- 井の頭線沿線


二千九十七(うた)井の頭線沿線のマンションに勤務
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
九月十八日(月)
本日は、井の頭線沿線のマンションに勤務した。九時からなので受けた。八時からなら遠いので辞退した。とは云へ、現地に付いたのは八時七分なので、傍から見ると勤務できると思はれることでせう。
八時からだと、一回目は七時三十分には着きたい。あと本日は祝日だ。平日だと10分は余計に掛かる。乗り換へに階段と通路が混む上に、電車も乗り降りに時間が掛かる。
更に決定的な理由がある。このマンションは、祝日が九時から十二時まで、平日は九時から午後五時まで。これでは無理だ。我が家は共働きだから、家事を分担してゐる。母がデイサービスから夕方に戻るから、一人にすると危ない。だからこのマンションは、二度と来ることは無いと思ふ。
井の頭線は、六十五歳まで勤務した会社から週に三回または二回、午前中勤務する都立特別支援学校があった。六十歳になったときに再雇用だから続けられるのに、或る人が終了すると決定した。富士通の子会社から受注するために受け入れ執行役員兼、東京事業本部副本部長、兼事務統括本部副本部長、と云ふ実質的には副社長くらいに権限があるのに形式的には権限が無い男だ。因みにこの男は六十歳になったときに、その後の待遇に不満があり退職した。
だから井の頭線は七年ぶりで、懐かしかった。最初は出勤の時に渋谷から乗り、会社に戻るときは京王線の新宿で降りた。昼食は新宿の副業で昼食の店(夜は飲み屋)で食べた。料理への価格満足度は高いが、夜はジュータンに食べ物をこぼすのか少し臭ひがした。
後に家から弁当を持ち、京王線新宿駅の一番北側のベンチで食べた記憶がある。次に帰りは京王バスで会社から少し歩くところまで乗った。更に、学校から会社まで歩くやうになった。Google地図だと4.1Km五十七分である。私だから四十分であらう。そのとき、方南町角の牛丼屋で何回か食べた記憶があるので、経路と弁当は揺らぎがある。揺らぎとは、最新に近い科学である。
上の子は私立大学の獣医学科でお金が掛かり、下の子は新潟県内の国立大学なので首都圏の私立大学と同じ程度かと思ったら、寮に入れた。それでも、節約のため経路と昼食がずいぶん変はった。
上の子が大学生になるときに 浦和か横浜どちらかの家売却は規定路線 浦和を売るに一旦は母も賛成 その後に浦和に住むと云ふために 横浜を売りまづ港北 上の子大学卒業を待ち浦和への計画に 母糖尿病ひざ痛で 子を下宿させ浦和へ移る

反歌  浦和ではそのとき母は元気にて一人買ひ物今はもう無理

九月十九日(火)
昨日のマンションは、管理事務室の奥に管理人夫婦居住部分がある。お手洗ひ以外は立ち入り禁止だが、畳と床から新築の香りがする。管理人居住で新しいマンションがあるのかと感激した。各階の巡回をすると古い。帰宅後調べると昭和四十九年だから、築四十九年だ。管理人室だけ、リフォームしたらしい。
マンション一階は店が三つ入居するが、これも今は珍しくなった。二階以上はロの字型に各戸が内側の廊下に繋がる。これも今では珍しい。一階にはボイラー室がある。中は物置きになったが、かつてはここで温水を作って各戸に有料で送ったのだらう。マンションのボイラ室は、初めて見た。
昭和の世四十九年は 貿易の黒字問題起き出して 六十年に五ヶ国がプラザ合意でこれ以降日本社会は激変となる

反歌  マンションに異常があれば通信で伝へる為に常駐要らず
反歌  マンションの時代に於ける変化には世の出来事が刻み込まれる(終)

メニューへ戻る うた(六百三十七)へ うた(六百三十九)へ