千六百十(和語の歌) 行動日記(調味料消費、交通機関と遺失物、三軒茶屋から明大前、清水橋、テレビ電話)
辛丑(2021)
八月十八日(水)調味料消費
私が家にて一人で食事をするときは、期限切れ(切れさうなものを含む)の調味料を使ふ。使ふのは、野菜、汁物、わさび代用の三つだ。
野菜は、油や調味料で期限切れのものを、六十五歳までは会社に持って行って昼食の野菜に掛けた。そして六十五歳になったときに、該当するものは消費が完了した。
からしは納豆に付くが、母や妻はからしを使はない。余った物が一時は冷蔵庫に十個以上あった。先入れ先出しではないので、古いものが残るかも知れない。だから私はそばの汁にわさびの代はりに使用し、汁物もからしで味付けし、今は総て使ひ終へた。
今、集中するのは七月末が期限のドレッシングだ。これは調理が少し複雑だ。汁物は、そもそも古くなりさうな野菜の消費先であり、体にとっても野菜の供給源だった。
ところがドレッシングを今季重要消費物件に指定した結果、汁物に入れた野菜はガスレンヂを止めたあと取り出して、ドレッシングを掛けて食べるやうになった。残った汁物は、かつてはからしを入れた飲み、からしが無くなったあとは、「濃縮つゆ」を入れて飲むやうになった。「濃縮つゆ」は「しょうゆ」に比べて消費が遅いためだ。
ゴマ油の消費期限が今年十一月までだ。だから「濃縮つゆ」と「ごま油」を入れてみたところ、おいしい。妻が仕事で遅いときに、私と母の汁物にも用ゐるやうになった。調味料消費は原則として私のときだけだが、「ごま油」はまだ期限内なので、母の食べ物にも用ゐるやうになった。
私だけのときは、「濃縮つゆ」の代はりに餃子か何かに付いたラー油の小袋もこれまでに四袋くらい使った。「穀物酢」は期限が来年だが、消費量と比べて残量が多いので、ときどき使ふ。酢は健康にも良い(かな)
よごれ水 流れる先は 道の下 掘り埋められた 丸い川 行き着く先は 広い池 きれいにするも 費やすは 電(いなづま)気(いき)で その元は 燃える石油(あぶら)か 燃える気(いき)の体(み)

(反歌) 酢と油 捨てると汚す 川と海 食べてしまへば 体が使ふ
下水処理場できれいにするのに、なぜ酢や油を流すと、川と海が汚れるかと云ふと、下水処理場の除去率は成分にもよるが90%程度だ。酢や油は、それより除去率が低いと思ふ。

八月十九日(木)交通機関と遺失物
半月ほど前に、母を医院にタクシーで連れて行き、帰宅後にスマホが無いことに気付いた。医院に行く直前に家で使ったから、家にあるだらう。ところが電話を掛けても、電源を切ったか電波の届かないところにあると云ふ。
まづ携帯会社に連絡して、通信を停止してもらった。次に、午後の行動を追ふと往きのタクシーだ。なぜなら医院ではなかった。インターネットで名前が記憶に近いタクシー会社を探し電話をした。暫くして、運転士が交番に届けたと云ふ。交番に電話して、取りに行った。電源は交番で切ったさうだ。
母が、タクシー運転士は今年の表彰だねと云ふ。松本電鉄では、遺失物の持ち主がすぐ見つかると、見つけた職員は表彰されたさうだ。何日も経ってからだと駄目ださうだ。今はどうだらうか。昭和二十年代は物のない時代だった。

八月二十日(金)三軒茶屋の帰りに、明大前から乗った
三軒茶屋に行った。帰りは三つの帰宅方法がある。(1.初心者コース)往きと同じで玉川線廃止後の地下鉄に乗る、(2.中級者コース)旧玉川線世田谷支線で下高井戸まで行き、駅前の共同店舗を観たあと小田急線で新宿に行く、(3.上級者コース)下高井戸まで行ったあと、明大前まで歩き京王帝都電鉄京王線で帰る。
しかし玉川線だとか京王帝都電鉄だとか、なぜ古い名称を使ふのか。どこに<span class="昔の路線名">があるのか調べたら、昨日の松本電鉄のところだった。
世田谷支線に山下駅がある。昔は玉電山下と云った。車内は交通系カードの読み取り機が二つある。扉の後ろ側はせたまる、運転席に近いほうはPasmo/Suicaだらうと想像し、どちらにタッチする人が多いか調べた。ほぼ同じだった。下高井戸の改札は読み取り機が一つしかないので駅員に訊くと、せたまるはずいぶん前に廃止になり、車内の二つはどちらも同じだった。帰宅後に調べると、九年前に廃止された。
下高井戸には、懐かしの共同屋内商店街があった。通路幅が記憶よりかなり広かった。別の商店街と混同したやうだ。都立の特別支援学校でxx先生、xx校長はどうしてゐるか訊かうとしたら、本日は教育委員会が借り切って、経営企画室(事務室)も休業ださうだ。明大は裏門が閉まってゐたので、踏み切りを越えて玉川上水で一幅分使用する橋を渡って明大前駅に着いた。踏切の手前ではNTTの社宅が無くなって、明大の国際施設になった。駄目な大学ほど国際を前面に出す。もちろん明大は違ふ。国際施設があるだけで、前面には出してゐない。
旧国鉄の新宿駅では回数券を買った。今回を含めて、七回乗る予定がある。もし四枚余ったら、新宿か大久保まで行かうと思ふ。

八月二十一日(土)腰痛の原因が判った
一昨日は、かばんに必要荷物の他、中型の本2冊、北赤羽駅前の100円ローソンで買った昼食と2Lのペットボトルを入れて、歩いて10分ほどの小豆沢に出掛けた。帰りは2Lのペットボトルが無くなったが、それでも重かった。
昨日になって、腰が痛くなった。普段は痛まないか、かすかに痛い程度だが、歩き始めや停止のときに急に痛くなり、しかし瞬間に痛みは消える。下高井戸から明大前まで歩いたから生活には支障がないのだが、腰をかばふから動きが鈍くなる。
今回で原因が判った。かばんに重いものを入れると起きる。これまでも旅行のときに腰痛と膝痛防止のため、肘を曲げて持ったが、今回はそれをやっても駄目だった。それだけ年を取ったのだらう。

八月二十七日(金)西新宿五丁目(清水橋)
本日は大江戸線の西新宿五丁目(清水橋)駅近くに行った。ここは今年二月の六十五歳再雇用終了までの勤務先から、昼休みの散歩範囲内だ。清水橋の交差点には、円形のアーチがある。
ここは新宿区西新宿ではなく渋谷区本町だ。一番食い込むのは羽衣湯の辺りで、最初に昼休みの散歩で来た時は、崩壊した商店街に唖然としたものだった。更に中野区本町が羽衣湯から数十メートルまで迫る。
前に京王バスの車内放送が「ほんまち」と云ふので、中野区本町は「ほんまち」と読むと会社の人に言ったことがあるが、渋谷区と中野区のからくりを知ったのは、その数年後だった。
羽衣湯 その通りには 商ひの 店が僅かに 残るのみ かつては人の 往き来する 街が今では 幻となる


八月三十一日(火)初めてのテレビ電話
本日は、母の姪(私の従妹)が妹(私の叔母)を訪問するので、テレビ電話をすることになってゐた。午後にスマホのLineで電話が来た。通信ボタンを押し、早速母と叔母の会話が始まった。数分後に叔母へ別の電話が鳴ったため、短時間に終った。
母と叔母 離れて会ふは 顔を見せ 顔を見ながら 十年(ととせ)ぶり または二つの 十(とを)の年ぶり

(反歌) ひと昔 或いは長く ふた昔 隔てて弾む 声と話が(終)

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