二千四十七(普通の歌、和語のうた)宇都宮、鹿沼、宇都宮、小山の旅
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
七月十七日(月)
本日は、帰宅時に駅で二十分待たされる。その間を利用して、明後日の切符を購入した。今までジパング機能だったが、今回は初めて大人の休日倶楽部機能だ。普通の指定席券売機で買へるはずだ。
ところが、帰路は一部区間で新幹線に乗らない計画なので、指定席券売機を使へない。そこで話せる指定席券売機を使ひ、無事購入することが出来た。
草枕旅は切符を購入の時に始まり 旅準備調べ始める時に始まる
反歌
家を発つ準備終了旅にては三分の一やはり終了
七月十九日(水)その一、宇都宮のバス路線
宇都宮へは七時三十三分に着いた。この時刻の新幹線は、下りも通勤者や出張者が多いらしく、小山までは三人掛けの真ん中を除きほぼ満席だった。宇都宮へ急いだのは、通勤者の流れを見るためだ。西口は市内の中心でバスが多い。それに対して西口は六つあるバス乗り場のうち、路線バスは二つのみで、路線数も実質は六つ(残りは本数が極めて少ない)だ。残りのバス停は、企業バス(全日が三社、数便が二社)と作新学院女子短大用だ。
つまり、工業団地への通勤はほとんどが自家用車だ。これをLRTへ誘導するのだらう。清原工業団地は従業員が一万一千人、芳賀工業団地と芳賀高根沢工業団地が合計二万五千人。
尤も市の資料によると
交通渋滞の緩和のためと思われている方が多いかもしれませんが、宇都宮市が、少子高齢化に人口減少が加わる厳しい社会を生き抜くためには、車が運転できなくても多くの人が市内を移動でき、健康で元気に生活していくための公共交通ネットワークを作ることが必要であると考えており、その重要な装置として、LRTを導入するものです。
そのため、二期工事として駅の西側に延長する。まづは東側のTC(トランジットセンター)三ヶ所で、新設バス路線、既存バスの経路変更路線と連絡する。
その二、鹿沼
宇都宮を八時十一分発の鹿沼行きに乗った。宇都宮駅の日光線ホームは、待合所などが豪華だ。ここは元の東北線下りで、お召列車が停車した。
鹿沼駅から歩いて二十分で屋台のまち中央公園に到着した。受付(或いは館長)の説明を聴き、ビデオを見て、再び屋台を一人で見て、来館者用画面を操作した。説明で、龍や獅子、猿など動物がたくさん描かれたことに感銘を受けた。動物と共存するか動物を支配するか、東西の違ひだ。
説明で、飛龍と蒼龍の語が出た。戦前の空母だ。神輿は神が一時滞在する。屋台は神輿や山車に随行して、お囃子や踊りを行ふ。
その三、宇都宮のLRT乗り場と餃子昼食
鹿沼を十一時二分に出て、宇都宮は十一時十六分に着いた。LRTの停留所を外から見た。一台訓練で発車した。駅前の会議場で、全日通労組が大会を開いてゐた。朝は、バス停への歩道橋で、全労連が最低賃金のビラの入ったティッシュを配ってゐた。
駅ビルで地酒を見たが高い。観光客向けの地酒を買ってはいけない。
駅ビルで餃子セットを食べた。単品より百円ほど高いが、ご飯とスープが付く。夜の飲食時の開店を上げるためか、椅子の座り心地が悪く、注文してから十分と云はれたのに、それより待ち時間が長い。だが店員が皆元気に声を出すため、これらの欠点を消すから不思議だ。終了後のアンケートは良い点数を付けた。或いはアンケートも、不満を消す効果がある。
その四、小山の評定跡の石碑と脇本陣
宇都宮発十二時三十五分、小山着十三時。安土桃山時代の末期に、徳川などの東軍が上杉攻撃に向かふ途中、毛利などの西軍が反旗を翻した。東軍は小山で評定を行ったとされる。石碑へ行く途中で、案内図に脇本陣が載るのを見た。帰りに寄ったところ、旧道に面した部分は駐車場(と記憶してしまった)、柵の奥が脇本陣と、悲惨な姿になった。
写真を見ると、明治天皇の泊まられたことを示す記念碑を分けたやうだ。とは云へ、背後が気になる。
その五、帰途
小山駅へ着き、時刻表を見ると数分前に上り新幹線は発車した。一時間待たなくてはならない。駅ビルの中を見て廻り、せっかく本日は昼酒無しで済ませたのに地酒のカップを買ひ、新幹線の待合室で飲んだ。昼食を食べて一時間半なのでまったく酔ひが廻らなかった。十四時三十二分に小山を出て、大宮に五十一分に着いた。
今月の中旅行(宿泊を伴ふものが大旅行、何かのついでに寄るものが小旅行)は、かなり充実した。
月毎に中ほどの旅 宇都宮道に横たふはがね道 出来る前での街を見て 鹿沼祭りとお囃子と踊りの為の曳き車 江戸の美しさ今に曳く 再び戻る宇都宮ぎょうざ食べ終へ ひと月で無くなる車乗り合ひを 調べ小山へ関が原戦ひの前家康が折り返す場は何も残らず
反歌
鹿沼では祭り囃しの曳き車たつ鳥けもの皆共に棲む
反歌
おかの猿大きな鳥の餌と云ふだが共に棲む示す為では
ギョーザは一般名詞、ぎょうざは固有名詞を除き使はないのが新聞の用語集だ。今回は「ぎょうざ」と固有名詞で和語を保った。脇本陣について
小山宿江戸の世残す物一つ 脇大旅籠近き世も帝泊まりた建物が 今に残るも道近く車を停める場のためか 分かれ今では異なる囲ひ
反歌
古き家大きな門口その屋根は脇大旅籠今に伝へる
本陣の和語は大旅籠。ここでも和語を保った。(終)
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