千六百十(和語の歌) 行動日記(タクシーが来ない、三つの小さな旅、旅行かばんを解体、飯田百貨店、自転車パンク、蕎麦)
辛丑(2021)
九月五日(日)タクシーが来ない
昨日母を医院に連れて行った。月一回の恒例行事である。往復ともタクシーに乗らうとしても来ない。雨が降るので、来たバスに乗った。
国際興業はバス特を廃止したので乗りたくないが、雨の中で母を待たせるよりは此のはうがよい。都バスまで廃止と聞いて、不買運動が緩んだ。
かつて、国道や都道府県道のわきに立てば、タクシーがたくさん通った。乗車中の車が多く、稀に空車が来た。今は、タクシー自体が来ない。見たのは乗車中の車が二台だけで、そのうち一台は逆方向だった。
自家用車は地球温暖化と引き換への一時現象だ。今こそバスとタクシーだ。そして富山と宇都宮など全国のライトレールだ。
九月五日(日)三つの小さな旅
二日は越谷、三日は大宮氷川参道、四日は川口市青木に行った。二日と三日は午後に掛かるため昼食を買ひに行ったところ、偶然どちらもビッグAがあった。ビッグAは、我が家の近くにもあり食材を購入するが、この二店はカートではなく買ひ物かごだ。
二日はカツ弁当(299円)+オクラ(99円を二割引き)、三日は緑黄色野菜一日分の半分を取れる管理栄養士監修の弁当(299円)+小型メンチ2つ入り(99円)を買った。二日、三日とも栄養の釣り合ひが取れてゐる。強いて云ふと、三日は野菜がやや不足だ。緑黄色野菜が一日分の半分を取れても、野菜全体では一食分の半分程度だ。
二日は、葛西用水と元荒川を見た。二つの川が並行し、葛西用水はかなりの幅だ。そのときは、上流で葛西用水が分岐したと想像した。本日地図を見て、葛西用水は利根川から取水し、元荒川を伏せ越しで交差して越谷に至ることが判った。この下流で余水を元荒川に吐き出すため、川幅が広いのだった。
伏せ越しは 水を遠くの 田に送る 昔の工(たくみ) 重さを使ふ
四日は川口市青木に行った。帰りに、青木信金の立派なビルがある。その少し先に青木信金の支店がある。本日地図で調べて、ビルは本部ビル、支店は本店営業部と知った。
旅に出る 知らない街の 家や店 どれも楽しく 歩き見る 今年の夏は 旅が無く しかし知らない 街を楽しむ
九月七日(火)旅行かばんを解体
古い旅行かばんから、金属部分を取り除いた。可燃ごみに出すためだ。このかばんは、おそらく昭和五十(1975)年頃に父か母のどちらかが買ったものだと思ふ。
コンピュータ専門学校の教師だった頃から、旅行が趣味に加はった。普通の会社と異なり、夏休みなどに休暇を取りやすいからだ。寝台特急で旅行することもあった。金曜夜に出発し、月曜早朝に戻る。三泊二日である。
確か九州に行ったとき、ボールペンを外側ポケットに入れ、肩から下げるベルトは邪魔だから同じく外側ポケットに入れたところ、インクがベルトに長さ5cm、幅1cmほど染みてしまった。今見ると、染みがない。いや、よく見るとかすかに染みの跡がある。三十年以上経過するうちに、脱色したやうだ。
色が古いので、結婚して数年後に妻が新しい旅行かばんを買ってくれた。軽いので重宝したが、古いかばんには一つ利点がある。主ポケットの中に副ポケットがあり、切符や宿情報の印刷、旅行の本を入れるのに便利だ。主ポケットの外にチャックなしの側ポケットが両側にあり、片方はパンフレット、もう一方は折りたたみ傘をいれるのに便利だ。主ポケットの外の縦方向にも15cmの浅いポケットがあり、ペットボトルを入れるのに便利だ。
だから旅行によって、やや軽いかばんと、重いがポケットの多いかばんを使い分けた。そして今回の腰痛を機に、古いかばんは廃棄することにした。解体の時、カビ臭がすることも気付いた。今までは無かった。
色褪せた かばんは古く 重くとも 五つに分かれ 入れ易く 旅の思ひ出 今でも詰まる
解体して判ったことは、底の板はビニールの中に厚紙を束ねたものだ。あと、重さの掛かる部分は革、重さの掛からない部分がビニールだ。これが重い理由だ。
九月八日(水)飯田百貨店、自転車パンク、蕎麦
昨日は、旅行かばん解体以外にも、三つ話題があった。まづ昼食はパンにしようと、初めてコモディイイダで買った。スーパーだとは知らなかった。聞かない店の名だと調べると、かつての飯田百貨店だ。これなら聞いたことがある。
自転車がパンクしたので、自転車屋に持って行った。予め寄って、タイヤ交換(4000)、チューブ交換(3000)、修理(1000)と、値段は聞いてあったが、雨で行けなかった。タイヤの状況を聞きタイヤ交換にしたが、説明に納得した訳ではない。わずかな金額で面倒だからタイヤ交換に同意した。次回からは、この店に行くことは無くなった。
夕食は、妻が仕事の都合で食べて帰るので、母と蕎麦にした。昼をパンにしたのはそのためで、ご飯を炊くのを明日朝まで延ばした。母の実家では、蕎麦を畑で育てて臼で挽き、粉を細かい篩(ふるい)に掛けて皮を除き、小麦粉を二割混ぜるさうだ。小麦粉は挽くのが大変なので、購入したとのことだった。
一日に 四つの話 あることが 年に一つか 穏やかな秋(終)
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