二千四十八(うた)葛西臨海、中野サンプラザ、大久保から新宿へ、駅たびコンシェルジュ品川「港区観光ボランティアガイド直伝 港区の魅力発見講座」
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
七月二十日(木)
駅たびコンシェルジュ品川主催「港区観光ボランティアガイド直伝 港区の魅力発見講座」(参加費無料)は座学だ。駅たびコンシェルジュがどのやうな場所なのかを体験するのと、
(A)「いちょう並木と国立競技場などの緑豊かな外苑エリアのまち歩きコースを紹介」
(B)「伝統ある豊川稲荷や氷川神社と、TBSやサカスと華やかな商店街、及び勝海舟の邸宅跡をめぐる、変化に富んだまち歩きコースの紹介」

のうち(B)に興味があったので、参加した。(A)は14:00から、(B)は15:15からだ。本日は十二時に仕事が終はる。時間を潰すためJR東の都区内パスを購入した。まづ葛西臨海公園まで乗った。猛暑なので公園内を少し歩いて東京駅へ戻った。東京駅の京葉線ホームは不便だ。到着寸前で右に曲げてホームを総武線と平行させ(場所が無ければ真下でもよい)そのまま中央線快速に乗り入れるべきだ。
次に中野まで乗り、閉館した中野サンプラザを外から見た。前にも書いたがかつて東京には超高層ビルが四つで、そのうちの一つが中野サンプラザだった。
大久保まで戻り、飲食街を野村ビルまで歩いた。三軒並ぶタイ料理店のうち右を除く二軒は存続し、少し右側に離れた店は一旦別の料理店になったが、タイ料理が復活したところで西新宿へは行く機会が無くなったが、やはり存続してゐた。野村ビルから地下道で新宿駅まで歩き、品川へ行った。時間があるので東口側通路上から入れる商店ビルへ寄った。壁に英語だけ書いたものがあり、英米風を狙ったのだらうが、日本なのにと嫌な気分になった。
開始時刻が近づいたので、みどりの窓口隣の駅たびコンシェルジュ品川へ行った。港区観光協会発行の港区まち歩きを見ながら、説明があった。編集は港区観光ボランティアの会なので、執筆者から説明を聴いたやうなものだ。質問の時間は、誰か発言者がゐれば小生は黙ってゐる。居なければ盛り上げ役に回る。今回は後者だったので
小生 氷川神社からみすじ通り方向へ行くと氷川公園がありますが、昔はここも境内だったのですか
講師 境内ではなく、昔は氷川町でした
小生 文京区の氷川下町と同じですね
講師 氷川神社は、東京と埼玉に多く、港区に三つ、文京区に(以下略)

次の質問者が出ないので、再び
小生 昔は一の橋や天現寺橋など、普通の人が住む街で、金持ちの街と云ふ印象は無かったが
講師 経済成長と、近くにテレビ局が多いので芸能人が住むやうになった。終戦直後は焼け野原だった
小生 都電で「墓地下」の停留所は寂れた所でしたね
講師 墓地下は今でもあります
小生 アメリカ軍がゐますね
講師 ハーディーバラックスです。二十三区で米軍施設があるのは港区だけで、毎年返還要求を出してゐる。厚木基地に大統領が到着し、ヘリコプターでここへ来て、車でアメリカ大使館に行く。

小生と講師の話がかみ合って、盛り上がった質問の時間になった。
国鉄の大きな駅は 鉄道と旅行会社が共同で旅行センター開設し JR化で直営の旅行センター進出も周遊券は扱はず 旅行会社がその後に周遊券から撤退の 原因となり券は廃止に

反歌  一般の周遊券は発行が面倒なので旅行社撤退
周遊券には一般周遊券と均一周遊券があった。直営の旅行センターの後継が駅たびコンシェルジュだと思ふ。インターネットで調べたら、その後びゅうプラザ(JR東の場合)と名を変へて存続したが、新型コロナ騒ぎで昨年二月までに全店舗が閉店した。そして駅たびコンシェルジュになった。(終)

メニューへ戻る うた(五百八十七)へ うた(五百八十九)へ