千七百三十二(歌) 歌に引かれて根津谷中上野桜木池之端参り
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
五月二日(月)
北千住と町屋を底辺とする三角形の頂点に当る位置に行く用事があった。最初で最後。一回だけなので終了記念と呼ぶほどではないが、地下鉄の回数券が一枚余るので、帰りは町屋から地下鉄に乗った。帰りを町屋にした理由は中学生のころ、熱帯魚を飼ふことが流行った。家の都合で誰でも飼へる訳ではないので、飼ってゐる人が町屋の日本水族館と云ふ熱帯魚屋で餌を買ふときいっしょに付いて行った。
中学のときに友達数人で行ったお店が現在もあのときのまま感激続く

今回も、五十年前と同じく店は営業してゐた。店内を一周した。町屋駅から地下鉄に乗り、根津で降りて、宮の湯跡にできた店舗を横目に芋甚でアイスクリームを買はうと思ったら休みだった。藍染保育園前から谷中との区境を藍染大通りに一周し、根津権現に行った。

落合直文の朝香社のあった浅嘉町の町内会(境内に、町内会別に寄付者の名を記した石塔があり、この周囲の石塔は浅嘉睦会)

水飲みに彫られた軍医監森林太郎の文字を見たのは二十年ぶりくらいだらうか。それにしても根津は観光地化した。昨日までつつじ祭りだったこともある。これで根津権現に、七年に一度の前立本尊御開帳と回向柱があったら、完全に観光地だ。
普通はこのまま日暮里駅に抜ける。しかし先日作った根津谷中上野桜木池之端に引かれて南に向かひ、言問ひ通りを過ぎて東へ向かひ谷中に入り、更に東へ進むと台地の下でも地名は上野桜木になった。
護国院と云ふお寺が目の前に現れた。初めて聞く名だ。東叡山護国院とあるので、寛永寺と同じ山号に驚いた。釈迦堂の別当寺とある。そして本堂は釈迦堂だ。見終へて外に出ると、台東区立の公衆便所がある。小学生低学年のときに前を通ったことを思ひ出した。五十五年前の話だ。
護国院分からず道の景色にて小学生のとき思ひ出す

南に進むと水月ホテル鴎外荘が見える。確か閉館したはずだと近づくと、張り紙はさうなってゐる。家に帰りインターネットで調べると、素泊まりで再開したもののコロナ騒ぎで再び閉館したやうだ。
護国院もインターネットで調べると、東叡山寛永寺護国院とある。これなら分かる。更に南へ進み、上野動物園の二つの業務用出入口を見て、確か花園門は手前だったと思ひながら、廃止になったモノレールの線路を頭上に見た。
上野の山を迂回して上野駅または御徒町駅に行く予定だったが変更し、上野の山を横断して上野駅に向かった。山を登るが距離は最短だ。精養軒が屋外カフェを営業してゐるので飲まうと思ったが、トイレが無いので止めた。そして帰宅した。
根津谷中上野桜木池之端歌に引かれて善光寺かな
(終)

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