二千三百十四(うた)仕事後の寄り道(浮間公園、音無川)
甲辰(西洋未開人歴2024)年
四月二十二日(月)
本日は仕事で浮間へ行った。前回とは別のマンションだ。終了が十時と早いので、それから浮間公園を一周した。さくら草を栽培する区画があり、公開は本日までだった。
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さくら草田島ヶ原は名高きも かつて浮間に自生あり 庭先などを持ち寄りて 今へと続く公園の脇
反歌
昭和には川が真(ま)直ぐへ氾濫が消えさくら草自生も消える
四月中旬の浮間さくら草まつり期間中のみ、公園横の浮間ヶ原桜草圃場を公開する。入口で頂いたパンフレットによると
浮間ヶ原の桜草が全国的に知られるようになったのは、江戸時代の初期のころです。徳川家康は(中略)持ち帰って鑑賞したのが始まりであると言われています。その後、各大名や旗本が競って栽培を始め、やがて町民の間に広まりました。
当時の桜草愛好家たちは、自然の突然変異による花変わりの桜草を自生地から採取し、また、交配によって新種をつくり出すことにも意欲的に取り組みました。
四月二十三日(火)
本日は、十二時に仕事が終了し、二時開演の梶原いろは亭へ行った。待ち時間があるので、王子駅北側の音無川親水公園と王子神社へ寄った。石神井川は、飛鳥山の上にある音無橋付近で流水の多くをトンネルに流し、一部を旧河川敷へ流す。昭和四十年代前半に、飛鳥山には展望塔があった。ゆっくり回転する展望室から、石神井川のトンネルへの水しぶきが見えた。
それが今でも続くのだらうと思ったら、ずいぶん変化した。まづ旧河川敷は、ほとんど水量が無くなった。王子駅北口から上側は、親水公園になった。石神井川の水を浄化して流すのだらう。本日は浄化施設の清掃を行ってゐた。親水公園の西側の細い水路は魚道とある。僅かに水が流れる。あれでは魚は上下を移動できないだらう。
トンネルは二本になった。水しぶきは上げなくなった。下流に王子桜橋と云ふ橋が出来て、そこで合流する。ここは汚泥が溜まるので、人工水流と地下鉄南北線で湧き出た地下水を一時間に一回放流して、汚泥を流すさうだ。確かに、水の色は汚さを示す。
王子神社にも寄った。音無川は親水公園化で近代化されたが、それでも歴史の流れを感じる。飛鳥山公園よりはるかに感じる。
四月二十四日(水)
本日は、狐塚通りに勤務し、終了後は通りを板橋駅とは反対方向へ歩き、突き当りののちは石神井川に沿って王子駅へ出た。
狐塚帰りは通り端までと石神井川に沿ひ下る 川を短絡廃止跡緑地となりて馬蹄形 これも見た後王子へと着く
反歌
飛鳥山展望塔がかつてあり石神井川は水しぶきあり
そして
石神井は音無橋で変化する トンネル二本増水の対策として 旧水路流れ僅かに トンネルが合流の後清流は無し
反歌
トンネルの前は清流飛鳥山桜橋より下は汚濁に
本日は、魚道に水がまったく無かった。インターネットで音無親水公園を調べると、5月と6月は土日祝日のみ運転、7月と8月は毎日運転で、雨天や電力事情逼迫時は休止とある。石神井川の水を浄化するのではなく、地下水を循環するのかも知れない。
王子桜橋の北側は、一階に東武ストア、二階以上はスポーツセンターが入る。ここは日本製紙の工場跡で、今でも日本製紙の経営だと思ふ。
東京都建設局のホームページに、石神井川の分水路が第一期工事は昭和 43 年に、第二期工事は昭和 58 年に完成、とある。(終)
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