百七十六、石原莞爾と劇画「ジパング」
(その一、石原莞爾、現役に復帰)
平成二十三年
六月十三日(月)「石原莞爾の肉声」
石原莞爾の作つた東亜連盟には浅沼稲次郎、市川房枝、稲村隆一、淡谷悠蔵などが係わつた。前に稲村隆一が森戸稲村論争の左派側の主役の兄だと述べたので今回は淡谷悠蔵を取り上げよう。社会党中間派の浅沼稲次郎が殺害された直後に本来は左派の書記長江田三郎は構造改革論を発表しすぐに党を二分する大論争となつた。江田は二年後に江田ビジョンを発表したため左派から批判され書記長を辞任した。江田が次の大会で立候補した組織局長の左派側候補が淡谷悠蔵である。つまり石原莞爾の周りには戦後の社会党反江田派が集結してゐた。
石原莞爾の肉声を聞けないだろうか。探したところ「ジパング」といふ劇画がテレビでも放送され、肉声ではないが石原莞爾役の声優の声を聞いた。立命館大学で講演する場面で、「ジパング」は石原莞爾を偏向せずに描く貴重な作品だと一度は思つた。
この作品は長編でその後は、石原が東條と和解し現役に復帰し支那派遣軍の参謀長になり原爆を開発するといふやはり偏向した内容になつた。しかし最終回で再び偏向しない内容に戻つた。なぜ二転三転するかを考察してみよう。
六月十四日(火)「ジパングのあらすじ」
西暦200x年に横須賀を出航したイージス鑑「みらい」が嵐に巻き込まれミツドウエー海戦の最中にタイムスリツプした。劇画や空想科学小説によくあるパターンである。
そこで草加といふ海軍将校を救ひ草加は日本の未来を知つてしまつた。敗戦を避けるために草加は石原莞爾に会つて原爆を開発し、それを「みらい」の艦長と副長が阻止しようとして最後は原爆を積んだ戦艦「大和」と「みらい」が互いに攻撃し合いマリアナ沖のアメリカ艦隊が唖然とするといふあらすじである。しかし話の背後にあるものは大きい。そこを明らかにして行こう。
六月十五日(水)「帝国主義どうしの争ひ」
先の戦争は帝国主義どうしの争ひであつた。そこを間違へると米英が正しくて日本は悪いといふ列強賞賛に陥つたり、日本は正しいといふ軍部賞賛に陥る。
日本の国内は昭和六十年のプラザ合意の後に急速に米英賞賛論に傾いた。
それまでの製造業の自信を失つたといふことがあろう。戦前生まれが少なくなつたといふこともあろう。しかしアメリカが日本の経済力に警戒して日本の破壊工作を始めたことが大きい。
「ジパング」の連載が始まつたのはプラザ合意の十五年後である。イージス鑑「みらい」はミツドウエーの嵐でタイムスリツプしただけではない。プラザ合意後の米英賞賛の嵐にも巻き込まれた。
六月十六日(木)「登場人物たちの表情」
「ジパング」の主役は「みらい」副長の角松洋介である。熱血漢だが顔つきと言動が盲信型、強引型に描かれてゐる。熱血ばかりで感情を持つてゐない。
敵役は海軍情報将校の草加である。日本の敗戦を避けるために暗躍する陰謀人間として描かれてゐる。
脇役は、角松の側が「みらい」艦長梅津、草加の側が石原莞爾である。
石原莞爾は戦後はすつかり悪役にされてしまつたが、この作品では立命館での講演を取り上げ作者の石原への造詣の深さを感じさせる。特高警察の「演説中止」の声を石原が無視し聴衆も特高を取り囲んで抗議する。石原を悪くは描いてゐない。何より石原の顔はテレビアニメでは善人である。
六月十七日(金)「東條と石原」
草加は真の悪人である。それに対して石原は半悪人として描かれてゐる。立命館の講演ののちに石原と草加が河原を散歩する。なぜ東條ではなく退役の石原のところに来たかを石原が問ふ。草加は「東條は弱い」と答へる。石原が「敵も味方もバンバン殺しておるぞ」といふと草加は次のように答へる。
顔を知らない他人なら百万の同胞も殺せる。あなたは真の理想のためには世話になった恩人を裏切り可愛がった部下を見殺しにし愛した陸軍さえ潰す。
私も昨年石原を調べるまでは悪い印象を持つてゐた。しかし石原は道徳的でありそして全体のことを考へてゐた。だから連隊長時代には兵を気遣ひ、日華事変のときは日中両国のことを考へ蒋介石との会談を企画した。関東軍参謀副長のときは満洲の住民のことを考へ東條と衝突し、後に東條によつて退役させられた。もつとも二二六事件の後と関東軍参謀副長時代に予備役を希望したから希望が適つたとも言へる。陸軍で出世を望まない無欲な男である。
恩人を裏切つたり可愛がつた部下を見殺しにするはずがない。
六月十八日(土)「争利不争義」
草加は、1959年にハルピンの北西の大慶から大量の石油が噴出することを石原に伝へる。石原は「この戦争の構図が根底から変わる」と喜び、掛け軸の上から「争利不争義」と加筆する。「ジパング」が石原を悪く書こうとする姿勢がここで明確となる。
日本は欧米の猿真似をして帝国主義に走つた。欧米の帝国主義は製品の販売先を確保しようといふまさに利を求めるものである。石原は西洋の利に対して東洋の義を目指した。そこには東洋の中心に天皇を置くといふ誤りもあつたが、これも西洋を真似して天皇の国王化を目指した明治政府の重大な過ちである。そればかりではない。XX教の真似をして天皇の天主化を目指した。
この誤りを石原も引き継いでゐる。しかしそれは石原だけではなく日本全体である。満州事変については、石原が関東軍に赴任する前に日本は張作霖爆殺事件を起こした。もはや満州から撤退するか事変を起こすか道は二つだつた。
当時満洲からの撤退は誰も考へなかつた。そのような状況で満洲の住民のことを考へ、日本と蒋介石の和解を考へ、帝国主義戦争を最終戦争で終結させることまで考へた石原は、決して争利不争義ではない。
六月十九日(日)「ばらばらな日本」
「みらい」のことは山本五十六や米内光正も知つた。だから草加はこの二人と相談の上で東条英機を訪問すべきだつた。それなのに予備役の石原を訪ねるところに無理がある。
その後、石原が東條と和解し現役に復帰し東條に内緒で中国で原爆を開発する。しかしそのようなことはあり得ない。東條と和解したのだから東條に報告し閣議決定の上で行ふはずだ。
石原が勝手に原爆を開発することにするから、原爆を積んだ船が海軍の臨検を受けそうになり「みらい」艦長が中国に出張してその船で死んだり、草加が戦艦「大和」の乗組員全員に眠り薬を飲ませて「大和」を乗つ取つたり最後は「大和」と「みらい」が攻撃し合つたりと大掛かりな展開になる。
石原は物語の初期の段階で米内と会談する。二人とも停戦派だから協力すればいいのにその後の展開では逆の立場になる。山本五十六も二人とは違ふ。草加とは逆の立場の海軍将校も現れる。
日本側がばらばらで内紛ばかりを繰り返すのに対してアメリカは一つにまとまつてゐる。ここに劇画「ジパング」の限界がある。そしてそれは現代世界の限界でもある。
六月二十日(月)「民主主義を押し付ける欺瞞」
欧米が莫大な戦死者を出してまで植民地争奪戦に走つた理由は、国内で生産される商品の販売先を確保するためである。そして国内は民主主義であつた。植民地を死守し贅沢ができるといふ甘言に国内のほとんどの人は騙される。この手口で海外の植民地を正当化したのが米英仏であり、乗り遅れた日独伊も民主主義で独裁政権なり軍事政権を獲得した。
戦後は技術の優位を武器に戦前の列強と同じ地位を保つてゐる。これが欧米、特にアメリカの戦略である。
そこに気が付かないとアメリカは民主主義だから大統領を中止に一つにまとまり、日本は内紛を繰り返す、となつてしまふ。
日本にも議会があり内閣制度があつた。ただし内閣が不況を乗り切ることができず新聞も国民を煽つたため戦争を招いた。アメリカも先住民を滅ぼすときは民主主義ではなかつた。もし少数の白人が上陸したときに選挙を行へば先住民が勝つた。
その二へ
メニューへ戻る
前へ
次へ