千七百八十一(うた) 1.半ズボンで出勤し着替へる場所を、2.菊名の思ひ出(登って平坦と、平坦のあと登るか)、3.のれんを考へる
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
七月十七日(日)
今回の特集は「千七百八十二(うた) 三たび玉城徹さんの本を読む」のあと作り始めた。同じリンクの特集を連続させないためである。
今回は「半ズボンで出勤し着替へる場所を」の特集だ。ここで思ひ出すのは、菊名駅から鶴見区馬場方面へ歩くときに、駅を出たら東側の川崎坂と云ふ坂を上がるのが普通だ。この坂は、駅近が急坂、後半はだらだらと前半と同じくらいの高さを登る。つまり普通の台地の倍は高さがある。江戸時代は菊名に七つの道があり、その一つだ。
菊名横険しい坂は江戸の世に七つの一つ川崎へ行く

夏の夕方に帰宅するとき、坂の途中からズボンの中が暑くなり、家に帰ると皮膚がかゆくなり、睡眠時に無意識にかくので朝は血だらけになった。あまりにひどいので皮膚科で診てもらったが、暑いのとその状態で風呂に入るのが原因だ、で済まされた。
菊名から別の道があり、横浜線に沿って平坦な路地を歩く。法隆寺交差点の手前で階段状の小道を上がる。こちらはズボンの中が暑くならない。台地は地下水がないから土が暑く、台地脇の低地は地下水があるからそれほど暑くないのではないかと考へ、二年くらいその説を信じた。
今思ふと、最初に坂を登るから暑くなり、最初が平坦だと目立たないためではないだらうか。
夏の夕土が熱いか坂の上しかし体も中から熱く


さて、ここからが本題である。半ズボンで出勤すれば、かう云ふ問題は解決する。しかし敷居が高く、一つ目は更衣室がない。二つ目は途中で会社の人にあったときに、なんでそんな恰好で出勤するんだ、と云はれる。
半ズボンで出勤しよう。そして通勤電車の冷房を弱くしよう。半ズボンはちょっと、と思ふ人は和服でもよい。

七月十八日(月)
川崎坂は最高地点に達したあと、すぐ同じ高さを下る。つまり台地ではなく、小さい山脈だ。この下り坂にも、一つ思ひ出がある。坂の途中に小型スーパーがあった。だんだん客が少なくなり、二十年くらい前に経営者が変はった。
それから半年ほどして閉店し、整体(だと思ふ)と学習塾になった。小学生が一人自転車で学習塾へ通ふ光景を目にして、軌道に乗ったと思った。ところが数か月して閉店し、二店とも住宅に建て替へになった。
私が想像するに、スーパーを引き継いだ新しい経営者は売り上げが激減し、数ヶ月後に整体と学習塾の話に乗った。しかしうまく行かず、借金の担保に土地を取り上げられた。これが正解ではないのか。
直後に、学習塾チェーンのホームページを見た。目立ちたがり屋の女社長が載ってゐた。教育論や経営論を語るより、配下の塾を安定させることが大切だ。
丁度この頃経済雑誌のホームページに、中古の医院を購入したい医師が「いくらでもいいですよ」と云はれ、土地建物設備の相場を言ったら、相手が「患者数が入ってゐない」と怒った話が載った。
それを読み、小型スーパーを引き継いだ人を思ひ出した。引き継いだ途端に、お客さんがほとんど来なくなった。もし医院を引き継ぐなら、副院長として一ヶ月以上日替はりまたは複数勤務をして、しかも医院名は最初そのまま用ゐる。そこまでしないと患者を引き継げないだらう。
短命に終はった学習塾は、チェーン会社ののれんを借りた。しかし失敗した。のれんは難しい。前にスシローの記事を紹介したことがある。そのスシローが最近、大変なことになった。Business Journalには
客をクレーマー扱い…スシロー、キャンペーン不祥事連発の裏に危うい企業体質

が載った。多額ののれんは、経営陣にとり地雷なのだらう。(終)

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