千六百ニ十五(歌) 三度(みたび)良寛詩と寒山詩を読む(良寛編、飯田利行「良寛詩集譯」)
辛丑(2021)
十月十九日(火)
良寛詩と寒山詩の間の揺らぎは、双方を読むうちに平衡点に達した。念のため、飯田利行「良寛詩集譯」を読んだところ、まだ平衡には達してゐなかった。
飯田さんは曹洞宗の僧だが、専修大学教授を経たためか、禅宗への偏りが少なく、しかも良寛の詩を良寛びいきに口語訳した。そして口語も良識ある文体だ。
それより私は、寒山詩を読み始めた辺りから、良寛は曹洞宗を脱して天台宗の影響を受けたと考へ、しかし三度良寛詩と寒山詩を読むの特集で、天台宗の影響はなく、寒山詩宗と名付けた。飯田さんの「良寛詩集譯」を読み、やはり良寛は曹洞宗の僧だと揺り戻した。八十五頁の詩「何俗之・・・」の口語訳が
(前略)早く仕官をやめ 田舎へ帰り 日向(ひなた)の田圃でも耕し 悠々として 余生を過ごしなされ。

これだと意図が伝はる。そして良寛への温かい配慮がある。八八頁の
(前略)本師の下を離れ(以下略)

私は田中圭一「良寛の実像」の影響を受けたので、国仙和尚のこととしたが、飯田さんは光照寺の破量和尚とする。それは本文の「郷州を出ず」に従ったと云へる。この詩で注目すべきは最後の部分の
もしも自分の心や生活が 仏道の正しい道に契(かな)わなければ 生涯 修行は止めはすまいと。

一〇〇頁の詩の最終部分の
如実に 自心を知れと。

これを飯田さんは
そは正身端坐せよということだ。

これは意訳どころではない。とは云へ、飯田さんは修行などを坐禅と訳すことがたくさんあるだけで、それ以外は良寛びいきで憎めない。一〇五頁の
(前略)たとえ坐禅中に差別のない至妙の境に至りえたと 感ずることがあったとて(中略)それは一時ののぼせか 特殊な心理のありようでまた誤りというほかはない。

これは同感だ。飯田さんの名訳があったから、気付いた。一二八頁の
谷川に沿うて一歩一歩 漸進(修行)しつつ 水源(さとり)を求める 幸いと(中略)到達できたとするとならば 恐らくは途端に呆然自失するに違いない。 (中略)一歩一歩辿るその姿が証(さと)りに外ならぬという つまり流れの途次にこそ 源流があるのじゃ。

最後の「じゃ」を除いて名訳である。一三四頁の
悉達多(シツタルタ)太子が 托鉢の功徳を われらに親しく授け伝えられ 先ず迦葉(カシヨウ)尊者が 受けて以来(以下略)

禅宗は、釈迦の弟子迦葉から法が順に伝へられ、その流れの達磨が中国に現れたとする。良寛に限らず禅宗が原始仏道意識を持つのは当然だった。そして良寛が、天台宗に染まらないのも当然だった。なを詩には迦葉の名は無い。飯田さんの意訳だが、怪我の功名である。一三五頁の
衲(わし)は頭陀(ズダ)第一(括弧内略)と称えられた迦葉尊者の そのあやに美しい清貧な生き方にあやかり 芳蹤(あとかた)を追慕しつつそろそろと托鉢してゆく。

今回は原詩にも迦葉とある。清貧は、寒山ではなく迦葉に学んだのだった。一三九頁の
(前略)諸方の風光の美に魅せられて その生きかたを誤ったんじゃ。

良寛の詩的性格も、曹洞宗の主流から外れた理由であった。一四〇頁に書かれた二つの詩で、衲衣とあるのにぼろ衣(ぎ)と訳し、もう一つの詩は余とあるのに衲と訳した。逆転現象である。
一四八頁の
ただ是れ旧時の 栄蔵子

の口語訳を
この栄蔵が栄蔵ならぬ偉い人間になろうと思うたことの 誤りが分った。

と訳したのはよいことだ。これを還俗しただとか俗人のときと変はらない、と考へる人がゐるが、よくない。飯田さんの訳が良寛びいきで良い。
良寛が 即興で書く 書と詩には 悪く解釈 入る余地あり


十月二十日(水)
昨日は飯田さんを誉めすぎた。昨日最後二つの詩がその気持ちを破壊した。一五〇頁の
障碍を払いのけ仏法の玄理に参ずべく
いく歳月を すごしてきたことか
今 にわかに本師のことが偲ばれるので
円通寺の会中(修行場)にもどってみた。(以下略)

ここまで読んで嬉しくなった。良寛はいく歳月をすごしても師匠を忘れなかった。念の為、書き下し文を読むと
撥草参玄 いく歳なるかを知る
たちまち道人を思ひて 旧社に帰る(以下略)

道人を本師と意訳してよいのか。次に一五五頁の
南泉普願は すぐれた老古仏だ
(中略)
ところで南泉 涙をふるって猫を斬ったが(以下略)

もし僧が猫を斬ったなら、地獄行きは間違ひない。猫とねずみの詩を作った良寛が、猫殺しを容認するはずがない。書き下し文を読むと
南泉は 老古錐
(中略)
涙痕と血滴と(以下略)

猫を殺したとは書かなかったし、この話は公案だ。実際に有ってはならない。これで飯田さんに、不信感を持った。
本日も、最初の詩は意訳に持った。一六二頁の詩は衣内の明珠を
(前略)これから世のこころ貧しい人々に分ち与え
替りに財物のいくばくかの布施をいただき(以下略)

こんな商売みたいなことを良寛がするはずはない。入矢義高「良寛詩集」では
これ以後その人は宝珠を元手にして商売を始め

とある。私は入矢説に賛成だ。入矢さんは名古屋大学教授、京都大学教授を歴任し、中国文学専攻。飯田さんは専修大学教授だが、曹洞宗の末寺住職。寺院経営の心が一瞬現れたか。
飯田さんの口語訳に多少の欠陥があっても、良寛の立場に立った訳は貴重だ。(終)

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