千六百九(歌)(モリカケ桜疑獄二百六の六) 1年前の〝薄ら笑い〟説明責任を果たさなかったツケ
辛丑(2021)
九月十四日(火)
Withnewsのホームページに
菅さん、1年前の〝薄ら笑い〟説明責任を果たさなかったツケ 総裁候補も語らない「モリカケ」というトゲ

と云ふ記事が載った。
菅義偉首相が自民党総裁選の立候補を断念し、(中略)党内の若手からも政治不信の払拭を求める声が上がりますが、名乗りを上げた総裁候補たちは安倍政権・菅政権の「トゲ」に触れず。(中略)朝日新聞政治部の南彰記者が金曜日の国会周辺で感じたことをつづります。

で始まる。
それにしても「いまさらですか…」と脱力してしまいました。菅さんの記者会見のあり方については、4年前の2017年から再三、問題点を指摘してきたからです。
2017年は、森友・加計学園問題が表面化した年です。
とくに、安倍晋三首相(当時)の友人が理事長を務める加計学園の獣医学部新設をめぐり、内閣府側が「総理のご意向」と伝えたとする文部科学省の文書を朝日新聞が報じた17年5月17日。「全く、怪文書みたいな文書じゃないか」「そんな意味不明なものについて、いちいち政府で答えるようなことじゃない」と記者会見で言い切ったのが、当時官房長官だった菅さんです。
「怪文書」という事実に反する答弁は、約1カ月間も政府全体を縛り、国会でも「確認できない」という答弁が繰り返されました。その間、菅さんは文書の存在を認めた元文科事務次官の前川喜平さんについて「地位に恋々としがみついていた」と主張。政府のスポークスマンとしての記者会見の場を、告発者に対する一方的な人格攻撃に使いました。
個人的に印象的だったのが、17年8月8日の記者会見での答弁です。加計学園の獣医学部新設を巡り、学園幹部が国家戦略特区の申請前から首相官邸で首相秘書官と面会していたという報道の事実関係を確認する質問に対し、菅さんは「ここは質問に答える場所ではないと思います」と遮断したのです。


九月十五日(火)
記事は続く。
2日後、官邸の記者会見に参加した私は、菅さんに問いただしました。
(中略)
「『質問に答える場ではない』と官房長官が答弁されている。どういう認識で、記者会見について、そういう説明をしたのか」
「この場というのは、政府の見解について申し上げるところです。私、個人的なことについては、答弁を差し控えたい。(以下略)」
「個人的なことをお伺いしているわけではなくて、まさに、『官邸で誰と会ったか』ということは政府が把握していることだし、そこについての政府の見解、事実関係の調査内容について聞いている(以下略)」
「そこはまったく違うと思いますよ。どなたかにあったかということについてはいまも答弁していますから。(以下略)」
菅さんは「答弁している」とはぐらかしましたが、実際には、安倍政権は国会などで「記憶にない」と繰り返していました。秘書官と学園側の事前面会を認めたのは9カ月後。愛媛県職員が作成した文書の存在で隠しきれなくなり、国会審議を空転した18年5月になってからです。
(中略)
1年前の9月2日。菅さんが自民党総裁選への立候補表明をした記者会見でのことです。
「不都合な質問が続くと質問妨害、制限が続いた。総裁となった後、厳しい質問にもきちんと答えていくつもりはありますか」
菅さんの記者会見で官邸側から執拗な質問妨害を受けてきた東京新聞の望月衣塑子記者が尋ねたとき、菅さんは薄ら笑いを浮かべながらこう返答しました。
「限られた時間の中で、ルールに基づいて記者会見は行っております。早く結論を質問すれば、それだけ時間が多くなるわけであります」
質問妨害への反省もなく、首相になっても姿勢を改めないことを宣言するような回答でした。残念なことに、一部の記者から同調する笑い声が上がりました。こうした帰結が、国民への説明に背を向け、コロナ禍で行き詰まる宰相の誕生でした。


九月十六日(木)
記事は更に続き
森友・加計学園の問題発覚後、自民党の首相経験者として、こうした政権のあり方に警鐘を鳴らしていたのが、福田康夫さんです。(中略)次のように安倍政権の対応を批判していました。
「国会では政府が事実を小出しにし、また新たな事実が発覚する、ということが繰り返されている。これではいつまで経っても終わりませんよ。いつまでも果てない議論の責任は追及する野党の側にあるのではありません。原因をつくった政府が責任を持って解決することを目指さなければならない。財務省の改ざんのような『事件』が起きたら、まず担当大臣が『責任を感じます。徹底的に解明します』と言わなければならなかった。自分のことじゃないような顔をしていたのは残念」
福田政権で首相秘書官を務めた福田達夫さんが自民党の当選3回以下の衆院議員でつくった「党風一新の会」の緊急提言(9月10日)にも「安定政権が続く中で強引ともとられる政権運営や、国民意識と乖離した言動や行動も散見されるなど、『自民党はかつての反省を忘れて再び驕りが生じているのでは』との批判も聞かれるに至った。とりわけ、わが党の意思決定過程の透明性に対する不信感が指摘される」という問題意識がつづられています。

細田派の中堅と若手は、河野支持の声を上げたほうがいい。岸田や高市を応援しても、次の衆議院選で危ない。

九月十七日(金)
「加計案件の昇格案」と小見出しが付いた章では
菅さんが退陣に関する記者会見をした翌日の9月10日から11日にかけて、複数の報道機関が「藤原誠事務次官が退任し、後任に義本博司総合教育政策局長を充てる人事を固めた。9月中にも発令する」という文部科学省の幹部人事のニュースを流しました。
藤原氏は2017年5月、加計問題で前川喜平さんが「総理のご意向」文書の存在を公に認める直前、「和泉さんから話を聞きたいと言われたら、対応される意向はありますか?」という趣旨のショートメールを前川さんに送っていた官僚です。
「和泉さん」とは、菅さんの側近である和泉洋人首相補佐官。同じ頃に、ある報道機関から「出会い系バー通い」に関する詳細な質問状が前川さんに送られてきたため、前川さんは「藤原くんは加計問題の告発を潰そうとする官邸のメッセンジャーとして連絡をしてきたのだろう」と受け止めたと話していました。

私が安倍批判に踏み切ったきっかけは、前川さんへの脅迫が報道されたからだ。
藤原氏は17年に発覚した文科省の天下り斡旋問題に関連して減給処分を受け、人事院の規則で昇任も凍結。18年3月には定年を迎えることになっていましたが、定年延長されて官房長に留任。人事院のペナルティーが解ける18年10月に事務次官に昇任しました。

芸能人とテレビ局が対立し、日本分断が起きさうになった黒川事件。それと同じことが、文部科学省でもあった。そして文科相は今でも、もう一人の当事者、萩生田である。
検察の 黒川事件 そのときは 芸能界を 二分する 日本の国が 分断の 危機に発展 偶然の 賭博事件が 発覚し それで事無く 収まった それと類似が もう一つ 文科省でも 藤原事件

(反歌) 安倍による モリカケ桜 黒川で 解決済は 黒川だけだ

九月十八日(土)
前川さんは「2階級特進のような形」と評しましたが、20年3月に62歳で事務次官としての定年を迎えた後も、延長されて事務次官を続けてきました。
その後任として報じられた義本氏も加計問題で「総理のご意向」文書が報じられたときに、「怪文書」と断じた菅さんに平仄を合わせるように、調査範囲を限定的にし、「存在は確認できなかった」とする調査結果をまとめた一人です。
(中略)
他の政権幹部の関与が記された文書が発見された際も、義本氏は「半年以上も前の話で、双方記憶があいまいであり、これ以上調査しても具体的なことは確認できない」とし、詳細な調査はしない考えを示していました。
さらに、18年9月には、文科省元幹部2人が逮捕・起訴された汚職事件をめぐり、贈賄側の業者から受けた高額接待が「国家公務員倫理規程違反」と認定されて減給処分を受け、その後、文科省所管の独立行政法人に出向していました。
なぜ、官僚としての倫理に疑問符がついた人物を、官僚トップの事務次官に据えなければならないのでしょうか。安倍政権・菅政権が終わろうとするいまも、モリカケの呪縛がこの国の統治機構をむしばんでいるのではないでしょうか。

まったくそのとほりだ。朝日新聞に、このやうな記者がゐれば、再生できるかも知れない。或は、紙面自体はそれほどひどくない。ホームページ(AERAなどを含む)に掲載される記事が玉石混合だ。(終)

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