千六百六(和語の歌) オリンピックは夏東京、冬北京を最後に西洋運動会に縮小すべきだ
辛丑(2021)
八月五日(木)
これまで四十年近く、統計学者は怠慢だった。オリンピックのメダル争ひが無意味な事を云はなかったのだから。勝敗は、正規分布に従ふこともあるし、一度の失敗で負ける競技はポアソン分布に従ふこともある。
解り易い例を挙げると、サッカーJリーグで一位のチームと最下位のチームが対戦した場合に、一位のチームが勝つとは限らない。プロ野球のパリーグやセリーグの一位と最下位のチームが対戦したときも、一位のチームが勝つとは限らない。どちらも統計の法則に従ふからだ。最下位のチームがたまたま金メダルなのがオリンピックだ。
それなのに統計学者はそのことを指摘しなかった。金メダルを予想外に取ったり、金メダルを取ることが確実と云はれた選手が逃がしたりすることは、ごく普通のことだ。それなのに金メダルを取ったか、或いは銀や銅だったかどうかで、その人の人生が変はってしまふ。
こんな不合理なオリンピックは、廃止すべきだ。廃止しないなら、メダルと国旗掲揚を廃止すべきだ。
ここで四十年間と区切ったのは、かつて勝敗は、普段の努力と当日の精神状態によることが大きかった。ところが近年は、科学でこれらを制御するやうになった。
八月六日(金)
かつてスキーのジャンプは、日本の得意種目だった。昭和四十七(1972)年の札幌五輪では、日本が金、銀、銅を独占した。ところがルールの改正があり、スキー板の長さに身長が関係するやうになると、日本は得意種目から脱落した。
今回、スケートボードで日本が好成績を挙げたので、いづれスケートボードの長さに身長が関係するやうになるだらう。
スポーツクライミングも、比較的日本は好成績だった。体重は有利だが、身長は不利だ。だから欧米もルール変更は主張しないだらう。アジアが体重で不利になるなら、登る高さを身長に比例するやう主張すればよい。
このやうに考へると、陸上はアジアに不利だ。走る距離は身長に比例するやう主張してもよい。
日本の体育学者は、このやうなことを研究し発表し、国内に発信すべきだ。体育学者に限らず、すべての学者が欧米かぶれなのは心配だ。欧米の範疇に入らないと、準教授や教授になれない慣習は、すぐに変更しないと大変なことになる。
八月七日(土)
私は人種差別や民族差別に反対だから、大坂なおみ選手が日本選手として出場し聖火の点火も行なったことに、心から賛同をする。
それに対し、金持ち国が外国の有力選手に国籍を与へて、自国選手として出場させることには、絶対反対である。
国際大会は、自国文化で育成した結果の集大成である。だから成人を迎へるまで住んだ国か、最近五年間居住しない選手は、出場させてはいけないルールを制定するべきだ。日本は主張の先頭に立ってもよい。
八月八日(日)
金メダルや銀メダル銅メダルを勝ち取るのに、一番の難関はその競技がオリンピックに採用されることだ。空手の競技を観て、そのことを強く感じた。
欧米が自分たちに有利になる例として、一昨日にスキーのジャンプでのルール改正を挙げたが、その前にオリンピックに採用される種目が、極めて欧米偏重だ。
一ヶ月ほど前に、自民党細田派の稲田が、多様性を挙げながらLGBT法案を可決させようとしたことを強く批判した。その理由は、西洋猿真似と云ふ多様性とは正反対のことをしながら、多様性を主張するその偽善と欺瞞に対してだった。
オリンピックも同じだ。いろいろな競技がある。今回空手を観て感動したのは、世界にたくさんの空手愛好家がゐることだった。オリンピックは、競技の多様性と正反対だ。
東の輪(アジア) 西の輪(ヨーロッパ)及び その南(アフリカ) 西の西の輪(北アメリカ) その南(中南米) 五つの広い 陸(おか)が創る輪
(反歌)
五つの輪 互ひに違ひ 多くあり 西の輪だけに するを許さず
アメリカを北と中南米に分けたのは、文化論による。五大陸にオセアニアを含めることには反対だ。それでは西洋に従属する地域が膨大になってしまふ。
今回の東京オリンピックと、来年の北京冬季オリンピックが終了の後は、オリンピックは西洋だけで行ひ、アジア、アフリカ、中南米は、合同で行ふか、それぞれ別々に行ふべきだ。(終)
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