千五百四十五(和歌) 怒りを無くす先に成仏がある
辛丑(2021)
四月一日(木)
怒りを無くす先に成仏がある。これは略式の表現だ。詳細に述べれば、貪瞋痴を無くしそのまま修行を続ければ、成仏(阿羅漢)に至る。
貪瞋痴 無くす先には 成仏がある
阿羅漢と 仏になるは 同意同義語
ここで、阿羅漢と成仏を同義語とすることに、国内では疑問を持つ人が多いことでせう。釈尊は開教者、他の阿羅漢は弟子だから、同じではない。その意味で成仏と阿羅漢を分けるなら正しい。
しかし釈尊は、阿羅漢になる方法を見つけ、自身も阿羅漢になった。つまり阿羅漢と成仏は、その意味では同義語だ。
しかし日本国内では、その意味で使ってゐない。阿羅漢より上位に、菩薩が存在すると云ふ。阿羅漢と成仏は、二番目の意味で同一だから、菩薩も同一だ。或いは阿羅漢の手前の段階で、菩薩と称することはあり得る。
四月二日(金)
次に、性格をよくすることと、阿羅漢を目指すことは別の方角だと考へる人が多い。
日本では喜怒哀楽を阿羅漢は無くすことだと間違へる しかし無くすはまづ怒りだけ
(反歌)
楽や喜を無くしてゆくを経典に書かれてゐるが次の段階
(反歌)
三毒を無くせぬ人が楽や喜を無くす目指すは原理主義者に
(反歌)
南伝の歴史を保つ国々は原理主義には堕ちず流れず
四月三日(土)
南伝の国々が原理主義にならないのは、幼児のときから比丘やお寺に親しんで育つからだ。
性格を良くすることと阿羅漢を目指すことは同一と 幼児のときから知る人が瞑想すれば有益に 欧米人と 日本人瞑想だけを真似すれば 性格悪き原理主義者に
(反歌)
南伝に縁の薄き国々は深き国への真似から入れ
四月四日(日)
大乗の仏道も、南伝と目的は同じだ。
六根の清浄目指す大乗もその根底にあるものは 三毒越える境涯目指す
(反歌)
大乗と日本で呼ぶは鎌倉の仏道にして守護地頭の世 末法と見た(終)
追記四月五日(月)
X宗一心寺の住職が殺人未遂で逮捕された。交通トラブルで車の前に女性がゐるのに発進させ、ボンネットに乗せたまま960メートル走らせ、しかも蛇行運転や急ブレーキを掛けた。とんでもない悪徳坊主だ。茨城新聞のホームページによると
同インター付近で女性の関係者から「車に足をひかれ、逃げられた」などと、110番があった。
緊急時での布教のための宗派が、昭和四十五年に布教を停止すれば、かう云ふことになる。緊急時だから、貪瞋痴の克服は後回しになり、布教することが持戒となったからだ。X宗は、僧侶妻帯を中止すべきだ。
追記四月十十二日(月)
言葉が瞬間に怒りを含むのは、反射神経だからあり得る。怒りを無くすとは、その状態が続くことだ。
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