千七百三十六(歌) 牛に引かれて善光寺参り、の意味
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
五月五日(木)
歌に引かれて根津谷中上野櫻木池之端參りは「牛に引かれて善光寺参り」を本歌取りしたものだ。歌ではないから、民話取りかな。
あのページを作るまで、馬が無いので牛に曳かれてゆっくり善光寺に行ったとばかり思ってゐた。しかし調べると雪印メグミルクのホームページに
昔、信濃国に強欲で意地悪な老婆が住んでいました。ある日、白い布を洗濯して干しておいたら牛が角で引っ掛けて逃げていってしまいました。(中略)牛が逃げ込んでいった先は善光寺。おそるおそる金堂に入ってみると牛のよだれでかかれた文字が(中略)「牛とのみ 思いすごすな 仏の道に汝を導くおのれのこころを」とあります。(中略)老婆も心の奥に眠っていた仏心が目を開き、私欲を捨てて信仰の道に入ることができたということです。18世紀の「本朝俚諺(ほんちょうりげん)」に収められている逸話です。転じて、思いがけないことが縁で偶然よい方に導かれること(小学館ことわざ大辞典)、という意味に使われます。
とある。母に「牛に引かれて善光寺参り」の意味を訊いたところ、私の今までの解釈と同じだった。この民話は、意外と多くの人が本当の意味を知らない。
昔から牛に引かれて善光寺のんびりとした旅思ひ出す
誰にでものんびりとした旅があるその思ひ出にゆったり浸る
私も民話を作った。
昔、信濃に口うるさい婆さんが住んでゐました。そのころ世間では、県庁を長野にするか松本にするか揉めたので、中間の姨捨山になりました。婆さんの家では、親戚一同協議の上「婆さん、新しい県庁を見に行くか」と連れてって、そのまま帰宅しました。婆さんは姨捨駅から鉄道で帰宅しました。
翌朝、婆さんは怒って「きのう、みなで県庁に行っつら。おめえらだけ、へえ帰っちまったで、おら一人で帰って来ただ」と云ひました。
「行っつら」は「行くづら」の過去形で「行っただろ」。「へえ」は「へ」にアクセントがあり「もう、既に」。
信濃でも 長野上田と県北はづらを使はず 甲斐駿河二国は使ふ富士を囲みて
(反歌)
方言は地方文化と街道を人馬の動き長く伝へる(終)
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