千九百十一(うた) 「ウクライナを見捨てれば、日本も同じ運命になりうる」が悪質な理由
壬寅(西洋野蛮歴2023)年
西暦元日後一月三日(火)(2023.1.2)
HuffPostのホームページに
ウクライナを見捨てれば、日本も同じ運命になりうる。軍事研究者の小泉悠さんは警告する【ウクライナ戦争】

が載った。小泉悠さんへのインタビューで、小泉さんの主張はある程度正しい。しかし記事は悪質だ。まづ題の「ウクライナを見捨てれば、日本も同じ運命になりうる」で、日本がウクライナを見捨てれば日本もさうなるとほとんどの人が思ふ。しかし、世界が見捨てればの話だ。前文の
日本を超大国のように誤解している人がいるが、実際には日本も「チェスの駒」であり、超大国のような「チェスのプレーヤー側ではない」と指摘。「もしロシアのウクライナ侵略が成功して、国際社会がウクライナを見捨てた場合には、日本だって同じことが起こりうる」として、「それで本当にいいんですか?」と問いかけた。

まったく同感だ。そのためには、アメリカ一国を超大国にしてはいけない。ましてやアメリカは移民国だ。癌細胞が体全体を支配するなんて許してはいけない。
もう一つ前文に
ハフポスト日本版では小泉さんにZoomでインタビューをした。現在進行形の戦争を著書にまとめた理由については、「NATOやアメリカに問題がある」などとロシアを擁護する日本の識者の一部の声への反発があったという。モスクワでの研究経験もある小泉さんだが「いろいろな理由があるにせよ、今回のロシアの戦争は擁護できない」と言い切る。

アメリカとNATOのために、日本はチェスの駒に過ぎなくなった。だからアメリカの考へる世界支配に反対する潜在意識が日本にはあり、「ロシアを擁護する日本の識者」が現れた。そこまで分析すべきだ。
本文を見ると
僕が大学生だった2003年にイラク戦争があったのですが、あのときに日本のリベラル層は「アメリカはけしからん」「帝国主義的である」という批判を展開しました。その意味では今回、ロシアがやっているウクライナでの戦争も、アメリカがイラクを侵略したのと同じぐらい理不尽だし、もっと非人道的だし、アメリカよりも遥かに責められるべきじゃないかと私は思うんです。

これについては、チェスの駒への反発だと先ほど述べた。
「ロシアは何を考えてこんな戦争を始めちゃったのか」を論じたかった。
(中略)「そもそもプーチンはNATO拡大を本当に心配していたのか」という点に着目したいんです。開戦前のプーチンの言説とはもっと民族主義的なもの、つまり「ウクライナはロシアの一部でなければいけない」という情念に強く彩られていて、NATO拡大の話は、飽くまでもその文脈の中で出てきます。

それなら日本をロシアの一部と考へる人はゐないから「日本も同じ運命になりうる」は間違ひだ。
僕は感情的にロシアを擁護する人に対しても、あるいは戦略論的に「ウクライナが抵抗を諦めて緩衝地帯になれば平和が保たれる」という話をする人に対しても、一言申し上げたいことがあります。それは、「我々はチェスのプレイヤーの方じゃないですよ、明らかに我々はチェスの駒ですよ」ということですね。
(中略)日本が超大国間の都合で「もう日本はアメリカと中国の間の緩衝地帯ね」みたいなことを勝手に決められたり、それに日本が逆らった結果として、どこか別の国が攻めてきて、(中略)「それが冷徹なリアリズムだよね」と言い切れるかというのは、僕は大変に疑問なんですよね。

だからさうならないために、多極化が必要だ。記事は最後に
戦争の背景にあるのは「ウクライナを中立化したい」「武装解除したい」「ゼレンスキー政権を退陣させたい」というテクニカルな物ではありません。根本的に「ウクライナがロシアから独立している状態が気に入らないっていう情念が滲んでいるんです。(中略)僕はプーチンの言説を見る限り、そうは思えない。その意味でここで、ウクライナが停戦することは意味がないと思っています。

小泉さんは、停戦に意味がないと、恐ろしいことを云ふ。それと「日本も同じ運命になりうる」は間違ひだ。プーチンは、日本がロシアから独立してゐる状態が気に入らないことはないのだから。
この記事が悪いのは、インタビューのやり方と題の付け方だ。あと小泉さんを親露派または知露派とするが、親欧米学問派であり反プーチン派とすべきだらう。外国人のロシア研究者は欧米人が多い。そのやうな中に混ざると親欧米学問派になる。
西暦の新年初め 親西洋反プーチンの言論が 反プーチンは構はない親西洋は日本を駒に

(反歌) 独立は軍事経済政策と文化教育芸術もある
英語教育と西洋音楽教育と、そもそも西洋式教育を行ふ日本は、独立国ではない。(終)

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