二千三百三十七(朗詠のうた)母の短期宿泊と、荷物届けにバス一日乗車券を使った
甲辰(西洋未開人歴2024)年
五月十日(土)
妻が妹と、海外旅行へ行くことになった。ケアマネージャーと相談し、その間は母を短期宿泊させることになった。妻の出発日は朝四時に家を出ると話すうちに、義父(妻の父)が亡くなった。旅行は延期し、妻は葬儀に出席のため一日遅れで早朝に出発した。どちらも早朝の為、一日遅れたことを失念した。
海の外ちち(義父)亡くなるが重なりて慌ただしくもひと日を過ごす
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本日昼前の仕事帰りに、宿泊施設から連絡があり、薬が昼の一日分しかないと云ふ。感覚が一日遅れたため、今日は通常のデイサービスだと勘違ひした。朝昼晩の薬と、行く時に持たせる筈だった書類を持って、小生が施設へ出向くことになった。電話を受け取ったのは帰宅の電車内だったが、施設はおそらくバス乗継が必要だ。駅から自宅までと、施設まで往復で、合計五回は乗ることになる。そのため、初めて国際興業のバス一日乗車券を購入した。
帰宅後に昼食を食べたが、約束の時刻はずっと先だ。そこで、蕨までバスに乗り、蕨から南浦和駅西口行きのバスに乗った。後者のバス路線は今まで一度も乗ったことがなく、一回は乗りたいものだと予て思ってゐた。
南浦和の一つ手前の、文蔵から南側が昔は道路が狭く、バスの通行が困難だった。その後、道路を拡張し、蕨への路線が出来て三十年以上が経つ。乗るのは初めてだ。
南浦和駅西口から太田窪まで、南浦和陸橋で線路を超えて、東側をぐるっと回り浦和駅東口までのバスに乗った。ここで東浦和方面へのバスに乗り換へ、老人施設へ行った。
書類と薬を渡し、母にも面会した。元気に週刊誌を読んでゐた。中央の部屋の周りには、個室が並ぶ。きれいで思ったより大きな部屋だった。これで一安心だ。
浦和駅東口に戻ったあと、まだ余裕があるので原山経由東浦和駅行きに、終点まで乗った。途中に花月の停留所があり、五十年前に祖母(父の母)が入院した病院を思ひ出した。先ほどの太田窪を通るバスに花月停留所が無いので、なぜだらうと疑問だったが、この路線だった。どちらも東へ向かふが、道が一本異なる。
東浦和からは、戻るバスの列が長いので、緑区役所行きに乗った。終点で乗り換へればよい。ところが経路は異なり、狭い住宅地の中をくねくねと走る。しかも終点は区役所の南、浦和駅へ行くバスは区役所の北だ。歩いて交差点を左右どちらに曲がるとバス停なのか分からないので、左へ行った。これははずれで少し歩いたあと、花月のバス停に着いた。再度五十年前を偲んだ。そして浦和駅東口まで乗り、西口から家まで乗った。
いそ(五十)年の前に亡くなる父の母妻の父にて復た蘇る
午後一時から六時までの小さな旅だったが、一日乗車券なので七百円。都バスなどに較べると高いが、正規運賃だと二千百円分くらい乗った。都バスに一日乗るとこの金額になるから、国際興業は距離が短いのだらう。東京都二十三区に比べて、浦和は狭い。
昼からは慌ただしくもバスの旅すべきを済ませひと時憩ふ(終)
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