁殖する。宮内庁の判断は適切だったと思ふ。玉川上水愛好者としては残念だが。
残りの二首は
先生のむかしの家の前をとほり心さびしも足をとどめず
先生の心をつぐに怠りのありと思はず七とせ過ぎぬ
赤彦は左千夫と並び早死にし忘れられがち我が務めかも
二人は早くして亡くなったために、茂吉と並ぶ文学者でありながら、忘れられがちだ。それを顕彰することは我が務めだ。
汽車のうちに夕べ聞ゆる山の田の蛙のこゑは家思はしむ
窓閉めず汽車に蛙が聞こえすぐ暗く間もなく耳鳴り響く
昔は、小仏隧道も笹子隧道も丹那隧道も、入ってすぐはよいがだんだん「早く外に出てほしい」と誰もが思ふやうになった。それは線路の継ぎ目のガタンゴトンの音を長時間聞くと、耳に元本と利息と複利が溜まって大変だった。今は冷房で窓を開けることが無くなったから、トンネルの長さを誰も気にしなくなった。
畳まれる白雲の上に竝み立てり朝日をうけて赭き岩山
畳まれる白雲の下暑さなく凌ぎやすしの夏は穏やか
次は
旅籠屋のうらより見れば森おほき安曇国原暗くこもれり
旅籠屋の窓の外には上る崖その頂きは美ケ原
その次は
この岡の桑生(ふ)の下の湖に天の川低く明るみて見ゆ
湖(うみ)の上きれいに浮かぶ天の川低く見えるは陸(おか)高きかな(終)
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