二千五百二十六(うた)中板橋でミャンマー経典学習会
甲辰(西洋未開人歴2024)年
十月二十六日(土)
本日は、中板橋にあるミャンマーのお寺で、再開後二回目の経典学習会が開かれた。まづ四十五分の自主瞑想を行った。
そのあとオバササヤドーが来られ、読経しダンマパダ121、122の講義があった。121は
「その報いは私には来ないだらう」と思って悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴り落ちるならば、水瓶でも満たされるのである。愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば やがて禍いに満たされる。

122は
「その報いは私には来ないだらう」と思って善を軽んずるな。水が一滴ずつ滴り落ちるならば、水瓶でも満たされる。気をつけている人は、水を少しずつでも集めるように善を積むならばやがて福徳に満たされる。

121とその因縁物語では、メモ書きによると
水瓶をいっぱいに、について結果が現れる。
律蔵にも、因縁物語と同じ長椅子と腰掛、更に敷布団を外に広げたあと、片付けないことについて単堕になる、とある。

122と、その因縁物語では
金持ちが気付き、謝った。すぐ謝ったのはよいことだ。二人の様子を見ていた佛陀とは、すぐ謝ったことを見てゐたの意味。金持ちはサタパ(預流)になった。
四種の人間。
1.自分は布施、他人にはさせない ->自分は物が豊富、周りに人がゐない。
2.自分は出さない、他人には勧める ->自分は物が少ない、周りに人が多い。
3.自分は出さない、他人にはさせない ->自分は物が少ない、周りに人がゐない。
4.自分は布施、他人にも勧める ->自分は物が豊富、周りに人が多い。
説法を聴き、122の「或る男」は喜び、4にならうとした。
招待は何人に行ったらよいか ->全員。人数は書いてないが、五百人か千人。ミャンマーの大きなお寺は百人はゐる。 どんな小さな悪い事もしない。

以上のお話があった。質問の時間に入り、
ミャンマーでは、一番大きな僧院で三千人。千人、五百人、百人とゐる。勉強する僧のため、布施したり寺を作ったり、が今でも行はれる。
ミャンマーの十月は、罪がある時は許してください、と僧同士で行ふ。在家は、目下が目上にだが、平等に行ふ方がよい。
どんな小さな悪いこともしない。小さな良いことも、軽く見ず数を重ねる。小さな種でも実る。
貧富のほかに、健康、気持ちの持ち様、もある。(私は貧乏だ、の質問に)
前世のシーラが足りなかったか、自分の気付きが足りなかったか。(五歳の時に熱湯を浴びて、何回も手術したが全身に跡が残った、の質問に)
金持ちの謝る前のあだ名、猫の足について、パーリ語では猫の足跡。
涅槃の名称は十三か十四ある。ダジンジュはワサ(三ヶ月、ダディンドン)が終るの意味。(パーリ語の語源についての質問)。

小生は、四種の人の話はブッダゴーサが書いたか質問し、その通りでブッダの説法にあったと回答を頂いた。なるほど、ブッダゴーサは、それまでの伝承を一つに纏めた僧で、釈尊の言葉が伝承で伝はったのであった。部派時代に、複雑化した教義とは異なる。
質問をしたときに、ブッダゴーサが伝はらず、先月話の出たブッダゴーサ、と追加するとサヤドーと通訳さんが、瞬時に気付かれた。ブッダゴーサ自身はそれほど重視されないのかも知れない。著した古文書は重視されるが。
小生は、中村元さんだったか、ブッダゴーサが従来の伝承をまとめて一つにしたので、その前に遡れなくなったと云ふ主張が印象に残ってゐた。現代の研究者からすれば、さうであらう。
日本の畳と似て、ミャンマーは絨毯に座る。小生は足に自信があるが、それは歩きや走ることのみのやうだ。長時間座ると、足が痛くなる。正座のほうがよいが、周りより高くなると、後ろの人からサヤドーが見えなくなるのいけないので、足を崩したままだった。「ふじの山」を本歌取りで
頭を周りの上に出し 四方の人を見降ろすと 雷神ならぬサヤドーの 説法見えぬを防ぐ故

反歌  神鳴りがかみなり様に仏法の教へは神の声に匹敵
一番後ろに座ればよいが、ぎりぎりに着いたら前しか空いてゐなかった。
質問の時間で感じたことは、貧乏と幼児の時に火傷(二つで一人の質問)、ADHDと、悩みを抱へる人もゐる。日本の既成仏法は役立ってゐない。南伝では、在家で解決しないときは出家することもできる。そのまま一生を僧侶としてすごしてもよいし、短期間で還俗してもよい。日本でもこの制度が必要だが、今の既成寺院にはその能力が無い。(終)

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