千九百六十(和語のうた) 1.旅行外伝(地酒と昼食と水分補給)、2.富士通半導体と加賀電子
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
三月九日(木)
今回の旅行で、昼食前に地酒を飲むかと思ったが、酒屋が無い。仕方なく、駅の売店でカップ酒とサンドヰッチを買って、小田原駅新幹線ホームのベンチで食べた。
新横浜駅で新幹線を降りたあとは、当初の予定では菊名まで行く筈だったが、連続切符に含めることができなかったので中止し、バス停を見て帰るかと思った。ところが歩道橋を間違へて道路の反対側まで行ってしまった。まづコンビニで、カップ酒とサンドヰッチを買った。次に並ぶビルの一階の会社名に、富士通セミコンダクターがあるか調べたがなかったので、新横浜から新幹線に乗った。
車内で昼食の第二部(小田原は少なくてお腹がすいた)を済ませた。家に帰ったら喉が渇いたので、コーヒーを飲み、暫くしてまた喉が渇いたので、コーヒーを飲むことを二回繰り返した。つまりコーヒーを三杯飲んだ。
夜になり夕食を作りながら、喉が渇いたので水を二杯飲んだ。ここまでは、カップ酒二本と昼食を水無しで済ませたためだと、気にしなかった。
夕食が終はり、食器も洗ひ妻が帰宅し、就寝した。夜中に喉が渇いたので水を飲むことを二回繰り返した。ここで、旅行中に一回も水を飲まなかったことに気付いた。今回は、熱海、湯河原、真鶴、根府川、早川、小田原、新横浜と六つの駅で乗降したため、忙しくて水分補給を忘れた。
草枕日帰り旅で忙しく 水を飲むのを忘れたが 夜中に喉の渇きにて気付き水飲み二たびとなる

(反歌) 草枕六つのうまや楽しさも六つはありて二たび目指す
うた(五百〇の一)でジパング旅行は一旦終了と書いたが、揺らぎが出た。

三月九日(木)その二
富士通セミコンダクター株式会社とは、富士通株式会社の半導体事業本部が分離したものらしい。小生が退職したあとだから、「らしい」としか云へない。会社の沿革を見ると、パソコンFM8のことも書いてある。
別のページに、富士通セミコンダクターの元関係会社
富士通エレクトロニクス株式会社は、2020年12月29日付けで加賀FEI株式会社に社名を変更致しました。

とある。次にその加賀FEIのホームページを見ると
1952年5⽉	平⼭電機商事株式会社を設⽴
1968年7⽉	富⼠通株式会社の経営参加
1973年4⽉	双⽴商事株式会社(1956年1⽉設⽴)と合併、富⼠通部品商事株式会社に商号変更
1984年10⽉	富⼠通部商株式会社に商号変更
1987年4⽉	富⼠通マイクロデバイス株式会社に商号変更
1990年4⽉	富⼠通マイコンシステムズ株式会社(1981年4⽉設⽴)と合併、富⼠通デバイス株式会社に商号変更
と、小生がかつて所属した富⼠通マイコンシステムズが出てくる。このあと
1998年4⽉	東京証券取引所市場 第⼆部に上場
2007年8⽉	株式交換により富⼠通株式会社の完全⼦会社となる(7⽉上場廃⽌)
2007年10⽉	富⼠通株式会社 電⼦デバイス営業部⾨と統合し、富⼠通エレクトロニクス株式会社に商号変更
2008年3⽉	富⼠通株式会社がLSI事業部⾨を分社し富⼠通マイクロエレクトロニクス株式会社を設⽴、同社の完全⼦会社となる
(中略)
2019年1⽉	加賀電⼦株式会社が富⼠通セミコンダクター株式会社から富⼠通エレクトロニクス株式会社の株式70%を取得し、加賀電⼦グループとなる
つひに石川県の会社になったのか、パナファコム(現、PFU。本社、石川県)みたいだ、と思った。次に加賀電子を調べると、本社は東京都千代田区。創業者が石川県出身ださうだ。(終)

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