千七百五十(和語の歌) 空振りに終はるか蓮月尼の調査
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
五月二十九日(日)
蓮月尼の調査を始めることに、心がわくわくした。これは、初めての旧派への進出となる。まづ「蓮月」と云ふ40cm×30cm×3cmの巨大本。これは焼き裳の書の写真集で、空振りなのは仕方がない。二冊目は「文人書譜 蓮月」と云ふ30cm×20cm×1.5cmほどの本。これも写真集だった。三冊目と四冊目は「蓮月」「太田垣蓮月と云ふ小説風の本。伝記と小説風には、まったく興味がない。五冊目は「蓮月尼」と云ふ伝記と小説風で、これも同じだが、百八十四頁から百九十六頁まで歌集抄が載る。巨大本を含む五冊で、この十二頁だけが役立つことになった。
歌集抄の最後の歌は
死ぬもよし死なぬもよろしまたひとつどうでもよしの春は来にけり

この一首で、蓮月尼には冷めた感情しか持たなくなった。信徒を導く尼が、こんな歌を作ってはいけない。次のやうに直せばよかった。
死ぬもよし生きるもよろしまたひとつどちらもよしの春は来にけり

歌集抄の百首を読むと、空想で美しい光景を読んだため、印象に残らない。子規が写生を唱へた理由が心から分かる気がする。
これで蓮月尼は終はる筈だが、伝記風小説に埋め込まれた歌も見ることにした。一女を儲けたあと二番目の夫と死別した。そのときの
かきくらしふるはなみだかなき人をおくりし山の五月雨のころ

これは美しい。同じく
たちのぼるけぶりの末もかきくれてすえもすえなきこゝちこそすれ
ともに見しさくらは跡もなつ山のなげきのもとに立つぞかなしき
はらはらと落つるなみだの玉あられおもひくだくる袖のうへかな
かりそめにみしや夢路の草枕つゆのみ袖になほのこりつつ

これらは心の中から呼んだ歌なので美しい。このあと父とともに出家し(その一)で紹介した「いろも香も(以下略)」の歌が続く。ところが不幸はこれで終はらなかった。七歳の娘が亡くなった。
死出のやまぼにの月夜にこえつらん尾花秋はぎかつ枝折りつゝ

この本では、この頃から念仏に専念したとあるが、私は出家したときからと信じたい。
ももとせもむ月の末のいつかとて持ちしみのりにあふぞうれしき

その後、父も亡くなった。蓮月尼が引っ越しを繰り返すのはこのときからで、その時の歌は(その一)で紹介した。そのほかにも
露にふく風まつほどをいのちにてむすびもとめぬ草の庵かな
むくらだに八重はたのまず世の中をひとえにかりの宿とおもへば
つゆの身をたゞかりそめにおかんとて草引きむすぶ山の下庵
かばかりの草の庵もむすばじをあはれ雨つゆいとはざりせば
かげたのむひと木の松の梢よりあまりてねやにふくあらしかな
ゆきめぐりかはらぬ月をながめつゝさだめなき世にやどもさだめず

ここは、良寛の国上山時代を彷彿とさせる。蓮月尼は桂園調を習っただけあって、良寛より歌が美しい。
谷川のみづ音すみて更くる夜の月のあはれは大原の里

このあとこの本は偉人伝みたいな内容になるので、私の紹介はこれで終はりにしたい。今回は、空振りではなく、充実した内容になった。
国上やま二つの庵によく似るは尼さんが住むかりそめの宿
(終)

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