千七百三十五(歌) 筆名を田讃太郎から、田讃多朗に変へた理由
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
五月四日(水)
筆名を、田讃太郎から田讃多朗に変へた。その理由は、筆名では姓を省くことが多い。子規、左千夫、赤彦と云った具合だ。正岡、伊藤、島木とは云はない。同じ苗字の人はたくさんゐる。
私の筆名で姓を省くと、太郎だ。太郎はたくさんゐる。浦島太郎だってさうだ。そこでまづ多楼(たろう)を考へた。古い木造の楼閣、楼門、高楼を連想する。一方で、妓楼、酒楼と悪い言葉もある。そのためこの案は取りやめた。
次に多老を考へた。老には、長老、老師があるものの、老害、老衰を連想する。これも取りやめた。
三つ目に多浪を考へた。大浪、浪曲などあるものの、浪人、浪費と悪い言葉もある。
四つ目の多労はまったく考へなかった。今の労働組合は連合と全労連の両方とも駄目だ。世界を支配してゐるのはアメリカ、さらに広げれば欧米だ。その欧米の猿真似を促進してはいけない。しかも実行するにはカネが掛かる。下請け非正規雇用または納税者の負担になる。如何にも大企業労組と公務員組合の発想だ。
と云ふことで、多朗に決まった。明治時代は、筆名の名前の部分が漢語だった。(坪内)逍遥、(二葉亭)四迷、(森)鷗外、(尾崎)紅葉、(島崎)藤村、(夏目)漱石、等々。
多朗も漢語だから、これで私は、明治期の文豪に仲間入りかな。あ、仲間入りは名前だけで、明治期と文豪は違った。
漢語にて自己の理想を名にするは江戸から維新超える習はし
朗らかと声高らかを意味に持つ朗(ろう)が多いは未来が光る


五月五日(木)
姓は、六十五歳になるまでコンピュータ産業だったので電算を名乗った。退職後に、変へようと音読みが同じ漢字を探したところ、予想に反して好いものが無い。やっと田讃を作り上げたが、それを発展させて訓読みにした。
近年に至る前まで田の水は土地の高さで引き入れる 見沼は東と西縁に高い水路を建設し中に低地の排水路 優れた技と大きな苦労

(反歌) 畑ではおかぼが育つその中で田圃を作る理由は如何
おかぼについて調べると最初に見たページに、おかぼはジャバニカ(熱帯ジャポニカ)と云ひ、ジャポニカ(温帯ジャポニカ)やインディカとは別の品種だと書いてある。他のホームページにはジャバニカの記述が無いので詳しく調べるとジャバニカ米は、インディカ米やジャポニカ米と同等の亜種ではなく、ジャポニカ米の変異型とする意見が多くなった。この場合「熱帯ジャポニカ」と呼称されることがある。
おかぼについては、収穫量が少ない、乾燥に水稲以上に弱い、昭和三十五年に18万6千haあった栽培面積が、平成25年は1千720haに激減、とある。(終)

メニューへ戻る 歌(二百七十四)へ 歌(二百七十六)へ