千七百十一(和語の歌) 斎藤茂吉全集から歌を読む
壬寅(西洋野蛮歴2022)年
四月四日(月)
「赤光」「あらたま」以外の歌集も読む必要がある。そこで岩波書店「斎藤茂吉全集 第一巻」(昭和四十八年)を読んだ。まづは歌集「つゆもじ」だ。冒頭にある大正七年の
わが住める家のいらかの白霜(しろじも)を見ずて行かむ日近づきにけり
「いらかの白霜」「行かむ日近づきにけり」が美しい。
ところがこの後、美しい歌がほとんど無くなり、大正九年の二つを最後に暫く途絶える。
あらくさの繁れる見ればいけるがに地息(ぢいき)のぼりて青き香ぞする
「地息のぼりて青き香ぞする」が美しい。
高々と山のうへより目守(まも)るとき天草の灘雲とぢにけり
「高々と山のうへより」「雲とぢにけり」が美しい。
四月五日(火)
このあと六十九ページ先で再び美しい歌が四つ現れる。
高原(たかはら)に足をとどめてまもらむか飛騨のさかひの雲ひそむ山
「足をとどめてまもらむか」「雲ひそむ山」が美しい。この歌の前後も美しい歌が群を為すものの、それぞれどこかに欠点がある。その箇所だけ指摘すると「しらじらと河原の」が字余り、「たまわら」が大げさ、「けるかな」が凡庸、「八ヶ嶽の」は字余りしても得るものが少ない、「山の高原に」も同じ。これらの歌は悪いのではなく選ばない歌よりは佳い。四ページ後の
八ヶ嶽の裾野のなびきはるかにて鴉かくろふ白樺の森
「裾野のなびきはるかにて」「かくろふ白樺の森」が美しい。「八ヶ嶽の」は字余りだが「の」を抜くと「八ヶ嶽裾野」と漢字が連続するから入れたのだらう。それより他の部分が美しい。二ページ後の
空すみて照りとほりたる月の夜に底ごもり鳴る山がはのおと
「空すみて照りとほりたる月の夜」「底ごもり鳴る」が美しい。同じページの
ゆふぐれの日に照らされし早稲の香をなつかしみつつくだる山路(やまみち)
「早稲の香を」が美しい。このあと九首で最初からの流れが終はり、そのあと海外への船旅の歌が十六ページ続く。これらは、当時普通の人は行けなかった海外の紀行として面白いが、美しい歌は無くなる。
次の歌集「遠遊」、その次の「遍歴」は欧州での出来事と紀行記となり、当時としては興味深いが、やはり美しい歌は無い。
旅のこと歌を連ねて物語る面白くあり美しくない
四月六日(水)
六番目の歌集「ともしび」は、美しい歌が僅かにある。それを挙げることは避け、「後記」に移らう。この時期、養父の経営する脳病院が全焼した余韻で苦難が続いた。
作歌は本業に力を致したがために、飛躍は無かつたが、西洋で作つたもののやうな、日記の城から脱することができた。
ここは同意見だ。このあと本文にもあった五つの連続した歌を再掲してゐる。先頭は
焼あとにわれは立ちたり日は暮れていのりも絶えし空しさのはて
後記に抜き書きすると、悪くはない。本文のときに見逃したのは「いのりも絶えし」の詳細が不明だからだらう。「ともしび」を読んで、私自身の作歌で一つ収穫があった。信濃枕詞は「みすずかる」がよい。近年「みこもかる」が正しいと云はれ始めた。しかし、長年の途中経過を無視することは、原理主義だ。途中を重視することこそ、歴史の尊重だ。茂吉でこの枕詞を使った美しい歌は
みすずかる信濃の國や峡(かひ)とほく日は入りゆきてなごりの光
表現で美しいのは「峡とほく」、景色で美しいのは「なごりの光」。
みすずかる信濃に付きて昔より使はれ読まれ今は異なる
四月七日(木)
七番目の歌集「たかはら」は、更に佳い歌が少なくなる。新聞社の飛行機に乗せてもらふ歌が途中でたくさん出てくる。古今集(とそれ以降)と同じで貴族になってしまったのかと危惧する。或いは洋行のときに貴族化したか。
旅行の歌は、一部に美しい歌がある。美しい自然を詠めば、美しい歌ができる。「後記」に
十一月はじめて飛行機に乗り(中略)留学のときとは稍違つた意味で、歌の表現が変化したが、従来の歌調に似ざるものがあつたために、歌壇の一部から批評を受けたものである。
私は、留学の歌は風物紹介と旅行記のため読者は興味を持つが、「たかはら」はそれがなく、歌調は左千夫から誉められなくなったときに変化したと考へる。私と茂吉と歌壇の一部は、それぞれ歌調の定義が違ふやうだ。
四月八日(金)
八番目の「遠山」と九番目の「石泉」は、佳い歌がほとんど無かった。十番目の「白桃」も最初のうちは同じだが、「白桃」の章と、その次の「軽井沢より碓氷」を過ぎ、「草津小吟」から急に佳くなる。
朝寒をおぼゆるころに草津路の古りしながらの平に立ちぬ
全体が美しいが、表現を挙げれば「朝寒を」「草津路の」が美しい。
いづこにも湯が噴きいでて流れゐる谷間を行けば身はあたたかし
「谷間を行けば身はあたたかし」が美しい。他の歌も字余りだから選ばないだけで、全体に美しい。
この後の章も、字余りで選ばなかったりするものがあるものの、美しい歌が多い。
ここまで褒めたあと、旅行の歌と、在宅でも庭など自然の歌は美しいことに、気づいた。調べが変はったと思ったのだが。
四月九日(土)
このあと「暁紅」を読んでも佳い歌は見つからず、第三巻は前半を飛ばして後ろから二つ目の「白き山」を読んで、前回と同じで最初だけ佳い歌が並ぶことを確認して、終了した。
茂吉は、左千夫から誉められなくなったときから、佳い景色や鳥花蟲を詠ったときを除き、調べが変はった。
時の世は 鉄(くろがね)の道行く車 電(いなずま)の線(すじ)飛ぶ話 余所の流れの歌人(うたびと)や 西の国から入る書(ふみ) 美しき歌保つに難し
(反歌)
子規左千夫その流れにて歌を詠む人たちでさへ調べ失ふ(終)
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