千四百十七 中野サンプラザ訪問記(二つの介護講座に出席)
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
二月一日(土)
東振協(東京に本部がある業界別健保組合の団体)主催の認知症介護講座があり、本日参加した。母が高齢なので、今後に役立つ内容だった。
四回開催され、別の会場で別の日だ。私は有楽町の交通協会を申し込んだ。かつて東京都交通局は有楽町駅前の交通会館にあった。今は都庁の高層ビルができたので、そこに移った。交通会館の会議室なら一回は行ってみようと思った。
ところが、交通会館かと思ったら、駅を挟んで反対側のビルだった。送られた案内地図にわざわざ、交通会館とは別です、とある。交通協会の入居するフロアには、JR西日本とJR北海道の東京事務所と、バス協会、交通協力会、交通道徳協会もあるがフロア全体の約1/4で、残りは一般の企業、法律事務者などが入居する。
講演は、午前が認知症サポート医師で2時間、午後はケアマネージャの経験もある看護師により3時間だった。午前は、まづサポート医師について専門医が不足するので精神科、脳外科など専門医と、一般医の中間との説明があった。
三十年近い経験を交へた話はためになったが、午後の看護師の講演と比べると見劣りしてしまふのはやむを得ない。医師にとって、一般人を相手に講演をするより、診察や治療をしたいはずだ。看護師は、講演が得意となれば普通の看護師より格上と周囲からはみられる。

二月八日(土)
本日は介護健康講座があり、これも合計三か所で別の日に行なはれる。一箇所は大宮ソニックシティなので自宅に近いが、中野サンプラザを選んだ。
中野サンプラザには三つの思ひ出がある。まづ昭和五十(1975)年頃に、見晴らしのいい場所から景色を見ると、東京には四つの高いビルが見えた。霞が関ビル、貿易センター、池袋サンシャイン、中野サンプラザ。
方角が違ふから、四つが同時に見えることはほとんどなかったが、このうちの中野サンプラザは三角形の遠景が美しかった。
後に、新宿副都心に高層ビル群ができた。これは遠くから見てもすぐ判った。例へば武蔵野線の荒川鉄橋から新宿の高層ビル群がよく見えた。池袋のサンシャインも見えたはずだが、中野サンプラザは記憶にない。
その後、高層ビルが増えて、今ではどのビルが何なのか判らなくなった。中野サンプラザは高層ビルの中に埋もれてしまった。

二つ目の思ひ出は、会社が中野区に移転してから、中野サンプラザで三回ほど東京地区全体の発表会を開いた。新年の集ひ、キックオフなど。当時は、キックオフの後に飲食をすることはなかった。
中野サンプラザが民営化された後は、使用料が高くなったためか、使はなくなった。商店街ふれあいロードの終端の向かひにある中野区立商工会館を使ったりした。その後、健保組合のスポーツプラザが廃止され健保事務所兼貸会議室になったため、健保施設を使ふやうになった。

三番目は、昨年末に亡くなった加藤日出夫さんが、私の勤務する会社が中野区だったので、中野サンプラザに加藤さんの机があり、民営化で廃止された話をされた。
今回訪問すると、中野サンプラザは5階が事務所だ。5階に行きこのフロアに部屋があったのか尋ねると、8階とのことだった。若い根っこの会と、加藤さんが兼任で役員をされた日勤協があった。
8階は今回の講習が行はれたところなので、かつての形跡が残ってゐないか探したが、見つからなかった。廊下や室内の天井と壁を見ると、昔のままのやうだ。

二月十一日(火)
中野サンプラザは、7階が大中小の研修室6つとカルチャースクール4つ。8階は大中小の研修室7つとグループ室が2つ、それと研修室受付と事務室。8階の研修室は、研修室1から6までと12、7階の研修室は7から11と13。
研修室5と6は、アコーデオンカーテンを開けて、大きな部屋にすることができる。今回の講習はここを使ひ、5で座学、6でベッドや車椅子を使った実習だった。廊下の突き当りの防火扉は最初閉まり、昼休みは開いてゐたが、この先に8階は研修室12、7階は研修室9がある。8階は番号が非連続なので後から改造したのだらう。ここが日勤協か。
エレベータは東西に4台づつあり、しかし東側はホテル階、宴会階、結婚式階用が中心で、7階と8階にも停車するのは1台だけだ。
ここで会社の発表会を開いたのは、研修室5+6だと判った。横幅が机6つ分あったし、終了後に1台しか止まらないエレベータで随分待った記憶がある。放火壁が開いてゐれば、部屋を出て左のすぐに東側エレベータがある。
中野サンプラザは近いうちに建て替へるさうだ。中野サンプラザは、昭和50(1975)年直前から昭和60(1985)年辺りまでの香りがする。石油ショックの後の物価急騰からプラザ合意までの期間だ。だから今回は詳細に観察した。最近一つ変化があった。二階の旅行会社が閉店した。正面の大階段は二階の大ホールに行くためだと思ったら、旅行会社が入居してゐたのだった。地下のボウリング場も昭和の香りがする。(終)

追記二月十三日(木)
社内の書類移動は、中古のクリアファイルを使ふ。そのなかに中野サンプラザのクリアファイルがあった。会社が集会に中野サンプラザを使用したことを物語る。一年ほど前に見つけて、懐かしいので社内に回さず、書類入れとして引き出しで活用してきた。
それを見ると、三角形の建物の絵の下にURL、その下に電話番号が、代表、レストラン、宴会・婚礼、研修室、スポーツ、ホテルについて載る。
地下一階のボーリング場と、地下二階のプールは、民営化前はスポーツ施設だったことを物語る。

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